「ついやってしまう」とは、身体と環境の関係性をデザインすること
ご無沙汰note。
今回は以前読んだコチラを参考に、リハビリへの活かし方をまとめてみました。
結論から言ってしまうと、相手が自発的に何かに取り組むにはこちらから一方的に与え過ぎてはよくありません。相手のことをよく知り、夢中になれる環境をデザインすることが重要になります。
ちなみに当内容は専門分野でも何でもなく、単にビジネス書からの学びをリハビリに転用しただけなので、優しい目で読んで頂けると幸いです。
1.かんたんに書籍のご紹介
2019年に発売された書籍。
元・任天堂の企画開発者である玉樹真一郎さんが書かれた本であり、スーパーマリオブラザーズやドラクエを例に、人の心をいかに動かすか書かれています。
幼い頃にこれらのゲームをやられた方なら、読んでいて懐かしくもあり、わかりやす過ぎる内容から一瞬で読破できることと思います。
人の心を動かすには3つの段階があり、
①「つい」やりたくさせてしまう
②「つい」熱中させてしまう
③「つい」誰かに言いたくさせてしまう
この「つい」が重要。
著書に出てくる、①「つい」やりたくさせてしまうの部分を以下引用を交えてご紹介。この章では、スーパーマリオブラザーズを例に説明されています。
『スーパーマリオブラザーズは、何をしたら勝ちか?』
・クッパを倒せば勝ち
・ピーチ姫を助ければ勝ち
・得点を取れば勝ち
・コインを集めれば勝ち
・ワールドを進めれば勝ち
・制限時間内に何かすれば勝ち
これらは全て誤答のようです。このゲームでもっとも肝心なのはマリオの存在。そして、本当の勝ちは「マリオが右に行く」ということ。
それを無意識に伝えるために、数々の工夫が施されています。
・ヒゲと帽子が顔の向いている方向を視覚的に伝える
・スタート位置左に高い山(閉塞感)
・スタート位置右には明るい黄緑の草と真っ白な雲(解放感)
・右へ進むと現れるクリボー(右に進むことの正解を示す)
このようにプレイヤーがどうしていいか自ら考え、不安のなか実際に試し、仮説が当たって喜ぶという一連の行動や心の流れがデザインされています。
これを直感のデザインとしており、以下の3つのステップを踏むことで「つい」やりたくなるようです。
①仮説
自発的に「〇〇するのかな?」
②施行
自発的に「〇〇してみよう・・・」
③歓喜
自発的に「〇〇で正解だった!」と歓喜する
2.受動的なリハビリ
今まで不自由なく生活されていた方も何かをキッカケに「障害」を抱えることがあります。ぼくたち療法士はそんな方が元の生活に戻れるようお手伝いをしています。
「リハビリ」を行なっていくのですが、患者さまの心情を先の3ステップで表すと
①仮説
「(骨折した、もしくは麻痺がある)この脚は果たして動くのかな?」
②施行
「少し持ち上げてみよう・・・」
③悲観
「痛くて全然動かない・・・」「感覚がなくてピクリとも動かない・・・」
となるのではないでしょうか?
①仮説→②施行してみるものの、上手くいかず③悲観となってしまう。
障害を抱えてから何かをする度に、このようなサイクルになると①も②もしなくなってしまいそうですね。
そうならないように、療法士は課題の難易度を調整しなければいけません。
①仮説にヒントを与えたり、②施行のお手伝いをしたり、③一緒に成功を喜んだり。
逆に自分的によろしくないリハビリは、相手のことを考えずに「一般的にこういうものが良いはずだ」「常識的にこれが正しい」というような「良さ・正しさ」を振りかざすもの。
「良さ・正しさ」を一方的に押し付けてしまうと、相手が①仮説をしなくなり、受け身になってしまいます。
その結果あるあるなのが、
「あの患者さん、何度言っても自主トレーニングしてくれない」
という声。
この解決に「つい」やってしまうってうってつけなのでは?と思います。
3.「つい」やってしまうリハビリ
書籍のなかで、「アフォーダンス」という脳の性質について書かれているページがあります。授業や参考書なんかでチラッと見聞きしたことがある方もいらっしゃるかと。
「アフォーダンス」の定義は、「環境が動物に与える意味」。
これを著者は噛み砕いた表現で、あなたが何かを見たときに思い浮かぶ「〇〇するのかな?」という気持ちのことと説明しています。
例えば、子どもの頃に遊んだであろうこのおもちゃ。
・2つの穴があり、ここに差し込めるのかな?(コンセント)
・上の方から紙が出てるけど、引っ張れるのかな?(ティッシュ)
のように認識されるもの(コンセントやティッシュ)があり、それを認識するもの(子ども)の両者が存在しアフォーダンスが成り立ちます。
①仮説
「この穴にこれって差し込めるのかな?」
②施行
「赤い部分を持って差し込んでみよう・・・」
③歓喜
「上手く差し込めた!しかも上手くできると音がなって楽しい!」
ってな感じでしょうか?
何が言いたいかというと、リハビリも同様に「つい」やってしまう環境をデザインし、歓喜の体験までたどり着く難易度を調節してみてはどうでしょうか?ということ。
例えば、動かしにくくなった右脚のリハビリをしたい場合。
①椅子、もしくは車椅子に患者さまが座る
②療法士は右脚で蹴れる位置にボールを置く
③患者さまの正面にはサッカーのゴールを置く
④患者さまは頭の中で「ボールを蹴ってゴールに入れるのかな?」と仮説を立てる
⑤右脚で何とか蹴ってみる(施行)
⑥ボールがコロコロ転がりゴールに入る(歓喜)
あくまで一例なので、患者さまの身体能力や状況にもよりますので、上手くできるか、歓喜となるかはわかりません。
ちなみに、「つい」やってみたくなるような原動力を生み出すには、相手の心や記憶を知る必要があります。
①人々に共通する脳や心の性質を利用する
・のどが渇いたと感じて、目の前の飲み物に手を伸ばす
・道が2つに分かれていて、どっちに曲がるか考える
②人々に共通する記憶を利用する
・サッカーはボールを蹴ってゴールに入れるゲームという記憶
・鍵穴に鍵を差し込んで回すとロックが外れるという記憶
つまり、「つい」やってみたくなるリハビリって、相手が中心で考えられたものだということ。
相手目線でどういうコトやモノだと夢中になれるか。そして、どういう環境設定をすれば自然と動き出してくれるかを常に頭に置く必要があります。
自分本位から、相手本位へ。
シンプルな言葉だけど、これに尽きるなと思っています。
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