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”あきらめる”ということ

自分を生きる事をあきらめてめて知った“あきらめる”ということ

”あきらめる”という事は2つの側面から見ることができるなと思った今日この頃の私。

①もういらないから手放した
②本当に必要なもの、心から望んでいたものを手放した

①について・・・外的要因で強制的に起こるものも多い
②について・・・自分で決めた事が多い。一旦はあきらめるけど、人生の中で後から再度取りに行くもの
必ずこれに当てはまるわけではないです。物事は多面的に見る事が出来ると思うので。ただ、私の経験で引っかかっていたことがあって。それをクリアにするきっかけになった考え方でした。

あきらめる という選択

皆さんは何かをあきらめようと思ったことはありますか?
人間誰しも多かれ少なかれ何かをあきらめた経験ってあると思います。
例えば好きな曲が弾けるようになりたくて、6年間エレクトーンを習ったのに上達できずあきらめた事。
例えばハリウッド映画を見て海外生活に憧れて、英語の勉強をしたけど一向に上達できずにあきらめたこと。
これは、私の今までにあきらめたもののほんの一例です(笑)

これ以外にも人生であきらめたことって沢山あるんですが、今回は私があきらめたものの中で一番大きな選択だなと思ったことを書きます。
そして自分自身、これを“あきらめた”事にスッキリできていなかった為、考えたところ、実は“いらないから手放していた”事でもあったんだと気づきました。

自分を生きることをあきらめる


私は結婚をして妊娠したことで、自分を生きることをあきらめました。
今までの自分でいることをあきらめました。
本来の私は思い立ったらすぐ行動してどこかに行ってしまうような活発な性格の私でした。興味があるとそれにのめりこんでしまうタイプです。
こんな状態では家庭をダメにしてしまう、子供を死なせてしまう、
だから、結婚して子供を産むことでやりたい事は封印して、自分よりも家族を優先する生き方をしようと決意をしました。

20代の頃の私


結婚して幸せになりたいなぁと漠然と思っていました。なぜかと言うと、自分の周りがそうだったから、です。世の中の流れ的に、人間って結婚して家庭に入ってという流れになるんだろうなと思っていました。仕事が出来るわけでもなく、自分には何ができるんだろうと、着付の師範の資格を取ったり、介護ヘルパーの資格をとったり、アロマテラピーの資格をとったりしては見たものの、それを仕事にするまでには行かず、ただ月日が過ぎていくだけでした。

結婚に対する古い考え方


当時大手上場企業に勤めていた私ですが、社内結婚も多く結婚を機会に退職する先輩や同期が沢山いました。30歳近くになると、同期も減って行き、私も数年以内には結婚しなければならない、そろそろ退職しなければならない?モードでした。30歳で上司に直接言われた言葉があります。
「女性はね、結婚して家庭に入るのが一番の幸せなんだよ」
この発言を真に受けてしまっていました。

10年経ってから気づいたこと

結婚出産することで、いろんなことを諦めたんだなぁ・・・ということを今までネガティブに捉えていました。逃げだったなと思っていました。自分を責めていました。
一方で、結果的に子供たちを守っていたなとも思うし、自分を守るためでもあったなと感じます。結婚直前は、心身共に疲れ切っていたのも事実でした。会社をはじめとする周囲の人間関係に疲れ切って心も身体もボロボロだったんです。だからその時その時で適切な行動していたじゃん、私、って思えるようになりました。

結論

いらないから、手放したもの                                                                           ・それまでの人間関係
・積み上げた経験、知識
必要だったけど手放したもの                                                                              ・仕事
・人と関わる事
上記を“あきらめる”ことで、得たもの
・子供
・結婚という経験
・子育てという経験
・自分をあきらめるという事が死ぬより辛いということを知ったこと

全ての経験は無駄ではないですね。
一旦諦めた、”仕事”と、”人と関わること”を、今積極的に行動して経験している、今日この頃です。

今回はこれからの生き方を考えていくうえで、今までの私を振り返ってみて気づいたことについて書きました。
こんな考え方の人もいるんだぁと思って読んでくれれば幸いです。
最後まで読んでくれてありがとう!

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