借金発覚 第2話 【五十万円、すぐに貸してくれ】
主な登場人物
父・・・大手生保の営業マンだったが、五十二歳で早期退職。
母・・・農家出身で看護師。メンタルが弱い。
長男・・・地方都市に住む五人兄弟の長男。既婚。
次男・・・本書の主人公。五人兄弟の次男。既婚。
長女・・・五人兄弟の三番目。既婚。
三男・・・五人兄弟の四番目。独身の一人暮らし。
次女・・・五人兄弟の五番目。独身。父母と唯一同居。
それから三年が過ぎ、様々なことがあった。
就職していた長男は転勤で地方都市に家族で引っ越して行った。
僕の学費は、育英会から奨学金という名ばかりの教育ローンを組み、足りない分はアルバイトを三つほど掛け持ちして賄う、という形で何とか支払うことができた。当時はとにかく生きるために必死だった。大学の近くの小さなPR会社の事務のアルバイトと、家庭教師のアルバイトは特に割りが良く、本当に有り難かった。 何とかやっていけたのは、実家に住んでいて家賃を支払う必要がなかったからだろう。
アルバイトが忙し過ぎて就職活動に出遅れた、というのは僕の言い訳かもしれないが、当時は、四年生の春には多くの学生が内定を貰って就職活動を終えていたにも関わらず、僕はとにかく就職活動に苦戦した。
思い返すとこの時期が大学生活で一番苦しかった。スケジュールの不安定な就職活動生はアルバイトをするのも難しく、少ない貯金を切り崩しながら先の見えない就職活動を続けるのは精神的に本当にきつかった。
しかしそれでも、何とか大学四年生の夏に安心して働ける上場企業から内定をもらうことができた。大学のすぐ近くにあった、情報システムの会社だった。そして、社会人になってからは、結婚して実家を出るまでの間、家賃の半額程を僕が負担することになった。
長女は高校卒業後は建築関係の専門学校に通っていたが、専門学校は非常に忙しく、長女は僕のように複数のアルバイトを掛け持ちするような余裕もなかった。年間百五十万円という学費は、当時の家計の大きな負担だった。
三男は夜間の大学に入り、昼は働いて自分の学費を賄うようになった。夜間大学の学費は昼の大学の半額。しかも、昼は朝から夕方までフルタイムで働くことができる。安いアパートに住めば完全に自立できると踏んだ三男は、早々に実家を出て自立してしまった。その意味で、三男は長男を除く兄弟たちの中で最も自立していたと言える。
末の妹の次女だけは、当時高校生で自由気ままな高校生活を楽しんでいた。本人曰く、この頃はまだ無邪気に父の仕事のことを信じていたとのこと。
母は看護師資格を使って、一家の家計を支えるようになった。何もスキルがない主婦であったら、時給八百円のパートにでも甘んじないといけなかったのだろうが、看護師資格のお陰で、企業向けの健康診断を提供する会社に契約社員として就職し、時給二千五百円という高い時給で働くことができた。五十代の主婦としては破格の待遇であろう。この頃から、実家の家賃などの固定費を母が払うようになった。
それでも生活は決して楽ではなく、僕たち家族は築四十年の団地の三階に住み、一時期はテレビも、掃除機も、洗濯機もないという有様だった。僕が寝ていたほぼベットしかない狭い部屋は蛍光灯もなかった。何度か、数千円で買えるのだから買わないのか、母に聞いて見たところ
「ほとんど寝るだけなのでいらないでしょ」
との答えだった。今考えてみると僕が自分で購入すれば良かったのだろうが、当時の僕はお金を使うことを極度に恐れるようになっていて、数千円の買い物ですら躊躇するような状況だった。
洗濯機がなかった時期は、コインランドリーに行くこともなかった。たらいにお湯を入れて、洗剤で手洗いしてから、脱水は手で絞るという、原始的な方法を使って洗濯する母の姿は忘れることができない。
車は一応持っていたが、大学生の友人が転居する際に僕に無料で譲ってくれボロボロのスズキの灰色のセダンだった。元々は父の名義でトヨタのクラウンに長い間乗っていたが、車検を通すお金がなくなって、手放したのだ。そして、団地に引っ越して生活が落ち着いた後に、友人からスズキのセダンを貰い、母親の名義で我が家の車となった。
ただ、両親も含め、誰も自分のポケットマネーを使ってガソリンを入れたがらないため、ガソリンのメーターは常に最後の1メモリ。どうしてもなくなると、仕方なく母がガソリンを入れていたが、満タンにすることはなく、常に「二千円分お願いします」といったオーダーだった。
後で聞いた話だと、父は自分の姉に加え、母に頼み込んで、母の姉からも二百万円ほど借りていたらしい。家族の生活費は母がその多くを支払っていたのだが、母の収入から生活費を除いた余剰分は、こうした借金の返済に全て当てられていた。さらに、母は父の勧誘で被害を被った僕と長男の補填も少しずつだがしてくれるようになった。
その間、父はといえば、何もしていなかった。いや、忙しそうにしていたが、相変わらず怪しいビジネスを追いかけ続けていて、まともに働こうとしていなかった。
