見出し画像

借金発覚 第9話「自己破産はしない。ゼロパーセントだ」


0〜8話までのあらすじ

五十二歳で大手生保を早期退職した父は、退職金を元手に怪しい投資ビジネスを開始するが、一年も経たないうちに退職金は蒸発。一家は郊外に引っ越し貧乏生活を始め、十八年が流れる。そんなある日、実家に同居している次女が父の借金を発見し、兄弟たちで大騒ぎになる。兄弟たちは証拠を持って父に詰め寄り、ついに父は借金の存在を認めるのだが・・

主な登場人物

父・・・大手生保の営業マンだったが、五十二歳で早期退職。
母・・・農家出身で看護師。メンタルが弱い。
長男・・・五人兄弟の長子。既婚。地方都市に住む。
次男・・・五人兄弟の二番目。既婚。本書の主人公。
長女・・・五人兄弟の三番目。既婚。
三男・・・五人兄弟の四番目。独身の一人暮らし。
次女・・・五人兄弟の五番目。独身。父母と唯一同居。

悪いけど後のことはお前に頼むわ

話し合いの後、実家にそのままいるのが気まずくなった訪問組は、そそくさと実家を後にした。駅までの車の中で、この日の話し合いについて振り返った。

俺さ、思わず笑っちゃったよ。だって、親父、『借金他にないのか』って聞いた時、きっぱり否定するんだもん
苦笑しながら長男が回想した。
証拠がこっちの手元になかったら、絶対に白を切るつもりだったよね
車を運転する長女が続く。

とにかく、次は専門家に相談だね。弁護士事務所探さないと
僕が答えると、長男が僕を見て言った。
そこなんだけど、悪いけど後のことはお前に頼むわ

だって、俺地方に住んでるし。今日は無理して来たけど、後はお前たちで動けるだろ
何やら貧乏くじを引かされたような気がするが、物理的な問題がある以上仕方がない。僕が次のステップを引き継ぐことになった。

しかし、仕事が忙しくなってしまった僕は、弁護士事務所を探すことを一ヶ月以上放置してしまっていた。

***

今日弁護士のところには行けない

重い腰を上げて、弁護士事務所に連絡を取り、父と一緒に行く約束を作ったのは九月に入ってからだった。ウェブサイトから借金に強そうな弁護士事務所を探し、メールと電話で何度かやりとりした後、父に連絡を入れて約束を作った。
わかった
意外にも父は素直だった。

ところが訪問当日。現地に到着する三十分前に電話すると、父からとぼけた返事が返ってきた。
あれ、メール届いてない? 今日弁護士のところには行けないって、今朝送ったんだけど
約束を作った後、マメにLINEでアポのフォローを何度か入れても既読にはなるが、返信はなかった。やはり最初は「はい」と言ったものの、実際のところは断る理由を当日まで探していたのだろう。

僕はすっかり頭にきて、問い詰めた。
どういうこと? 何度もフォローメッセージ入れたでしょ?
まあ、とにかくメールを再送するから読んでくださいよ。じゃあ
息子である僕に敬語を使いながら逃げようとする父。
ちょっと待って! ちゃんと説明してよ。こっちは半休まで取って時間作ってるんだよ!
さらに問い詰めると、驚くべき返事が。
九月にお金が入る予定だから、それを使ってこちらで解決する。だからもう少し時間をください。十月七日までに解決しなければ、ちゃんと考えるから
また始まった。実家にいた時に聞き続けた「もうすぐお金が入る」。何度この言葉を聞かされてきたことか。そして、ことごとく裏切られてきたのだ。狼少年ならぬ、狼おじさん、いや狼おじいさんである。

父の話によると、九月末にお金が入るので、十月の上旬までには債権回収会社と話をつけるから、とにかく待って欲しいとのこと。とにかく自分を信頼して任せろの一点張り。

僕は強い口調で言い放った。
父ちゃん。悪いけど、父ちゃんのこと、全く信じられない。任せた結果、何も解決してないじゃん
厳しい言葉を口にしながらも、実の父親に「信用できない」と言い放つ自分に自己嫌悪を感じる。

父と電話で話しているうちに時間が来てしまったので、結局一人で弁護士の事務所を訪ねることになった。

***

自己破産はしない。ゼロパーセントだ

その弁護士事務所は、永田町から歩いて五分くらいのビルの二階にあった。アポイントメントがある旨インターホンで伝えると、弁護士の先生が出て来て、応接室に通された。

手短に状況を説明し、借金が書かれた書類を見せると、色々なことを教えてくれた。現在の債権の保有者は債権回収会社になっているのだが、その会社は、今から十五年くらい前にA社からこの債権を引き取ったと書かれている。

A社はね、最初にローンを組んだ銀行の保証会社なんですよ。この住宅ローンが焦げ付いた段階で、銀行が貸していた金額を保証していたのがA社ということです。さらに、そのA社から、現在の債権回収会社が債権ごと買い取った、という流れです
なるほど、A社がどういう役割だったのか、これで、謎がひとつ解けた。

状況を理解した弁護士先生が提示してくれた解決案のオプションは、時効、自己破産、相続放棄の三つだ。
一番いいのは時効ですね。ただ、時効の条件として、電話、メール、書面などで十年間債権者と全くコミュニケーションを取っていないことが条件になります。この方法であれば、書面を作って先方に提出するだけなので、費用も数千円で済みます

