見出し画像

ひとつの優れた回答:井庭崇・長井雅史『対話のことば』

2011年から2019年にかけて、ずいぶんとワークショップを開催した。

《対話》についてもいろいろと考えたが、もし何かよい本を2冊あげよと言われたら、デヴィッド・ボーム の『ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ』と、井庭崇・長井雅史の『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』を挙げたい。

デヴィッド・ボーム 『ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ』
井庭崇・長井雅史の『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』

『対話のことば』は、慶應大学SFCの井庭さんと当時4年生だった長井さんが始めたプロジェクトから生まれた本だ。

このプロジェクトは、オープンダイアローグに関する文献や論文、講演などを踏まえながら、その方法論をクリストファー・アレグザンダーが提唱したパターン・ランゲージの考え方を用いて、その本質を損なうことなく、適度に抽象化し、個々人の実践の支援となるように記述するというものだった。

長井さんは卒論と修論でこのプロジェクトに取組み、そこで生まれた成果が、丸善より出版された『対話のことば』である。

副題には「オープンダイアローグに学ぶ・・・」とあるが、その内容は《対話》を実践する上での知恵に満ちている。推薦のことばとして、オープンダイアローグの提唱者であるヤーコ・セイックラとトム・エーリク・アーンキルはこう述べている。

本書は、対話についての対話を促し、かつ、人間にとって応答がとても重要であるということを深く理解する手助けをしてくれるでしょう。オープンダイアローグに焦点を合わせながらも、これまでにはない画期的なパターンとイラストの表現により、本書は対話の本質について再考する具体的な方法をもたらしてくれます。本書が、対話を実践するコミュニティの形成とそれらの間の交流・対話への道を見出したことで、さらなる対話文化への貢献をしてくれると信じています。

『対話のことば』より、ヤーコ・セイックラとトム・エーリク・アーンキルの推薦文

井庭さんたちの問題意識は、はじめにの部分で下記のように述べられている。この本は、井庭さんたちの問題意識のひとつの優れた回答なのだ。

多様な人が交わることで起こる問題を解消する方法のひとつに「対話」があります。ですが、「対話」とは一体何なのでしょうか。会話より深いものであることはイメージされるものの、対話によって何が起こるのか、どうすれば対話がうまくいくのかを理解している人は多くはないのではないかと思います。しかし、社会が変化し、新しい状況に向き合っている現在、ともに理解し合い、力を合わせていくことはますます重要となり、それゆえ「対話」の力を高めることは一層大切になっていると言えます。

『対話のことば』より、はじめに


《対話》は一人では成立しない。セイックラらのいうように「対話を実践するコミュニティの形成」が必要だ。そして、本書はその質の向上にまちがいなく有益だろうと私は思う。

本書は実践的であり、日々の私たちのちょっとした会話に応用できる。私たちはこの本に記述されていることを日々どれほど行っているだろうか。実際、私にはできていない。それでも、この本は実践的であり意味と価値があると私は確信する。

井庭さんたちの『対話のことば』はBakhtinの言葉で締めくくられる。

言葉には始めも終わりもないし、対話のコンテキストは果てしがない(それは無限の過去と無限の未来へと入っていく)。過ぎ去った、つまり過去の時代の対話から生まれた意味というものも、決して固定した(最終的に完結し、終わってしまった)ものではない。それらはつねに来る冪未来の対話の展開のなかで変わっていく(更新する)。対話の展開のある時点では忘れ去られた意味たちの厖大な量があり、それが次の展開のある時点では、その進行の具合によって改めて思い出され、(新しいコンテキストのなかで)更新された形で息を吹きかえす。絶対的な死というものはない。意味というものにはそれぞれ、その誕生の祝祭がある。大きな時間の問題。

『対話のことば』より、Bakhtin

誕生した《意味》を育むのは、コミュニティ自身と、そこに集う人々が育んだ《対話》によって生まれる《意味》と《文化》と《信頼》の連関なのだ。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。