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高畑勲氏を偲んで:平家物語

2021年の大きなできごとのひとつに、長編読書会「平家物語」に参加したことが上げられる。私は河出書房新社の現代語訳版(古川日出男訳)で読んだ。

河出書房版にしたひとつの理由はKindle版があるかどうかだった。しかし、本当の理由は高畑勲氏だ。

実は参加するかどうか迷っていたときに、図書館で何冊か関係の本を借りた。その中の河出書房新社版には、全集配本時の寄稿文が添付されていた。寄稿文は高畑勲氏が書いていた。

高畑氏は生前「平家物語をアニメ化したい」と言っていたという。何人もの人がそのことに触れているから、高畑氏の思いは強く本物だったのだろう。

河出書房新社版の寄稿文で高畑氏はこう語っています。

私は、あの壮絶な合戦の騎射や組討ちは、アニメーションでしか表現できない、と確信してきました。実写では無理です。 ・・・ たとえば一騎打ち。走る馬上から弓矢で相手を射るためには、相手を左前や左横に捉えなければならない。矢をつがえたまま、駆け、回り込み、反転し、ときには馬同士がぶち当たる。互いに良い位置を取るための息詰まる駆け引き。射損じたり、矢をよけたり、馬を自在に乗りこなすだけでも大変なのに、こんなことを役者がやるなんて不可能です。結局ショットを細かく割って、モンタージュで誤魔化すしかありません。
アニメーションはちがいます。きちんと設計をして、才能ある優れた描き手が渾身の力でそれに立ち向かい、実感を込めて描けば、必ずや凄まじい力感表現が生み出せます。余白の多い空間の中を、遠く近く、息もつかせぬ臨場感で対象を捉え続けることも可能です。目をそむけたくなる激しい死闘の軌跡や飛び散る血潮も、墨一色の荒々しい筆の勢いで画面に炸裂させれば、行為に込めた武者の迸るエネルギーや溢れだす心情の表現となって、私たち現代人の拒否反応を忘れさせるはずです。」

高畑勲、河出書房新社版平家物語寄稿文

高畑氏のこのような思いを受けたアニメーション作品に、私たちは出会えるだろうか。私の中学生の頃のままの古文の読解力では、高畑氏が描きたいと感じていた世界の力強さや生き様を味わう前に力尽きてしまうだろう。しかし、この寄稿文を読み、高畑氏の思いを偲び、私もまた平家物語に触れてみたいと強く思った。

寄稿文の最後はこう結ばれています。

「そして私は思います。この古川訳で大長編の『平家物語』を楽しんだ方にこそ、多彩な人物の個性が粒立つ傑作エピソードを、個々に、あらためて原文で読んでもらいたい、聞いてもらいたい。ひとつひとつが短いし、決してわかりにくくはないし、「語り物」の簡潔な文が本来持っている、エネルギーとリズムとテンポが実感できるからです。」

高畑勲、河出書房新社版平家物語寄稿文

長編読書会への参加は、私にとって負荷は決して低くない。ましてやもっとも苦手とする古文。けれども、この高畑氏の思いを読んでしまった今、苦手なことはわかっていても参加を私には止められなかった。

バカですか? バカですよね。でも、振り返ってみると、参加して本当によかった。


「で、長編読書会参加にあたってどうするつもりなんですか、浅草氏は?」
「まずは、偵察だろうて。古典に関する現状はあまりにも不利なのだよ、金森氏。」
「困りましたね。どこから手をつければいいのやら。水崎氏、なにかよい知恵はありませんか?」
「確か図書館に人形劇のDVDがあったよ。それで登場人物の名前ぐらいはわかるし。」
「妥当かもしれませんね。そこからはじめましょう。それでいいですか、浅草氏?」
「もちろんだよ、金森氏。図書館予約ON!!」

「こ、これか。。。大丈夫なんじゃろうか、金森氏?」
「放送されたのが25年前ですからね。大切なのは状況把握です。」
「吉川英治って人の『新平家物語』が元みたいね。」
「想定内でしょう。まずは流れです。読書会の開始までは少し時間もありますし。」
「了解だ、金森氏。 いざ、源平の時代へ!」
「まずは6月の読書会で申し込んだ課題本をクリアしてくださいね。」
「はい。。。。」

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。