坂戸日記 2024.11.03
2024年11月3日(日)晴れ。
三連休は雨だと聞いていたのに晴れ。晴れるんだったら《海まで歩く》の続きをすればよかったと思いつつ、午前中は市民プールへ。
市民プールまでは少し速めのスロージョギングで行ったの結局1時間ほどしか泳がなかったけれど、距離にして1,300 m。この距離を少しずつ伸ばしていきたい。
それにしてもプールでのスマートウォッチは便利だ。トータルで泳いだ距離が出るし、途中の心拍数もわかる。まだ25 m泳ぐと結構心拍数が上がってしまうが、これが上がらないようになり、長く泳げるようになるのが当面の目標。長く泳げるようになれば、今は何を測っているのだかわからないSWLOFももう少し安定したものになるだろう。
午後はハイデガー『存在と時間』を読む。リビングのテレビの音が邪魔にならないように耳栓までして集中して読む。という意気込みの末、爆睡。ドロシーが毛布を掛けにきてくれて目が覚めた。ちょっと恥ずかしい。
ドロシーが、私が読んでいるうちに爆睡してしまった『存在と時間』を手に取り、冒頭の梗概1のところを声に出して読み始める。
ドロシーはそこだけ読んでから、「あはははは」と笑いながら去っていった。ドロシー曰く、「あるってことはそこにあるってことでしょう」。至極まっとうなプラグマティックな感想だと思う。
序論の途中(第3節)あたりから読み始めて、第2部・第2章(第13節)まで読了。といっても見たってレベル。
後半、眠くならずにちょっと加速した感じで読めたのは、「ハイデガーって元祖世界系?」と思ってしまったからだ。昨日の夜、浅野いにおの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のインタビュー記事を読んでいたからかもしれない。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(通称:デデデデ)は映画で見たし漫画も読んだが面白い作品だった。なんというのかなぁ、私とは違うけれども、世界をこんな風に捉まえるのもありかなという感じ。
で、ハイデガーの『存在と時間』の今日読んだ部分、途中から、「これはもしかして、哲学書としてではなく、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の世界感に基づく物語内記録(たとえば宇宙船に保管されていた世界認識に関する学術文書)として読めるんじゃない?」とSF的妄想を爆発させながら読んでしまった。
そう思うとこれが無茶苦茶面白いのだ。もちろん無茶苦茶な読みなのだけれど、まぁ、いいじゃないか。いったんそうSF的世界観の記録として読み始めたら、もう『存在と時間』は他の読み方ができなくなってしまった。
幸いなことに今読んでいるのが岩波文庫版の第1巻の途中だから、まだ3+α冊分残っている。そこでできることならリカバーしよう。もっとも自分の変則読みが楽しくって、この先、ギアチェンジできるかどうかは不明だけど。