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DFJS2020 DAY-2

2020年8月30日(日)、第7回認知症フレンドリージャパン・サミット(DFJS2020:Dementia Friendly Japan Summit 2020)のメインセッション 2日目(DFJS2020 DAY-2)をZoom上で開催した。

DFJS2020 Day-2、午前のセッションは京都で大学生が高齢者宅に住むという京都府の事業『京都ソリデール』に関わるもの。単純に事業の紹介ではなく、町田市の団地で同じようなことは出来ないだろうかという問いを掛け合わせたセッション。福祉×建築という視点からもまだまだ取り組むべきことはあると予感させてくれるセッションとなった。

https://suumo.jp/journal/2019/11/18/168549/

午後のセッションの1つ目は、『対談:若手研究者から「いま何に関心をもっているのか」』。京都橘大の作業療法の若手研究者と静岡大の情報系の若手研究者の2人がそれぞれの思いを語る熱いセッションだった。京都橘大が進めている認知症に関わるスティグマ(Stigma:偏見)に関する大規模調査の研究も現在の認知症の潮流の変化を捉まえた非常に興味深いものだった。

午後のセッションの2つ目では、認知症フレンドリーなまちづくりを進める東京都町田市には多くの「認知症とよく生きる」人たちの日常と日々の暮らしを1年半にわたってみつめたドキュメントムービー「町田で生きる私たち」を視聴したのち、この映像をきっかけとする「映像×対話」を行った。映像の価値はそれ自体にあるとともに、それだけではない。その映像をそれぞれの人がどう受け止め、どう感じたかを共有することも価値となる。それを対話によって発見していくプロセスを参加者で体験するというもの。

このセッションのもう一つの意図は、プログラムとしての展開容易性だ。よい映像素材があれば、その映像を契機とする対話のセッションは第一義的にはそれほどファシリテーションの力を必要とせずに実施できる。それぞれの地域で当事者の語りをよりたくさん誘発してもらうための契機となる。このセッションはその型を感じて貰うためのものとなった。

その意図が本当に機能するかどうかは今後の展開を待つ必要がある。しかし、その第一歩を踏み出すことを今回のDFJS2020では試してみたかった。

午後のセッションの3つ目『傾聴を越えて:自分史と対話』も独特の意図を持ったセッションだった。その意図とは、福祉の世界では当たり前ともされる傾聴を、あえて自分史を尋ねるという新しい文脈を導入することによって両者の差違を分節することだ。意図がうまく機能したのかどうかは今回の試みではまだ漠然としたものだったかもしれない。しかし、そこに差違が間違いなくあったのではないかとも感じる。今後、このテーマもじっくりと追っていきたい。改めてそう認識することができた時間となった。

DFJS2020のプログラムについて書いてあるチラシは下記に置いてある。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。