後で振り返ってみると、これは、母が時給二千五百円という待遇で働くことができた功罪だと思う。母の給与で家賃や食費の支払い、借金の返済ができたことは家族にとっての大きなメリットだったが、一方、父に怪しいビジネスを追いかけるゆとりを与えてしまったからだ。
僕が覚えてる限り、当時の父は、二つの巨大(?)プロジェクトに携わっていた。
一つは、インドネシアの王族が持っているという金塊を日本に持ち込むビジネスだ。無職の元サラリーマンだった父とインドネシアの王族にどんな接点があったのか理解不能だが、当日の父は、先生と父が呼んでいた人と一緒に、頻繁にインドネシアに飛んでいた。
「信頼できる人を探していると言われて、自分に声がかかったんだ」
ある時自慢げに話す父を見て僕は、ああ、その人は「カモり易い人を探していた」のだな、と理解していた。もちろん、家族も白い目で父を見ていた。ある時インドネシアに片道切符で渡航した父は、帰りのチケットが購入できずに母が帰りのチケットを手配したこともあった。
もう一つのプロジェクトが、旧日本軍が隠したとされる隠し資金を探し出す事業だ。ある時父を問いただすと、父は声をひそめて僕に事業の重要性を語った。
「旧日本軍が持っていた隠し資金があって、戦後GHQに接収された後、日本政府の裏資金になっているんだ。実は日本経済を動かしているのはこの巨額資金なんだ。ただ、このお金は表に出せないから、いろんな手続きを助けて、表に出す手伝いをしてるんだ」
ちなみに、この旧日本軍の資金は、M資金と呼ばれる有名な詐欺の手口で有名だ。ネットで調べると色々と出てくる。
さらに、当時の次女の日記には、父から聞かされた秘密の話として、次のようなことが書かれていた。
「パパ、裏組織、名称ヘッドクォーターに入ってるらしい。全国で四十人くらいしかいない組織。裏の世界では何千兆円ものお金を動している。下手にパパが情報を流すと殺されることもあるらしい。日本の企業が世界的に大きくなるために手助けをする仕事。大手生保の副社長もその組織に入った人がいるがブローカー行為をして裏の力によりただの取締役まで下げられた。T総理も組織の秘密を知ろうとしたために、殺されてしまった。この事件の一週間前には秘書も殺されてしまった。ちなみに給料は何個かのプロジェクトを終わらせれば六千万入る。証拠として、大蔵省の一枚五百億円の小切手のコピーを見せてきた」
なぜ父のような、保険会社の万年課長で早期退職したような人物にこんな話が来るのか疑問しか浮かばないし、殺されたT総理は、膵臓癌にかかり最終的に呼吸不全のため亡くなっていることは誰でも知っていることだ。
父が詐欺師に振り回されていることはあまりに明白だった。だいたい、どの話もあまりに荒唐無稽すぎて、まともに信じてしまう父の気が知れなかった。
おかしなビジネスや投資話を追いかけるのに忙しくて、まともに働かず、家にお金を入れようとしない父を見て、何度も諌めた。しかし父は全く聞く耳を持とうとしないので、僕を含めた家族は父と関わるのが次第に嫌になって、そのまま放置するようになった。
父にお金を貸す人はいないだろうし、投資する原資もないはずなので、実害はそれほどないと思い、関わるのが次第に馬鹿らしくなってしまったのだ。父も、そんな家族からの評価を感じてか、少しずつ距離を置くようになってしまった。
後に僕が預かった母の日記には、大金が入ると約束しては入らず、父への落胆と怒りを覚え母の葛藤が何度も出てくる。
この頃からだったか、母は父について次のように言うようになった。
「お父さんはね、生きていてくれるだけでいいの」
生きているだけでいい。それほどまでに期待値を下げなければ、心の折り合いをつけられなくなった母を本当に不憫に感じた。
そんな父が、血相を変えて僕のところに来たのは、社会人一年目が終わり結婚を数ヶ月後に控えた頃だった。
父は、いつになく強い口調だった。
「すまんが、五十万円、すぐに貸してくれ。家のローンの支払いが厳しいんだ」
父は、バブルの高い時期に、とある路線の終点駅からバスでさらに數十分という場所に戸建てを買っていた。何でも、将来電車の路線が近くまで伸びる、という噂があったようだ。しかし、前述のように便利な社宅に住むことができたため、長い間賃貸で貸していたのだ。
僕は、過去数年間の父とお金にまつわる様々な出来事を思い出し、はっきりと言った。
「絶対に嫌だ。今の貯金は結婚資金だよ。父ちゃんに貸しても、返って来るとは到底思えない。だいたい、賃貸で貸してたんでしょ」
「実は家賃相場が下がって、ここ数年はずっと赤字なんだ」
そもそも、退職金が出た時に、残債をそのお金で支払うべきだったのに、怪しい投資に退職金をばらまいて失った挙句、その後もまともに働きもしない。そのくせお金に困ると借りに来る。
「とにかく、絶対に嫌だ」
僕は父を突き放した。
父は寂しそうに目をそらし、そうか、と言って話は終わった。
この会話の数ヶ月後、この戸建てが競売にかけられて二束三文で手放すことになった、という事実を聞かされたのは、この時からさらに数年後のことだ。
(第3話に続く)
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