タカスと非タカス 根拠不明確なものにどう向き合うのか そして、S層とサニワメソッド(R6/8/25追記)
タカスと非タカス。國體ワンワールド(OWと略)史観以外では聞かない独特な言葉。ハマる人はこの二元論に魅了されているといっても過言ではありません(一部のタカスの人々にとっては安心して聞いていられる話ではありません)。國體OW史観では、われわれ人類の文明発展はこの二種類の人類の協力により培ってきたものなので、根元をなすものといえます。
ただ、そもそも根拠は何でしょうか?タカスの呼称は落合莞爾さん(noteでは白頭狸さん)に始まり、遺伝形式にまで言及されるようになったのは、鍋島直亮さん(注:ペンネーム)のサニワメソッドによります(この時点で両者を一緒にはできないところが重要なポイントなのですが、後述します)。
これが本当ならば遺伝子をみれば分かることになります。ゲノム情報の細かい機能まで全部分かってはいないでしょうけども、遺伝形式が分かっていると主張するくらいですから、もう配列の同定は可能なのでしょう。しかし当然ながら、おいそれ開示できるような情報ではないですし、一般人が不特定多数の遺伝情報に自由に接することができるわけありません。
結局のところ、サニワメソッドも詳細不明で、遺伝情報にもアクセス不能。どのみち知り得ないことだから我々には直接反証しようにもしようがありません。それでもこの史観をただ有難がるならば、あとは盲目的に信じるしかないということです。
ただ楽しむ程度ならよいですが、そのような情報に憧れなど持たないことです。知りたがり屋のゾンビになるだけです。自分自身で歴史を考えることを放棄することになってしまうでしょう。
冒頭に後述すると申し上げたことですが、歴史洞察やエンタメとしては反証は当然ながら不要です。科学と違って物語にエビデンスなどありません。タカスと非タカスの前提をおいて歴史を眺めたら、これまでの歴史がどのように見えてくるのか?ジグソーパズルのピースからどのような歴史が構築できるのか?ゼロから創りあげていくだけで私は素晴らしい能力と考えます(落合さんはここまで)。そして、落合さんも主張されていますが、それ以上をサニワメソッドで構築していくのは、もはや歴史学の前提にはなり得ません。サニワメソッドで分かる「真実」として構築してしまうからです(ここが一番の問題点です)。鍋島さんは当初は自身の考察/洞察で出したものの答え合わせに用いているに過ぎないと説明されていますが、もはや順番が逆です。「真実」と言うからには反証可能性がなければならないと思いますが、それらを受け付けずにただ一方的に主張するのみで、いったいどのような発展性があるのでしょうか(落合さんと鍋島さんは区別してください)。
矛盾することを言っているように聞こえるかも知れませんが、ここがごっちゃになっている人が多いようです。反証可能性は、専門知識や特殊能力のない一般人にとっても特に重要です。直接本人に確かめることが出来たらよいでしょうけども、避け続けることでしょう。素朴な疑問にも応えられないところからサニワメソッドの不確かさの片鱗を知ることができます。科学の「誠実さ」はそこにあります。簡単な反証可能性に耐えられないものに「真実」ということはできません。反証可能性も万能ではないでしょうし、難しいことをいうつもりもないですが、簡単なチェックは通過してほしいものです。また、もし「誠実に」エンタメを行うのなら、エンタメを提供する側と購入する側が、暗黙のうちにエンタメであることを了解している必要がありますが、これだけ憤慨する人が出てきているのは何故でしょうか、見るに耐えません。
ただし、感情的にならず礼節を保ち、思考を張り巡らすことを忘れてはなりません。我々一般人ができることはそれくらいです。
そして、会ったこともない人を呼び捨てにする人も信用なりません。そういうところに人となりがあらわれてしまいます。そんなことでは、騙す側と騙される側、どちらも同じレベルになってしまいます。冷静に対応しましょう。また、騙す側も騙される側も自覚がなく、ファンタジーの世界に没入していたいという場合もあります。それはそれで双方邪魔せずにそってしておくのがよいこともあるでしょう。
ダラダラと書いてしまいました。上手く伝わったか自信はありませんが、もしここまで読んでいただけた方はすでに冷静に対処されていることと思います。これ以上は蛇足かもしれませんが、他の私のnote記事もよろしければ読んでみてください。人間の心の隙間というのは(誤解を恐れずにいえば)実に興味深いものです。なぜハマってしまうのか、すがってしまうのか、大事なテーマだと思います。
【R6/8/25追記】 別記事と統合
◆あるかどうか知り得ないS層との向き合い方(思考実験)
S層の何たるかはここでは説明しないが、S層というものが本当にあるのだろうか?我々が知り得ないとしても実際はあるかないかのどちらかであり、知り得ない者の取る態度としてはそれを信じるか信じないか、という2択になる(保留というのもあるがここでは省略する)。
それぞれの場合において信じるかどうかの良し悪しを単純化して考えてみよう。
(1)S層が実際にある場合
(1−1)S層があると信じるとどうなるか?
