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借金発覚 第1話 【実は、来月の家賃が支払えないんだ】


主な登場人物

父・・・大手生保の営業マンだったが、五十二歳で早期退職。
母・・・農家出身で看護師。メンタルが弱い。
長男・・・地方都市に住む五人兄弟の長男。既婚。
次男・・・本書の主人公。五人兄弟の次男。既婚。
長女・・・五人兄弟の三番目。既婚。
三男・・・五人兄弟の四番目。独身の一人暮らし。
次女・・・五人兄弟の五番目。独身。父母と唯一同居。

来月の家賃が支払えない

大学二年生が終わりかけていた冬のある日。家族を集めた父の口から出てきたのは当時の僕には衝撃的な告白だった。
・・実は、来月の家賃が支払えないんだ

保険の営業マンとして長い間働いていた父が退職する決意を伝えてきたのは一年ほど前のことだった。父が二十二年間という期間の大部分の時間を過ごした会社との別れだった。

東京出身の父は、若い頃に地方の三流大学の夜間部に通った。学部は法学部。夜間に通っていたのは、すでに結婚して子供が生まれており、日中は生活費を稼ぐ必要があったからだ。

日中は仕事をして、夜は大学に通う。それだけでも忙しいのに、スポーツ好きで体力に自信があった父は、大学では柔道部に所属し、週末は草野球に精を出すという多忙を極める生活スタイルだった。幼い子供二人を抱えた若妻の母は、一向に自宅に帰ってこない父に不満を持ち、周囲の人によく相談をしていたらしい。

色々と苦労した末、大学を卒業した父は、日中働いていた会社でそのまま働き続けるのかと思いきや、転職をしてしまう。父が働いていた会社は、父の説明によると、外資系の倉庫の管理会社で、給料はいいのに休みは多いという、とても恵まれた待遇だったらしい。しかし、大学卒業と共に、父はこの恵まれた環境をあっさりと手放してしまう。
「なんか、物足りなくなっちゃったんだよな。もっと大きなことに挑戦したくて」
そう後に回想した父が転職した先は、大手の保険会社の営業職だった。

当時は高度経済成長の時代。モーレツに働く企業戦士がもてはやされていた時期だ。父も多分に漏れず、早朝から終電まで、月曜日から土曜日まで働き続けた。日曜日は自宅にいても、疲れて眠っている父の記憶しかない。忙しい時期は、日曜日も午後から仕事に出かけて行った。

当時小・中学生だった僕は、父と遊んだ思い出を鮮明に覚えている。なぜなら、自宅にほとんどいなかった父と過ごした時間というのが、滅多にない珍しい出来事だったため、人生の希少経験として僕の記憶に刻まれているからだ。

体力に自信があった父は、熱心に働き続けた結果、順調に実績を上げ、順調に出世の階段を登っていった。そう営業課長になるまでは。

僕が中高生になった頃、父が時折こぼしていた愚痴は次のようなものだった。
また、年下の総合職上がりの上司が来たよ。現場のことも何も知らないくせに
父が働いていた大手保険会社は、高学歴の新卒を総合職として採用していた。彼らは、将来の会社を担う幹部候補として入社したエリートたち。一方、学歴もない叩き上げの父のような営業マンたちにとって、営業課長はその会社でのキャリアの終着地点だった。

父は、営業課長として十数年働き続けた。月曜日から土曜日まで猛烈に働きながら、ゆっくりと、だが着実に擦り切れていく父の後ろ姿を、思春期の僕は見ていた。

しかし、万年課長と言っても、そこは大手保険会社。待遇も良く、福利厚生も非常に充実していた。父が課長になってから退職するまで、僕らが住んでいたのは戸建ての社宅だった。また、僕が社会人になってからこっそり聞いた、当時の父の年収は、一千五百万円という、驚くほど高いものだった。

この話を聞いた時、同時に怪訝に思ったのは、母の「お金がない、お金がない」という愚痴だった。確かに兄弟が五人いた我が家は、出費も多かったのだろうが、父の年収と生活がどうも釣り合っていなかった。当時父が稼いでいたお金はどこに消えていたのだろうか。

父が仕事をやめると言い出したのは、僕が大学に進学して一年生が終わった頃だった。父は五十二歳になっていた。
不整脈が出たんだ。もう体力の限界だ。これ以上この会社で働くと、俺も早死にすると思う

父の話によると、同じ職位で働いていた同僚や先輩たちが、ここ数年で心筋梗塞やらなんやらで続けて亡くなっているのだという。そんな折に、自分の体に発生した異変は、父が決意を固めるのに十分な出来事だった。命を担保にされては、家族は何も言うことがない。

そして、父は二十二年間働いた保険会社を退職した。その後にどんな人生が待っているのかも知らずに。

我が家は社宅に住めなくなったため、都心に近い戸建ての賃貸住宅に引っ越すことになった。そのエリアは、いわゆる高級住宅地で、その一角の戸建を賃貸で借りることになった。当時実家に住んでいて、一緒に引っ越したのは、両親と四人の子供たちだった。長男の兄は数年前に結婚して自立していた。

二十二年働いた父の退職金は、三千万円ほどあったらしい。父はその退職金の半分を現金で、もう半分を老後の企業年金として受け取ることにした。突然手に入った多額の現金。このお金がものすごいスピードで、父と僕らの生活を壊して行くことになるとは、この時は知る由もなかった。