債権回収会社とのコミュニケーションと言われても、こちらは何も分からないので、その場で父に連絡してみることになった。電話すると、意外にも父は電話に出た。

今弁護士先生と一緒にいる旨と、時効の条件や費用を簡単に伝えて、もっとも最近どんなコミュニケーションがあったのかを尋ねてみた。債権回収会社に債権が移動したのはもう何年も昔のことなので、もしかするとという期待に胸が膨らんだ。

しかし、返って来た返事は
二年前に電話が来て話した
というもの。弁護士先生の顔が歪む。
二年前に電話で話してしまったとなると、そこからの起算になるので、これから八年かかります。だとすると、早期解決にはやはり自己破産でしょうね

考えてみると、債権回収会社はその道のプロなので、時効についてのノウハウは熟知している。黙って時効を見過ごすことは絶対にないのだ。債権回収会社から完全に逃げるためには、完全に雲隠れする必要がある。いわゆる夜逃げというやつだ。しかし、十年間完全に雲隠れするなど、現在の日本ではほぼ不可能だろう。

弁護士の先生に自己破産の費用を聞くと、五十万円くらいだという。兄弟たちで負担すれば、何とか支払える金額だ。

ところが、電話先の父に自己破産を勧めると、父は急に語気が強くなり、電話先ではっきり言い切った。
自己破産はしない。ゼロパーセントだ
どうして? じゃあ、どうするの、借金は
今月末に二百万円入金がある予定だから、その二百万円を払って残りの借金をチャラにしてもらう
この返事には、流石の弁護士先生もあきれ果ててしまった。
元本が八百万円、延滞遅延金を含めると一千四百万円も借金があるのに、二百万円でチャラするなんて、不可能ですよ
それでも交渉してやるんですよ。それしか払えないんですから
最早、現実と空想の間にいるとしか思えない発言に言葉を失う僕。

いや、自己破産だと五十万円支払えば解決するんですよ。それなのに、なぜ二百万円を払おうとするのですか。百五十万円が勿体無いじゃないですか
弁護士先生が電話口で説得にかかった。
自己破産すると、今の警備員の仕事はできなくなりますよね。この仕事を失う訳にはいきません
自己破産をすると、警備員をはじめ、いくつかの職種への就職が制限される。父も一応色々と調べてはいるようだ。

しかし、弁護士先生はすぐに父の主張を崩しにかかった。
確かに警備員の仕事はできなくなりますが、一時的なもので、できない期間は自己破産を申請して、受理されるまでの三ヶ月くらいですよ。その間休職して、また復帰すればいいじゃないですか

ところが、父は頑なだった。
とにかく自己破産は絶対にしない
呆れ果てた僕は、電話先の父に自己破産をするように強く迫ったが、押し問答が続くだけ。

ヒートアップする会話の中で、父が半ば独り言のように声のトーンを落としてポツリと言った。
どうしても返せなきゃ、相続放棄すればいいんだ
またか。確かに、相続放棄ならば、家族が手続きすれば借金を帳消しにできる。しかし、相続放棄は相続の対象となる法定相続人たちが、一定期間の間に手続きを完了させることが必要となる。

対象となる親族とその順番は、妻である母親、僕ら子供、両親(既に他界)、父の存命している三人の兄弟姉妹、そしてその子供たちである甥と姪も可能性がある。甥と姪に関しては、父が死んだ時に、甥や姪の父親がなくなっていた時に、相続権が引き継がれてしまう。これを代襲相続という。

百歩譲って相続放棄をするとしても、父から、法定相続人の対象となっている親族全員にきちんと説明することが筋ではないだろうか。しかし、この借金のことをずっと黙っていた父に、そんな誠意は全く感じることができない。

そもそも、三男は行方不明で連絡も取れない。また、父の兄は不倫が原因で離婚してしまっているため、母親に引き取られた二人の姪たちとは絶縁状態にある。代理で申請はできるのだろうが、申請書類が全て揃うのか、離婚の場合に代襲相続の対象になるのかどうか、きちんと確認しなければならない。万が一、手続きがどこかで失敗すれば、全く関係のない親族の誰かに数千万の借金が相続されてしまうリスクがあるのだ。

諸々考えると、弁護士先生の言う通り、早期の解決には自己破産が最も適しているのだ。

しかし、結局父の頭の中にあるのは、自分が亡くなる前に一攫千金で一山当てて、それを原資に借金を帳消しにするという夢のような計画か、それが駄目なら相続放棄という逃げ道だ。この一攫千金で一山当てる、という考えが、危険な詐欺師たちを引き寄せてしまっているとも気づかずに。

全く論理の通らない父の主張をしばらく聞いていた弁護士先生は首を横に降って僕に言った。
本人に解決する意思が全くありませんね。これ以上お話ししても無駄なので、まずはご家族でよく話をされて、前向きに解決したいようであれば、その時にまたご連絡ください
いや、もう少しお話を
申し訳ありませんが、もうお引き取り下さい
結局、三十分足らずで僕は弁護士事務所から追い出されてしまった。

怒りの収まらない僕は、LINEの借金返済グループに電話をかけた。妹二人が電話に出て、起きたことを説明した。三十分くらい話をして、次のアクションは父が自分で言った期日後にまた連絡してみよう、ということになった。

(第9話につづく)

この記事が参加している募集

サポートしていただけると本当に助かります。サポートしていただいたお金は母の入院費に当てる予定です。