皮肉に満ちた趣きのなかで:ボルヘス『死とコンパス』
世界には隠された秘密がある。そう考えた方が面白いことは間違いがない。『死とコンパス』の登場人物の一人、レンロットもこう言っている。
ボルヘスの短編『死とコンパス』は、モノクロ画面やスタイリッシュな構図が多用された犯罪映画《フィルム・ノワール》の雰囲気に満ちている。
たとえば冒頭で殺害されるマルセル・ヤルモリンスキー博士に関する説明の以下の文章がその例となる。
日本語に翻訳されていることを考慮しても、実のところこの5行ほどの文章は、端的には、
1. 最初の犯罪は北ホテルで起こった
2. 12月3日に、この塔(北ホテル)にヤルモリンスキー博士はやってきた
という身も蓋もない事実が述べられているにすぎない。
つまり、以下の修飾節、すなわち
はすべて雰囲気のためにある。レンロットであれば、「それこそがディテールであり、ディテールにこそ本質は宿るのだ」と表現することだろう。
ボルヘスの短編『死とコンパス』はとても短い作品だが、面白い小説なのだ。もしかすると、最初に読んだときは単純な探偵小説もどきと感じるかもしれない。あるいは、2度目に読んだときは、皮肉に満ちた少し意地悪な小説と読めるかもしれない。そして3度目には、それらすべてを含めて、なかなかに趣深い小説だと思うことだろう。少なくとも私はそうだった。
2度目に読んだときに感じる皮肉に満ちた感触は、たとえば、冒頭の段落のこんな表現にある。小説冒頭の段落はこう始まる。
そして、冒頭の段落はこう終わる。
段落の終わりに記されたレンロットの性格こそが、この物語の重要な推進力であり、段落の冒頭に記された《明敏な頭脳》と評された部分こそレンロットの間抜けさの現れといえる。
ちなみに、この小説は、ゼノンの逆説のひとつ、《アキレスと亀》についてのレンロットの言及で終焉する。レンロットは犯人と対峙してこう言う。
それに対する犯人の答えは、こうだ。
わたしは、犯人のこの言葉を”路地裏の薄暗いまっすぐな道"でという意味に取ってしまった。しかし、たぶんそれはレンロットが犯したのと同様の誤読だろう。『死とコンパス』の読書会で別の方が言っていた《それは銃弾の比喩》が正解だと、いまの私は思う。
ちなみに、《アキレスの亀》の話の級数は収束するので、そこもまた身も蓋もないことは言うまでもない。
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