見出し画像

FISH SOCIETY

中学生の頃、いつも一緒に帰っていた友人と「友達」の定義のようなことをよく話をした。彼の家と私の家はかなり離れていたが、彼が寄り道のようにうちの方に来てくれて、帰り道の途中で道路脇の柵に座って長い時間話した。

そのときの「友達」の定義の結論は、「クラスが一緒になったというのは偶然でしかないので友達とは言えない。その子の家に遊びに何回かいったということが友達といえる最初かもしれない」というものだった。

先日、オンラインで雑談をしていると漫画の話になり、panpanyaの『魚社会』が面白かったという話がしたくて、kindleのライブラリを画面共有した。

そのときに、雑誌Tarzenの『ゆらせ股間接』の表紙が見えてしまい、なんだか妙に恥ずかしくなり、「あ、これは、Kindle 0円だったからね・・・」という言い訳をしてしまった。

オンライン時代の誰かのところに遊びに行くとは、Kindleの本棚を共有しながら、最近読んだ本の話をすることなのかもしれない。


『FISH SOCIETY』は偶然、noteでその漫画を読んだ話が流れてきて手にとったのだけど、面白かった。漫画としては"日常系"と呼ばれるジャンルに入るのだろうが、"日常系"の中でのSFテイストが絶妙なのだ。

『FISH SOCIETY』は短い話の集まりなので短篇集というジャンルにも入る。ちなみに『魚社会』を読むと無性に「カステラ風蒸しケーキ」が食べたくなってしまうのでとても危険な書でもある。目次からわかるように20篇のうちの5篇、すなわち25%が「カステラ風蒸しケーキ」であり、ページ数換算するとその比率はさらに上がる。


Kindleのライブラリに『推しの子』があるのも見つかってしまい、調子にのってRainychの「アイドル - YOASOBI (cover)」をそこにいた人たちに強制的に聴かせてしまった。雑談的な懇親会とはいえ迷惑をかけてしまったなと後で秘かに反省した(とブログには書いておこう)。

ちなみにRainychは 1992年生まれなので、見た目よりもお姉さんで、ヒジャブを身につけたカノジョの動画を見るたびに自由の前提が共有されているような気がして嬉しく思ったりする。

いずれにせよ、『僕の心のヤバイやつ』は懇親会のときに映らなくてよかった。


冒頭に述べた中学生の頃いつも一緒に帰っていた友人とは、当時「お互いに好きな本を紹介しない」という暗黙の約束をしていて、それはお互いに相手が言った本を読んでガッカリしたり、読まなきゃと思ったりしたら困ると思っていたからで、そういえば「最近何読んだ?」とか「どの本が面白かった?」という話はほとんどと言ってよいほどしなかった。

だから今になって「へ~、そんな本を読んでるんだ」「うわっ、それが苦手なんだ」という話を聞くと、「ああ、そういうことも悪くないな」と思ったりもする。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。