実はS層があるのならば、信じるかどうか、信じて得をするかどうか?などもS層によるプログラミングで全てが決まっている。どのみち決まっているんだから…と達観することができる(かどうかも決まっている)。
いまこれを場合分けして考えていること自体も予め決まっている。どういう意図を持とうとも、元々全てが決まっているのだから、大船に乗ったつもりで今この瞬間を味わえばいい(かどうかも決まっている)。全ては創造主の一人遊び(シミュレーション)に起因する。
(1−2)S層を信じないとどうなるか?
これも決まっている。信じないことがプログラミングで決まっている。
「信じていない状態で見るとペナルティや呪いがかかるというクソ動画」をうっかり見てしまう可能性もある。しかし、見るかどうか、呪いにかかるかどうかも予め決まっていることになる(呪いというものが本当にあるかどうかも含めて)。上記と同様、結局はどうしようもない。信じないと決めたところで、その先は信じるようになるかもしれないし、それらも決まっている。
まとめると、もしS層が実際にあるのなら、場合分けすら意味がないというか、どうしようもないと同時に「あるがまま」としかいいようがない。それで気が楽になる人もいるかもしれない(かどうかも決まっている)。
(2)S層が実際には存在しない場合
(2−1)S層があると信じるとどうなるか?
自分の行動とその結果について、元々プログラミングされたものだ、と諦めることができる(実際は勘違いなのに)。達観して悟っているように見えるが、結果的には自分で考えて行動しなくなってしまう可能性があり、損失を被るかもしれない。仮に本当にそうなった場合にも全てはプログラミング、全ては最良と信じ続けられるのなら、本人にとっては虚構であっても得をしているかもしれない。
ペナルティや呪いがかかるなどと、本来存在しないもののために心が不自由になったり、依存心から大金を注ぎ込んでしまったりする可能性はある。喜ぶのは詐欺師だけである。
ひょっとすると場合によっては途中でS層が存在しないことに気づく方が不幸に感じる場合もあるかもしれない。しかしやはり、できれば早めに気づいたほうが良いと思うし、詐欺師自体がいなくなることを一番願う。
(2−2)S層を信じないとどうなるか?
実際にはないのだから、エンタメとして楽しむ場合を除いて信じない方がもちろん良い。依存したり、大金を巻き上げられたりする心配もない。また、もともと存在しない誰かのつくったペナルティや呪いなどの虚言に煩わされることもない。
とりあえずこの4通りしかないと思うのだが、どうだろうか。敢えて信じない選択をしたからといって特に損をすることはない(元々選択が決まっているか、賢い選択をするか、しかない)。一方、信じて損をする可能性はある(存在しないものを信じてしまう=盲信)。それでもエンタメと思って本人が楽しめる分にはよいが、金銭感覚がおかしくなっていないか、中毒性・依存性には注意しよう。分からない状態のものに賭けに出るのならさっさと信じない選択をする方がマシだ。今回は単純化して損得で考えてみた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?