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新聞を紙面で読む価値とは何か?それは“終わり”があることだ

まず初めに、僕は偉そうに新聞について語れるような人間ではありません(笑)。これまで新聞を読む習慣を身につけようと試みたことはあるのですが、結局3日坊主で続きませんでした。

そんな人間ですが、ここ数日改めて朝の時間にタブレットで新聞の電子版の紙面を意識的に読むようにしてみました。そのなかで気づいたことをメモとして残しておきたいと思います。

情報収集には終わりがない(無限地獄)

僕はオンライン上でニュース記事などを読むのが苦手です。なぜなのかを自分で考えてみたのですが、それは恐らく「終わりがないから」だと思います。

たとえば、ニュースアプリを開くと「政治」や「経済」など色んなタブがあります。そのなかから自分が興味を持っているジャンルを固定しておくわけです。しかし、ここに落とし穴があると思うのです。興味があるジャンルだからこそ、見ようと思ったらいつまででも見ていられてしまう。下にスクロールしていっても、そこに終わりがないのです。

僕はこれがストレスでしかありません。ただでさえ情報に溢れるこの時代ですから、たとえ興味があることでもすべてを知ることなんてできるわけがありません。

新聞の紙面には“終わり”がある

その前提で考えると、新聞の特に紙面は実に合理的だなと思いました。というのも、その1日に読むべき情報がすべてそこに詰まっていて、さらに完結しているのです。

もちろんもっと読みたい情報があれば他に行って探せばいいですが、そのプラスアルファについては自発的に取りに行けばいいだけです。

キュレーションこそ新聞の大きな価値

普通に考えてめちゃくちゃ当たり前のことですが、新聞の紙面を改めて読むことで、「ひとまずこれだけ読んでおけばいい」というのが最強だと感じました。

新聞はもちろん入念な取材による質の高いコンテンツが魅力です。ですが、実はキュレーションこそがこの時代にさらに価値を増す部分なのかもしれません。

紙面には当然ながら限りがあります。だからこそ必要な情報を過不足なく編集し、届ける。最近インプット過多だなと思っている方には、ぜひ今こそ新聞を紙面で読むことをおすすめしたいなと思いました。

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