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毎日連続投稿 90日目

昨日でnoteの《毎日連続投稿》が90日になった。約3ヶ月。今年4月下旬にうっかり《毎週連続投稿》が60週で途切れてしまい、なんか悔しくて始めた。

《本を読む》という《インプット》は、人並みに、それなりのペースを最近はキープできていると思う。《アウトプット》することも大事だとは思っていて、本の感想のようなものや雑記っぽいメモを小まめに書くようにはしている。

《インプット》の量を確保するコツは頑張らないだと思っている。だから《アウトプット》もあまり頑張らない。

とはいっても、noteの方は3行日記ではなく、最低でも800字くらいは書くようにしている。まぁ、頑張らないという方針だから中身はあまりない。 書くことがない日もさすがにときどきはあって、そういうときは「坂戸日記」ということにして、ここ数日にあったことなどを書く。

《アウトプット》は練習かなと思う。「書くことを習慣にするといい」という人がいるし、もっともだとは思うけれど、もうちょっと外圧みたいな内圧が必要かなと思う。文化系の部活のようなもの。絶対行かなければいけないという運動部系のような強制力はないけれど、なんとなく行くし、なんとなく続ける。そんな感じ。

どうしてそう思うかというと《インプット》も練習かなと思うからだ。本を読むというのも、「一定の時間、それをするのが当たり前」という雰囲気が自分の中にできてくると本を読むという行為が生活の中に定着する。

だから、《アウトプット》が練習というのは、書く内容を練習によって向上させるということではなく、書くということを定着させる練習があるのかなと思うのだ。

noteの"毎日連続投稿"が90日になったのは嬉しい。動機は"うっかり"で毎週連続が途切れてしまったことにあるわけだけど、毎週と毎日では、《アウトプット》の練習としては後者に軍配があがる。

ノートを使って考えることは、10年ほど前に《スマートノート》を書くようになって自分の中で定着させることができた。《スマートノート》の練習の成果としてプロジェクトが生まれ、書籍にもなったので、練習にも意味があるのだと思う。

スマートノートは5行日記を進めていて、ここで挫ける人が多いのだけれど、あれは著者がそうしたというだけで、自分なりにアレンジして先に進めばいいと思う。私は元々日記を書くことが苦にならなかったの5行日記は2週刊ほどで卒業した。なのでその後の《考えることを耕すプロセス》に意義を感じて続けている。

スマートノートは、ヴィジョンのあるプロセスモデルの練習なので、有用性が高い。

一方、noteの方は極端にモデルなく、目的もなく、ただ、書く練習として位置づけている。よく「息をするように嘘をつく」というが、「糸を吐くように書く」ということを心がけている。

若いときはそういう行為を「垂れ流し」と称して蛇蝎のように嫌っていたが、なぜそれでも言いと思うようになったのだろう。

どうでも良いことを延々と続ける。そういうことの意味を最近よく考えているからかもしれない。

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