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同調圧力

 こんにちは。国際結婚して中国移住したエンジニア→研究員、KOです。
主に3つのマガジン、コラム上海現地採用ライフ物理・科学(基本やさしく)を書いています。

 最近、科学ネタや硬い話が続いたので、コラムとして別の話をしたいと思います。以下、全部私の感覚的な話なので、ふーん、と言うくらいに読んでください。

 私はまだnoteを始めて1ヶ月ちょっと。そんな中で、ずっとストーキングしているのが華村さん。中国人と結婚して中国に住むという点で先輩であり、いろんな経験や苦労をされており、かつ話が面白いこともあり、定期的に読んでいます。
 いつもはとても共感する事が多いですが、今回はそれだけでなく色々と考えさせられたので、それをまとめたいと思います。多少なりとも違う視点や考えを得られたら幸いです。

 ざっと私の理解をまとめると、真鍋淑郎さんの同調圧力コメントについてで、海外の国々でも「空気を読む」けど海外在住の日本人はそれを要求されないから気付きにくいだけ、そしてそもそもそれぞれ事情があって何かしらトレードオフがある、ということだと思います。あるいは、加熱する「日本人は同調圧力がー」論もいいけど、そろそろ冷静になろう、という呼びかけといったところでしょうか。

 まず私の立場は先ほど申し上げた通りで、概ね同意ですが、これまでの経験上、やはり真鍋さんの感覚にとても共感する点も多くあります。おそらく私もどこかで、真鍋淑郎さんのインタビューをいいねしたと思います。

 ただ、日本が通り一辺倒に悪い、というつもりはないですし、おそらくこれは結局、その人の好みと感覚の問題だと思います。後で話しますが、日本は日本でかなりいいところだと思います。結局問題なのは、時々メディアやネットで見かける極端なケースだけだと思います。

同調圧力ってなに??

 そもそも同調圧力という文字を見ると、ずいぶん捉え所がないように感じます。なぜならば、そもそも人は発言するとき、露骨であるかないかは別として、非常に多くの場合は自分の意見や感覚を主張しているし、相手の考えが違うと思えば反対するからです。そしてそれはまさに、相手に自分の考えや感覚を理解して欲しい、という欲求が背後にあるのではないでしょうか?

 シリアスな内容でなく、ある程度の違いを受け入れる余地がある話題であれば、むしろその違いを楽しむ余裕がある時もあると思います。

 一方で、そういった自己主張はアメリカ人の方が強い、という認識を持っている人が(正しいかは置いといて)多い気がします。そう考えると、同調圧力はアメリカの方が強いとも言えるのではないかと思いました。しかし実際の認識は逆ではないでしょうか? じゃあ同調圧力ってなんなんだ、というのが私の最初の疑問でした。

みんながいう同調圧力って、個人の行動様式に対する話?

 そこでまず最初に思ったのが、日本のダメな点として捉えられているのは、よりプライベートに近い、個人的な行動様式や生活習慣に対する干渉のことを言っているのではないか、ということです。「みんなこうしてるでしょ!あなたもこうしなさい!」というやつです。あるいはより抽象的な意味でのプライベートスペースの侵害です。特に私が嫌なのが、明確な合理性がない場合。そして私が共感する問題点はまさにここです。

 私が以前働いていた会社は、アメリカ企業だったこともあり、アメリカ的な文化と日本的な文化の融合した、とてもいいところだったと思います。ちょうどよく個人主義的で、他人のやり方にいちいち細かく干渉しすぎないし、同時に協力的な関係が維持できており、上下関係はもちろん厳然としてあるけども、ある程度人としてお互いに尊重する文化がありました。

 そんな中でももちろん、ビジネス上、アメリカ人流の空気の読み方、もう少し丁寧にいうと、建設的な関係を維持するためのプロトコルはありました。特にアメリカ側と一緒に仕事をするとき、彼らは直接的にネガティブな言い方や批判はしません。うがって言えば婉曲的、よく言えば建設的にいいます。そして人によっては形式的な場合もありますが、相手の仕事を讃えたり褒める言葉を付け加えることが多いです。無秩序になんでも言えるわけではないです。

