見出し画像

週刊オカダ 5月18日号

今週も読書記録と考えたことです。

分かりにくいものと生きること

 パネルを先週の木曜日に事務局に提出したことで暫し卒制とはお別れである。なんとか1年間卒制が人の目に触れる権利を得た結果、色々なことがゴチャゴチャしたことはなんとなく知っている。最後の方は自分でも何をしているのかよく分からなくなっていたし、考えたこと以外の部分に言及されることがあまりに多かったからなんてものを生み出してしまったんだ、と頭を抱える日々だった。 
 私がかなりの説明下手であることを除いても分かりにくい卒制だったと思う。領域では分かりやすい努力の積み重ねを見せたことで評価してもらえたと思っていたから、色々な場で理解されないことに少し傷つきながらも納得してきた。それよりもこういった状況を作り出してしまったことの方が引っかかっていて、大学院を出るときにはもっと分かりやすいものを作らないといけないと思っていた。
 社会では分かりやすいものが好まれる。しかしそれらを眺めているうちに自分が分かりやすいものに囲まれたところで幸せだと思えない厄介な人間であることに気づいた。そう考えると卒制は自分らしいし、必要なときに時間をかけて説明していけばいいのだと思い直すことができた。
 人に伝える方法はこれから身につけていくとして、分かりにくいことを考える時間も大切にしていきたい。こんな宣言をしなくともどうせまた分かりにくいことをすると思うけれど悩みながら自分のものの見方を見つけたい。


遅くまで大学残ってますね〜と言われることが多いのですが、ボスの関係ないセルフブラックなのが怖いところです。ずっと大学と家の往復かつ話すメンバーも固定なので視野がどんどん狭くなっている気がします。できる限り研究室に縛られず過ごしていきたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?