見出し画像

もうこれでいいのだよと言われた64年五輪

 東京五輪2020が「延期」となった。仕方がない。
 これまでに何度もあちこちで書いてきたが、私は五輪が嫌いなのではない。そして、誰よりも深くスポーツを愛している。「長年、体操ニッポンの宿敵として立ちはだかったソ連の選手は?」と尋ねられれば、0.1秒で「アンドリアノフ!」と答えられるし、メキシコであまりの跳躍をして飛んだ自分を信じられずアンツーカーに接吻して泣き崩れたジャンパーは?」と聞かれても、やはり0.1秒以内で「ボブ・ビーモン」と即答だろう。

 スポーツも、五輪も愛している(しつこいな)。
 スポーツも五輪も、私が愛する絵画である。
 しかし、TOKYO2020はどうしても愛することができない。
 そして、この幻に終わるかもしれないイベントは、絵画ではなく「額縁」である。醜悪なる額縁だ。理由は八百万(やおよろず)もある。

 「五輪なんか大嫌い」という友人もたくさんいる。そして、「東京五輪の”鬼の大松&東洋の魔女”とか、要はマッチョ&女工哀史でしょ?」と、吐き捨てるように断罪する人もいる。伝統の女子バレーボールについては私も異論なく、今もなおそのことで心を痛めるバレーボールファンである。

 しかし、あの1964年の東京五輪には、五輪という醜悪な額縁になりやすい事態のなかに、キラリと光る、我々の未来を示してくれるような出来事が含まれている。そしてそれは「五輪というもの」がもたらすのではない。言うまでもなく「その場にいる人間」がもたらすのである。

 朝日新聞の3月21日の夕刊に掲載された「東京五輪物語」の写真は、当時物心もついていない2歳だった私も、追体験をする中で胸が熱くなるカットである(心の金メダルは、「狂喜のあまり畳を土足で駆け上がろうとしたオランダ人を、袈裟固めで神永を押さえ込んだまま右手で制したアントン・ヘーシンクの振る舞い」である)。

 朝まで降り続いた雨が奇跡的に晴れた午後2時にファンファーレと共に国立競技場では入場行進が行われた。五輪史上最多の94か国の大選手団が、五輪発祥の地ギリシャを先頭に歩いた。
 最後のホスト国、赤と白の日の丸トーンの制服を着た選手たちは、全身の神経を緊張させて、文字通り「一糸乱れぬ行進」をやり遂げた。
 全く同じ場所の同じ大地を、学徒出陣の壮行会で大学生が銃を担がされ、世界中の人間を殺しに出掛けさせられた。わずか21年前だ。兵隊のような歩き方は当時と全く同じでも(日本人はこの歩き方をもう150年もやらされている)、世界中の友人たちを集めて大運動会をすることができたのである。隔世の感がもたらす、言語化しづらい気持ちは、時空を超えて湧き出る。

 この10月10日に、日本選手団は間違いなく「労働(labor)」として陸上トラックを行進し、そしてその後「一つでも多くの”戦果”(メダル獲得!)を上げるために”撃ちてし止まん”と奮闘努力」を2週間続けたのである。

 しかし、この写真はその「労働」が、世界中の若者に促される形で「偉大なる遊戯(playing)」へと転換した瞬間を表現している。
 日本の復興を世界に示さねばならない。敗戦から20年に満たない東洋の貧乏国が本当に五輪を開催できるのかという憂慮を跳ね返せねばならない。五輪に関わる日本人は、まさに「仕事」「労働」として、この五輪の成功に全てを捧げて来たし、五輪施設の地下には、たくさんの東北からの出稼ぎ低賃金労働者の涙と汗と遺霊が残っているはずだ。

 しかし、2週間の時間は、異界としてのTOKYOにやって来た友人達のハート、我々が持ちうる偉大なるスピリットを引き出し、そのことによって「国別対抗戦」という戦争用語を意図的に忘却し、「人間の肉体の奇跡を隣人達と共有する豊穣なる時間」へと、世界言語への翻訳がなされたのである。

 それがこの写真である。
 開会式同様、天皇皇后両陛下をお迎えして、またぞろ一糸乱れぬ「行進」を予定していた大会開催本部が驚愕した、「隊列などない、友人同士が肩車で無秩序に乱入する状況」である。

 写真と記録は、後世の者達によって「自由な解釈をされるために」存在するという側面がある。だから私はこう解釈したい(誤解であっても)。

 日本の友人達よ。あなた達は、この2週間本当に僕たちに親切だったし、街は少し不自然な感じがするほどこざっぱりと綺麗だった。選手村で提供された料理は、サシーミが苦手な僕たちが拍子抜けするくらい世界中のものであふれていた。ありがとう。本当にありがとう。でも、もういいんだよ。もう「ちゃんと」やらなくていいんだ。「お国の恥にならないように歯を食いしばる」必要もないんだよ。
 僕たちは、奇跡のような2週間を一緒に過ごしたんだ。過酷な42キロを走り終わった後にアベベは息も乱さずに体操をしていた。ボブ・ヘイズは日本人のアナウンサーが言ったように本当の”弾丸”のようだった。チャフラフスカは強さと美しさが本当に目の前で融合する瞬間を見せてくれた。
 僕たちは、それを一緒に、この眼で観たんだよ。それだけで、もう僕たちは友人じゃないのか?行進なんて止めよう。
 もうどこの国から来たとか、20年前に敵同士だったとか(後処理はガヴァメントがちゃんとやらんといかんが)、国のためにとか、いいんだ。

 もうこれでいいんだよTOKYO64。

 五輪は雛型を要する。しかし、そこで演ずるのは人間だ。そして人間は色々な奇跡を起こす。それは整然とした組織と運営と施設と計画を正しく裏切るのである。

 福島の故郷へ帰れない10万人にかけるべきお金を3兆円も使った五輪計画は延期となった。次に開かれるかどうかは不明だ。長い時間がある。

 でもその長い間に、人間が起こす奇跡について、なおも静かに思いをはせたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?