 ただ、上にあげた人たちは一大手企業の、多くは開発に関わるえらい人たち、あるいは他部署のキーパーソンだったりと、ぶっちゃけかなり教育レベルの高いと思われる人たちであり、おそらく街でランダムに会う平均的な人とはだいぶ違う可能性は高いです。

であれば確かに「海外」はいい面もある

 しかし私の感覚だと彼ら(ざっくり海外)はやはり、少なくとも個人のレベルでは、あまり他人の細かいやり方にいちいち干渉したり、露骨にコントロールしようとしたりはしない気がします。それはそもそも社会の多様性が高すぎて、あまり気にするのもしんどいし、あまり本気になっても無駄だという感覚があるから、結果的にさっぱりした関係になるのだと推測しています。

 実は私の妻も昔、似たようなことを言っていました。彼女は5年以上、非常に国際色豊かな研究機関にいました。その後に日本に来たわけですが、日本には、見えない上に厳しいルールがありすぎて、不自由で窮屈だ、と言っていました。彼女からしたら、対戦車の地雷だらけと言う感じでしょうか。
 最初はうーん、どうだろう、という程度の認識でしたが、何度も中国と行き来しているうちに、言っている意味がはっきりとわかってきました。
 細かい経験や雰囲気の積み重ねなので伝えるのは難しいですが、日本よりはるかに人々が自分流の人生を正々堂々と謳歌しているような気がします。例えば食べ方のマナーであったり、公共の場での振る舞い方をみても、こうでなければいけない、と言う固定概念がかなりゆるい気がします。私個人の問題かもしれませんが、自分で勝手に周りの顔色を伺って自分の行動を縛り、妻にはしばしば、そんなことは誰も気にしないよ、と言われます。

 中国では確かに、街の真ん中で政治を叫ぶことはできないですが、「普通に暮らす上ではむしろ中国の方がずっと自由に生きれる」、と言う彼女の言葉は、一個人の意見とはいえ考えさせられました。
 これはほんの一例。彼女の職場に何度も入った事がありますが、ある男性は、夕方くらいからしばらくの間、幼稚園児くらいの子供に自分の部屋で遊ばせていました。私の知ってる人たちはよく、ルール上大丈夫やろ、と思う範囲でめちゃくちゃ柔軟(自由)に行動します。

海外は同調圧力に負けないだけ?中国の例

 私が一番注目すべきだと思うのはこれです。何かを主張したり、しゃべったり書いたりと、発現の仕方は違うけども、同調圧力は根源的なところでは同じような気がします
結局みんな同じ人間。すぐ隣に何を考えてるかわからない人がいたり、全く違う行動パターンの人がいるのは、普通に考えたら色々とリスクが高いです。

 このように広い意味で同調圧力を捉えるならば、これは避けられないことだと思います。ただし、そこに平和的、人道的なルールがあるべきなんだと思います。つまり力で押し付けないこと、当然ながら非暴力的であること、相手が自らこちらの優位性を納得して自ら選択できることなど。残念ながら国になると殺してしまえになってしまうのが現実ですが。。

 しかしその同調圧力に対する私たちの向き合い方は色々あると思います。つまる所、海外や中国で人々がより”好き勝手”に、自由に生活しているように見えるのは、彼らが単にそれを選択しているからではないでしょうか。

 中国には、もちろん大人しい人から血の気の多そうな人まで、色々いますが、日本ではまず滅多に見ない光景を目にする事が割とあります。それはたった一人でめちゃくちゃ主張する人。昔、公安に対して散々文句を言ってる人もいましたし、上海で隔離が空けてロビーに降りたら、女性がたった一人で、5、6人の職員に向かって、飛びかからんばかりに文句を言っていました。たまたまそこにいた日本人に事情を聞いたら、全く持ってご最もな主張でした。意見を主張する文化があるからこそ、少数ながらもそういうガッツのある人がいるのかなぁ、といつも思います。

 出る杭が打たれると言うのもありますが、多少叩かれても出っ張ったまんまでいる図太さも時には大事。数%の人がニヤニヤしながら見てきても過度に気にしない、10%位の人が反対してきたら振り返って反省してみる、50%くらいに反対されたら大真面目に反省してみる、くらいで良いのかもしれません。

で、日本人は?

