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温州みかん

バラ園にいっても、バラ自体を見るよりも匂いをかいでいる時間の方が長い。バラ園のたぶん少しおかしな奴になっている。

川崎に住んでいたころは、春になるとよく髙尾の多摩森林科学園に行った。あそこには各地の著名なサクラの遺伝子を保存するために設置されたサクラ保存林があって「○○匂」という名を持つサクラが沢山植えられている。サクラの香りをかぐならば、長命寺の桜餅もよいが多摩森林科学園もオススメだ。

そんなこともあり、かつ、日々、役に立たない無駄知識の収集に明け暮れているMoD研究会(Management of Dodemoii)の研究員として、『身近な「匂いと香り」の植物事典』という本を図書館から借りた。何かをしていて飽きたときにチラチラと眺めている。

 昨日読んだ"ウンシュウミカン"の項も面白かった。

そもそも"温州みかん"が、"ウンシュウミカン"と項立てされていたのが面白かった。植物の名はカタカナで表記するのが標準だとしても、そもそも"温州みかん"とは、"練馬大根"や"早稲田みょうが"のようなご当地ブランドのようなものだと思っていた。だから、"ウンシュウミカン"が植物名のカタカナ表記が適用される対象だと思っていなかったのだ。

"ウンシュウミカン"の項の副題は、"生まれは中国の温州にあらず"となっている。おいおい、正直に言って「???」だ。

感覚としては、日本人のそれなりの数の人が「中国浙江省のミカンの産地として有名な温州から渡来した」と思っているのではないかと思う。だからこそ、ふるさと納税の返礼品に「佐賀温州みかん」と書かれていても、「ふんふん、なるほど、佐賀で育てた温州みかんなのね」と違和感なく思えるのだ。ブランド名でもないのに、たとえば、「佐賀すいか」と書かれていたとすれば、それはなんだかちょっと気が抜けているように思えるのだ。

"生まれは中国の温州にあらず"に話を戻せば、少なくとも私は「温州みかんとは、中国浙江省のミカンの産地として有名な温州から渡来したみかん」だと信じて生きてきた。それなのに、本書は、「ウンシュウミカンは中国には生えていない」というのだ。なんということだ。

しかも、丁寧に「2010年代の遺伝子研究によってキシュウミカン(コミカン)とクネンボの交雑によって日本で誕生した新種であることがわかった」と「オマエがこれまで何を信じて生きてきたとしても自由だが、本書は科学の名においてオマエの考えが誤りであったことを宣言する」的なノリではないか。探偵ナイトスクープの「行って調べてきました」とは一段、格上げしたアプローチで説得してくるのだ。

それは、私にとって、「天津に行っても天津丼というメニューはない。天津丼は日本で発明されたメニューなのだ」という話を聞いたときと同じレベルの驚愕の事実だった。

ちなみに、本書の"ウンシュウミカン"の項には、「1973年の日本人一人当たりの消費量は23 kgだったが、現在は食の多様化もあって6 kg程度である」という内容の記載もある。

そういえば子どもの頃は親が正月になるとミカンを箱で買っていたなぁと思い出す。最近はミカンもそれなりに高くてあまり買わなくなってしまったなと思う。正月が近くなると箱で買ったミカンをやたら食べていたと思う。
ああ、手が黄色になるほどにミカンが食べたい。。。

そう、やはり正月といえばコタツにミカンなのだ。両親の実家が北海道のドロシーには"コタツ"という概念が存在しない。だから我が家にもコタツはない。結婚以来、コタツからは断絶してしまった。無論、コタツがなければ、スーパーで数個ミカンを買ってきてもコタツでミカンは実現されない。なんと残念なことだ。

ちなみに私はミカンを"和歌山むき"、あるいは"有田むき"とよ呼ばれるる剥き方で食べている。さっと皮がむけて大量消費に向いているのになぁ。

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