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母のたった一人の友達から、最後の電話がかかってきた話。

今月に入った頃、母が「佐藤さん(仮名)と連絡が取れない」と、ぼやいているのを耳にした。

佐藤さんは、習い事教室で知り合った人で、母が唯一「友達」と呼べる人だった。

「電話したけど折り返しもないし、メールしても返事も来ないのよ」と困った様子の母。

佐藤さんは以前から電話をしても出ないことが多く、夜になって「ごめんごめん、家に携帯置いて出かけとった!何だったー?」と折り返してくるような人だった。

だから最初は「また家に置きっぱなしなのかしら」とか「気づいてないのかなあ」と言っていたのだけど、日が経つにつれて「佐藤さん、どうしたんだろう」と母の顔が曇り始めた。

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母には、ずっと友達がいなかった。

私が子供の頃、ママ友と言える人たちは一応いたけれど、家ではいつも彼女たちの悪口を言っていたし、あまり仲良くできていないようだった。
高齢出産だった母は、他のママ友たちとの年齢差に引け目を感じていたのかもしれない。

結婚してからは、父の経営する町工場で経理として働いていたので、「社長の奥さん」という立場上、社員の人たちとも友達関係を築くことができないようだった。

ぱっと見社交的だし、色んな人と話すのだけれど、心を許すのが苦手なのか、ずっと特定の「友達」という存在はいなかった。


私が高校生の頃だっただろうか。

とある休日の午後、父と口論になった母が家を飛び出したことがあった。

2時間ほどしたあと、とぼとぼと母が帰ってきたので「どこにいたの?」と聞くと、近所のショッピングモールのフードコートで、アイスクリームを食べたという。

「どこにも、行くところがなくて。呼べる人もないし。私には友達がいないから」

そう言って泣く母を見て、日曜の午後に家族連れや友達同士で賑わうフードコートの片隅にひとりで座る母を想像して、なんてかわいそうなのだろうと胸が痛かったことを今も覚えている。

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そんな母に友達ができたのは、10年ほど前だっただろうか。

ある習い事の教室に行き始め、そこで気の合う人と出会った。

それが「佐藤さん」だった。

佐藤さんには、他にもお友達がたくさんいるようで、母はその中の一人だったけれど、教室のあと二人でランチをしたりお茶をしたり、たまには教室のない日にランチに出かけることもあった。

リビングから話し声が聞こえてくるなと思ったら、佐藤さんと楽しそうに長電話をしている母がいたりして「よかったなあ。お母さんに友達ができたんだなあ」そう思って、私はすごく嬉しかった。

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その佐藤さんと連絡が取れない日々が続いた。

一昨年、佐藤さんは習い事を辞めてしまい、会う頻度は減っていた。
でもたまにはランチに行ったり、電話では話しているようだったし、一体どうしたんだろう。

最後に連絡を取ったのは、昨年末だという。
9月に心臓の手術をした母が、まだ本調子ではなかったため「元気になったら、またとんかつ食べに行こうね」と電話で話したのが最後。

私もさすがに気になり始め、「自宅に電話してみたら?」「留守電残した?」など聞くようになった。

あらゆる手を尽くしたけど連絡が取れず「私、何か気に障ることをしちゃったのかもしれない。分からないけど」と母が落ち込み始めた頃、佐藤さんから電話がかかってきた。

ちょうど、母を習い事教室に迎えに行った帰りの車の中だった。
「佐藤さんだ!」そう言って、母は電話に出た。

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佐藤さんは、胃がんを患ってがんセンターに入院していた。

去年の7月にがんが見つかり、それから入退院を繰り返していたこと。
あまり状態が良くないということ。

母が知っている佐藤さんの声とは別人のような弱々しい声で、時々咳き込みながら近況を話してくれたという。

そして、佐藤さんは「もう、あなたの声を聞けるのは、これが最後だと思うの。今までたくさんお世話になったねえ。ありがとう。元気でね」と母に言った。

その声は涙ぐんでいたという。
「何言ってんの。こちらこそお世話になって。ありがとうだよ」そう答える母の声も涙ぐんでいた。

電話を切った後、状況を私に話してから「私の、たった一人の友達なのに」と母が言った。

私は何も言えなかった。

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私も何度か佐藤さんには会ったことがある。

背が高くて、いつも明るく朗らかで、話すと思わずこちらも笑顔になる、そんな女性だった。

腰が悪い母をいつも気遣ってくれて、重い荷物を持とうとすると「私が持つで!大丈夫!」そう言って助けてくれるのだと、母がよく言っていた。

だから私が「いつも母がお世話になっています」と言うと「何言ってんの!こっちがお世話になりっぱなしよ!」とからからと笑う、そんな人だった。

あの佐藤さんが。
もうあの笑顔に会えないなんて。

命はいつか消えるものだけれども、そんなの分かっているけれど、切なくて悲しくてやるせない。

でも、母はもっと、悲しいだろう。
たった一人の「友達」だったんだから。

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実は、佐藤さんは最後まで電話をかけないつもりだったのだけど、あまりに何度もかかって来る様子を見た娘さんが「調子がいい日に、一度電話した方がいい」と勧めてくれたそう。

娘さんに、心から感謝を伝えたい。
お陰で、母は佐藤さんと話すことができたのだから。

淋しいし悲しいしつらいけれど、あのまま変な誤解を抱えたままにならなくてよかった。
ちゃんと「ありがとう」が伝えられてよかった。

すごく、そう思う。


そして、命はいつか終わるものという当たり前のことに改めて気付かされた。

大切な人には、いつでも気持ちを伝えよう。
「ありがとう」も「大好き」も「あなたに出会えてよかった」も、惜しみなく伝えよう。

いつか絶対に、別れる日は来るんだから。

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