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空腹感

先日、リチャード・J・ジョンソン『肥満の科学: ヒトはなぜ太るのか』を読んだのだけど、その中に16時間断食の記述があった。夕食は7時にはいつも食べているので、朝食を食べなければ実質的に17時間断食になるのだと思った。

「朝食を抜くのは健康に良くないですよ」という助言が聞こえてくる。きっとその通りなのだろう。私も本に書いてあるからといって無条件に信じるのは馬鹿げていると思う。

けれど、一方で、太っていない人、スポーツの得意な人の助言についても、「なんだかなぁ~」とも思う。この気持ちは実際に太っている人にしか共有できないだろう。「あなたのいうことができないから私は困っているのですよ」という感覚は、わからない人にはわからないのだ。

16時間断食が健康に良いかどうかはさておき、何日か実際に朝食を食べない生活をしてみた。私自身の感覚とし主観的にどうなのかということを試してみたくなったのだ。

結果、ひとつわかったことがある。それは私が空腹感を感じずに生きているという主観的事実だ。

「おなかが減るから食べるんでしょ?」 痩せている人の典型的なコメントだと思う。私の現在の体重を維持するためには、おなかが減ったから食べるなんていう、普通のアプローチではまったく足りないのだ。おなかが減らなくても食べる、見たら食べる、あったら食べる。食べる三原則の的確な実施こそが体重の維持・増加にとって不可欠なのだ。

見たら食べる、あったら食べるに空腹感は不要だ。そう、私は空腹感なしに、なんとなく食べている。これは生物としては『肥満の科学: ヒトはなぜ太るのか』で記述されている冬眠前の熊と同様の行為である。

不思議なのだけれど、朝食を抜いてもおなかが減らない。「えっ、これって空腹を感じるという正常な機能が、俺、壊れてる?」という漫然とした疑問が湧いてくる。

若いときは確かにおなかが減っていたと思う。それがいつ頃からだろう。ぼんやりと覚えている範囲だと30代後半から40代前半のかなり忙しかった時期からだろうか。その頃から「あ~、おなかが減ったぁ~」という感覚が乏しくなり、失われてしまったように思う。

空腹感と食べたいという気持ちはまったく違う。空腹感なしに私は食べたいと思うのだ。なんの疑問もなく過ごしてきたが、空腹感なしに食べたいという気持ちだけがあるというのは、生物として異常事態かもしれない。

食べたい、食べたい、食べたい。でも、空腹感はない。これはまずいんじゃないか・・・。冷静に空腹感だけに注目してみると、別に食べたいわけではないのだ。何か条件反射のような心持ちで食べるという行為がしたいのだということがわかる。

禁煙の時と比べるとどうだろう。タバコを吸いたいという気持ちは、つまり喫煙には実は空腹感に相当する感覚がなくて、食べたいに相当する吸いたいがあるだけなのだろうか。タバコを吸いたいというあの気持ちは、空腹とか眠気とかいう生理的なものとはやっぱり少し違うような気がする。吸いたいは、食べたいよりはもっと直接的だけど、根っこのところで同じ気がする。

だとすると、空腹感なしに食べたいという気持ちだけが先行するのは、私にとって何かの禁断症状なのだろうか。食べるという行為はかなり生理的な必然のものだから、禁断症状というのは少し大袈裟な気もするが、少なくともどこか似ているともいえる。

目下の問題は、空腹感を取り戻せるかどうかだ。もちろん3日ほど食べなければ空腹にはなるだろうと思う。そうではなく、私が取り戻したいのは、適切な時間に適切に感じる空腹感である。

いま、どういう状態かといえば、19時頃夕食、朝食は取らず、11時から12時頃に昼食。ただし、昼食前に空腹感があるわけではなく、時間が来たから食べるという感じ。うーん、やっぱりこれはどこかスイッチがおかしくなっている気がする。

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