サラリーマンはやめたが、忙しそうに家を出ていく父に、ある時僕は今何の仕事をしているのか聞いてみた。父は声を潜めて教えてくれた。
実は、六百万円出資して、ある会社の役員になったんだ
額に驚く僕に、父は自慢げに鞄の中から巨大なU字磁石を取り出した。
これはな、強力な磁力で、水を磁化を持った『磁化水』に変換する磁石なんだ。これを水道管に取り付ける。簡単だろ。この磁化を持った『磁化水』を飲むと健康になるんだ
当時、ビジネスのことなど何も知らなかった僕だが、怪しすぎる商品に不安がよぎった。

また、この頃、僕と兄は父に誘われて、父も最近会員になったというネットワークビジネスのセミナーに参加することになった。このネットワークビジネスは、ピュアティクラブという会員制の通信販売を行う事業で、自分の下位の会員を増やすと、その会員が購入した商品の購入代金の一部が入ってくる、というものだった。

これだけなら、普通のネットワークビジネスと変わらないのだが、セミナーの最後に、熱弁を振るっていた社長が言ったのは、会員になるためには、スターターパックのいずれかを購入する必要がある、というものだった。このスターターパックはいくつかの商品がオプションとして並んでいたが、どれも四十万円という高額なものばかり。こんなもの、支払えるわけがない。

実際、この説明がされた途端、周囲の数人は
「なんだよ、結局そういうことかよ」
と捨てゼリフを言って帰ってしまった。

僕と兄がセミナー後に迷っていると、父を誘ったと思われる知人が近づいてきた。背の高い、頭が薄くなった細身の五十代と思われる男性だった。
「怪しい」
その男性の目つきを見て、僕の心に警報が鳴った。

その知人は僕と長兄に猛烈プッシュを始めた。父は黙って聞いている。結局、その知人は分割払いなら支払えるでしょ、と言われ、父からも
心配するな、俺がちゃんと払ってやるから。名前だけ俺に貸せ
と保証したので、押し切られた兄と僕は高額な羽毛布団のセットをローンで購入してしまった。そして、この購入によって、毎月一万三千円ほどが僕の口座から引き落とされることになった。商品代金四十万円に金利の支払いがつき、総額五十万円以上の支払いとなったが、この当時は、僕も長男も父が毎月お金を僕らの口座に入れてくれることを疑っていなかった。

この当時、父に頼まれて加入したものがもう一つある。保険の契約だ。
父は、色々なビジネスに手を広げていたが、日銭を稼ぐために、外資系生命保険会社のフルコミッションの代理店事業も始めていた。しかし、サラリーマン時代のような情熱も時間も保険を売ることに傾けられないのか、日に日に成績は下がるばかり。ある日、父は僕と長男に泣きつきてきた。
名義だけ貸して保険に加入して欲しい、毎月の支払いは俺がちゃんと入金してやるから
僕と長男は父の頼み通りにすることにした。

この保険の支払いは保険としては結構高額で、毎月の支払いは一万五千円くらいだったと記憶している。単なる大学生が入る保険としてはありえない金額だったと思う。

かくして、高額羽毛布団の分割払いと保険料、合わせて三万円弱のお金が毎月僕の口座から引き落とされるようになった。当時大学二年生で、履修クラスの多かった僕は、アルバイトをする時間にも限界があり、毎月五万円ほどの収入しかなかった。

最初の数ヶ月は何も問題はなかった。父が約束を守り、お金を定期的に入金してくれたからだ。しかし、時間が経つにつれ、父からの入金は次第に滞るようになった。

アルバイト先から入金が入った二日後に、半分以上が蒸発する訳だからたまったものではない。家で父を見つける度、僕は入金の催促をするようになった。催促をすると、その瞬間だけ払ってくれるが、また延滞する、ということを何度か繰り返し、しばらくすると全く振り込んでくれなくなった。

また、九月に入り僕が非常に焦ったのは、父が後期の大学の授業料をなかなか支払ってくれなかったことだ。何度もお願いして、ようやく父が大学に支払ってくれたのは、納入期限の直前だった。

冬になると、父と母は感情的な話し合いを頻繁にするようになった。決して子供たちの前では話し合いをしようとはしなかったが、僕ら子供たちが寝た後、父母の部屋から二人の話し合う言葉が時折漏れ聞こえてきていた。

・・・・話が違うじゃないの
仕方ないだろう。・・・と・・・の支払いが・・・
いいえ、私は・・・きません

どうも、父が母に専業主婦をやめて働きに出るよう勧めているようだった。母は、若い頃に看護師をしていたのだが、出産を機に看護師をやめ、その後は長い間専業主婦をしていた。母は次女が小学校に上がるときに現場に一度復帰したが、数年で体調を崩してしまったため、再び働きに出ることにずっと躊躇していた。父はその母からの収入を当てにしたいようだった。

また、後から当時高校生だった次女に聞いた話では、自宅で次女が父に会うと、ちょっとお願いがあると呼び止められ、
「六万円貸してくれ」
と頼まれたらしい。当然そんなお金はないと断ったらしいが、父は女子高生だった次女にお金をたかるほど、金銭的に追い詰められていたようだった。

そして、ある日の家族会議での、父からの冒頭の告白に繋がることになった。何となく分かってはいたが、あの時のショックは今でも忘れられない。父はその会議で、いくつかの決定事項を伝えた。
まず、この家は家賃が高すぎる。郊外の団地に引っ越したいと思う。ただ、引っ越し屋に頼むお金がないから、叔父さんがトラックを出してくれることになった。あと、今後家計を支えるため、お母さんもこれから働くことに同意してくれた

そして父は僕に向き直って言った。
悪いが、次男、お前の大学の学費はもう出せない。自分で何とかしてくれ
僕は目の前が真っ暗になった。

引越しの日のことはよく覚えている。叔父さんが乗ってきた屋根もないトラックに、家族で家財道具を山のように積み込み、郊外の団地に向かった。惨めだった。

(第2話に続く)

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