 私の好きな映画、「マイ・インターン」のアン・ハサウェイの言葉を借りると、私から見た日本人は"observant"。これは作中にてロバート・デニーロ演じる老紳士のインターン生に向けて、イケイケ女社長が放った言葉です。この老紳士は相手を(悪く言えば)キモいくらいよく観察して、さりげなく好みなどに合わせて気を配ることができて、実際は最高にカッコいいんです。ちなみに最後には、若いイケイケ女社長もこの老紳士の良さに気がついて、お互いに理解が深まったんだったと思います。

 私は、平均的な日本人がこの老紳士のようにカッコいいとは思わないし、これは日本人だけじゃないですが、間違いなく相手を思いやるいい文化を持っていると思います(ままやりすぎてお節介だと感じる事もあります)。実際、自分が知っているほとんどの海外の人たちからは絶対に期待できないような、心が暖かくなるような気遣いを感じることがよくあります。そしてだからこそ、それが縛りになって、あまり”身勝手に”自由に振る舞うと、え、なんで? となることがあるのかもしれません。

 私の感じるお節介ポイントとしては、出る間際にエレベーターの閉ボタンを押す、エレベーターで数人しか乗ってないのに開ボタンを押してみんなが出るのを待つ(先に出ればいいのに......たまに私もやりますが)、ビールを注ぐ、などなど。

 確かに、であれば確かに「海外」の方が......の節の立場から言うと、よりプライベートに近い個人の行動様式に口を出し始めたり、同じ行動様式以外を受け付けない態度になった時に問題が起きる気がします。これはもしかすると、日本人の優しい気質が陥りやすい罠かもしれません。

 あるいは前節の立場から言うと、こういった雰囲気は、実は叩く人が悪いわけではないかもしれません。そもそも発言は、侮辱や(上司などの立場を利用した)理不尽な攻撃でなければ最大限許されるべきです。結局、同調圧力の中でみんながお互いの顔色をジロジロ見ながら発言する雰囲気を作っているのは、出っ張って叩かれるのを恐れている人たちの責任でもある気がします。

 また私の前職の話になりますが、上司やシニアより早く帰れないと言うことは全くありませんでした。部署や職種にもよりますが、私の場合は早く帰るときもあれば遅い時もある。病院やら市役所やら、何かしら理由があれば午後から行くことも、早退することもしばしば(トータルの残業はそれなりにありましたが)。制度や職種にもよりますが、人それぞれ事情があるからそこはとやかく言われませんでした。飲み会だって別に出るも出ないも完全に自由です。どんな類の飲み会でも、新人だろうとなんだろうと、都合が合わなければ普通に出ません。だって都合が合わないんだもん!そりゃ次に都合が合えば(そして行きたければ)行きますよ。え?普通でしょ??

まとめ

そもそもの「同調圧力」と言う言葉が、何に焦点を当てるかによって意味合いが変わるし、恐らく人によってその強弱が違うのではないかな、と言う点が気になりました。
話題の「日本人は同調圧力が......」についての私の感覚としては、やはり日本人は勝手に気を遣って、そのマナーを勝手に返してくれると、相手の行動に期待しすぎだな、という気はします。そして、期待を裏切らないように、あるいは出っ張って叩かれるのを過度に恐れすぎて、結果的に閉鎖的な雰囲気を作る当事者になっている時もある気がします。でもこれは、日本人の、相手に関心を持って親切にするいい面から滲み出てくるものなのかもしれません。

 そしてここまで書いといてひっくり返すようですが、やっぱりコミュニティーや社会的属性などによって本当に様々です。一括りに日本人、外国人(雑!)、と言うのは難しいです。以上、多少、国際的に人と関わることがある立場からの雑文でした。

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