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#2 善悪の判断がつかなかった小学生時代を救ったのは「自己分析」だった。

こんにちは、桜花(おうか)です。
今日は、小学生の私がどのようにして失敗しないようにしたかについてお伝えしようと思います。

前回の投稿でお話しした通り、私は小学生の時に罪を犯しています。

善悪の判断力が付くのも遅かったです。それが人間関係のトラブルに発展することもあって、数回ですが小学生のころに私物を隠されたり、周りにそそのかされて悪口を書いたメールを本人に送ってしまった過去もあります。

前回の投稿より

必死で考えた2つの再犯防止策

この経験から、小学生の私は「このままではいけない」と思いました。
再発防止のためにどうすればいいのかを自分なりに必死に考えました。

その中で身につけた1つ目の手法は、自分がされて嫌なことは相手にしないということでした。

罪を犯したことを経て、やっと私は「自分がされて嫌なことは相手にしない」という人付き合いの超基礎的なことを学びました。
もちろん道徳の授業でそれまでに学んでいましたが、道徳の授業では「いかに満点の回答をするか」に注力していて、きちんと自分の中に落とし込めていなかったのだと思います。

「自分がされて嫌なことは相手にしない」ことを遂行するには、まずは自分がされて嫌なことを把握しないといけないと思い、2つ目の対策でありその後の私という人物の形成に大きな影響を与える、自己分析を始めました。自分はどんな時に嫌悪感、悲しみ、憤りを感じるのかの分析をするようになり、いつしかそれが習慣となっていました。
おかげで、自分がどんなストレスに強いのか、弱いのかは今でもきちんと説明できます。

人間不信になりかけた中学3年生時代

もちろん、そこに行きつくまでにたくさんの困難がありました。
中学生、特に中学3年生のころは、私にとって地獄と言える期間でした。今でも戻りたいとは思いません。たった一人のクラスメイト、Iさんの影響で、地獄と化した期間でした。
陰口や悪口といった思春期の女子特有の文化が受け入れられなかったのです。

ここで、一つの矛盾点が、皆さんの中に浮かぶのではないでしょうか。
「いやいや、小学生のころに自分も悪口を送ってたんじゃないの?」と。
その時の失敗によって、拒否反応を示すようになったのだと思います。
中学生の時から今でも、陰口や悪口に便乗するのは苦手です。

中学生時代の私は、周りがなぜ悪口を言っているのか、そこまで嫌うところがあるのか、何もわかりませんでした。
私はその子の個性だと思っているところを、Iさんは悪く言っている。馬鹿にしたような口調で、本人のいないところで話している。
そして本人が戻ってきたときには、何事もなかったかのように笑って接する。
どうしてもその二面性が受け入れられませんでした。私は、Iさんも、友達だと思っていたはずの同じグループにいたほかの2人も、信じられなくなっていました。特にIさんのことは今でも苦手です。
中学生の私がIさんとどのように関わっていったのかは、明日の投稿で書こうかなと思います。

再犯防止策の効果

過去を振り返ってみて、「自分がされて嫌なことは相手にしない」「自己分析をする」という2つの対策は、中高生時代を生き抜くうえで成功だったと思います。それらを続けることで、高校生のころには「性格いいね」と言われるようになったからです。(またこれからの投稿でその背景にも触れたいと思います。)

特に自己分析に関しては、登下校の時間がちょうどいい考える時間でした。中学は電車通学で約20分、高校は自転車通学で約30分。1人でいれるその時間は、よく頭を整理するのに使われていました。

自分のストレス耐性を把握するという意味でも、特に自己分析は役立つと思います。書き出さなくてもいいです。ただ、「自分の感情の理由」について、思いを巡らせるだけで十分です。

気が向けば、やってみてください。


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