青森移住ぼちぼち珍道中〜兵庫県から青森県へ#58 人生の転機
地震3日後から、通常の仕事スタート。
日常生活はがらりと変わり、
スーパーには食料品が供給されなくなり、
食品棚はスッカラカン。
豆腐、牛乳などなどは1家族1個までの制限付き。
1番影響があったのはガソリン。
給油に行っても10Lしかいれてもらえない、
そしてこの10Lを入れるのに2時間並んだり。
一緒に仕事していたデザイナーさん、
お昼休憩に出かけるのにガソリン代が勿体無いので、
この日から我が家のリビングで、
ヨシオさんと私と3人で、
猫きっく食堂の開店〜
一緒にお昼ご飯を食べる事にした(^^)
どれくらいこの生活が続いただろう。
1ヶ月?
仕事面でも世間は自粛ムード、
チラシは広告を打つ会社さんもドンドン減り、
営業も出来ず、仕事の受注も減り続け、
ついに資金ショート寸前となった。
ヨシオさんはなんとか仕事に繋げなければと動いた。
スタッフさんのお給料も払えず、
ヨシオさんのご両親にお金を借り、
子供達のお年玉貯金も使い、
それでもにっちもさっちも行かず、
私はすぐに現金でお給料がもらえるトマト農家さんにバイトに出ることにした。
朝の8時から17時まで、
畑で働き、戻って家事をして夜はデザイン事務所の経理をした。
2年前、暑くて熱中症になり体調を崩したのに
また40度のトマトのビニールハウスでバイト。
でも、そんなことは言ってられない。
7月、8月、9月、と時は過ぎ、バイトは11月までお世話になり、事務所もなんとか盛り返し始めた。
トマト農家さんでのバイトは、
それはそれは、、、、、、、、
楽しかった!!!!!
農家のお父さん、お母さん、息子さんと私。
ちょうどお父さんは私の実家の父と同じ歳。
お父さん、お母さんは
「きっくが来てくれて、本当に畑が明るくなった、楽しい、ありがとう」と、名前も呼び捨て、自分の娘のように可愛がってもらい、必要とされ、生きてるって感じ。
実は、地震が起こる少し前、
私は精神的に不安定だった。
ヨシオさんの仕事を手伝うまでは、
クリーニング屋さんのパートをしていた私。
仕事も楽しく、気の合う同僚とお昼休みは取り止めのない話。
大きな幸せはなくても平凡な毎日。
それが手伝うことになった当時、自宅兼事務所から出ることがなく、
仕事へのやる気も見出せず、
子供達の反抗期も始り気持ちが落ちることがよくあった。
自分ってなんだろう、価値ってあるのだろうか。
毎日毎日、モヤモヤしていた頃に地震。
そんなこと言ってられなくなったのだ。
地震がなければ、
資金ショートがなければ、
私はあのままどうなっていたのだろうか。。。
つづく
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