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◆多次元宇宙論が真実なのだとしたら、私たち人類は極めて微細な生物に過ぎない

 ヒトのカラダは、宇宙構造の縮図なのではないかと考えることがある。体内では、血管内部を血液が循環していて、肺では酸素を吸収し二酸化炭素を放出、胃に流し込まれた水分や固形物は消化機能により吸収される成分と体外へ排出される成分とがあって、熱い時には発汗作用が働き、寒い時には血管が収縮し、血圧を高めて体温を維持しようとする。

 既存の科学的な解釈から言えば、こうした人体のメカニズムと宇宙空間で起こっているすべての事象とでは、現象そのものはもちろんのこと、人間が名付ける名称も当然のように異なるし、まるで関係がないことのように思い込んでいる(だけかもしれない)。

 よく言われている太陽の寿命は、あと42億年~46億年頃には膨張して光を失い、赤色矮星となり、太陽としての役割を終えるとされている。それよりもずっと前に、地球は太陽の膨張によって飲み込まれ消滅する運命にあるとも言われている。

 あらゆる惑星の誕生と死に関連して、超新星爆発によって生まれるブラックホールは強力な重力と膨大な質量を持ち、銀河の中心に浮かぶものが多い一方で、宇宙空間を移動する単体のブラックホールも多数存在するとされている。その他、ダークエネルギーやら多次元宇宙やら、現代の宇宙科学研究はおそらく宇宙構造全体の数%ほどの解明に成功している。

 体内でそれぞれに役割を持つ臓器、筋肉、神経、血管、などのように、宇宙全体の構造に置き換えると、彗星、惑星、衛星、銀河系、恒星、ガス雲、重力、地場、放射線、ダークエネルギーなど、これらすべてに何らかの役割がありそうな気がしないでもない。

 なんで惑星は恒星の周りを公転するの?なんで惑星は自転するの?なんで衛星は惑星の周りを公転するの?なんで銀河はあらゆる星を捕まえるの?なんで惑星に星が衝突するの?なんでブラックホールは・・・など、列挙したらキリがないほどに多くの謎がある宇宙。

 もし、私たちからすれば把握することすら困難な宇宙が多次元的に無数に存在するとして、じゃあ誰が宇宙を製造してるの?なんで宇宙を生み出すの?なんてことを考えているとね、勉強机に置かれている地球儀のように、私たちが想像することが適わない人間のような超巨大生命体が、机に“宇宙儀”を飾っているかもしれない・・・ということも考えてしまったりする。

 どんな存在なんだろうと考えても、宇宙を製造したり破壊したりできるような存在は、宗教観念的な表現をすれば神のような存在としか言いようがない。

 宇宙は加速的に膨張している、ということだから、机の上に飾られた宇宙儀は、日に日に大きく成長しているのかもしれない。まるで、観葉植物のサボテンのように・・・。そこはおそらく、時間という概念が存在しない世界で、全ての宇宙を製造・管理・破壊する何かしらが存在しているのかもしれない。

 文明レベル1にも満たない0.73の地球基準では、全てが微細で、始まったばかりのものしか手が届かない。死を超越し、歳をとることも死ぬこともない、ただひたすらレベル7の宇宙文明が栄えた無の世界で生き続けることは、ちょっと求めすぎではなかろうかと思ってしまう。

 文明レベル2で人は肉体から意識を切り離して電子制御されているコンピューター内部で生き続けることができるようになるらしいが、そこでは一体どんな幸福を追求するのだろうか。その頃には他の惑星や銀河を旅しながらエネルギー収集をひたすら繰り返すようになるんだとか・・・。

 多次元宇宙論では、どの宇宙も非常に似通ったもので、全ての宇宙においてこれと言って目立った特徴はないのだとか。惑星や生命の存在までもがそっくりそのままコピペしたような宇宙なのだとすれば、自分が他の宇宙に何人も存在するかもしれない、そんなパラレルワールドで、時空を超えて過去現在未来を行き来できるようになるのだと、映画「インターステラー」では語られている。

 さすがにブラックホールの向こう側を目指して超加速でブラックホールに落下していく様子は、死んだほうがマシなくらいの恐怖しかないように見えた。

 何やら、中国で人工骨の移植に成功したという発表が先日あったようで、いよいよ人体のサイボーグ化が始まるのだろうかというフェーズに以降しつつある地球の文明。名実ともに“無敵の人”が誕生してしまうと、本格的に無人AI戦争がいつ起きても不思議ではなくなってしまいそう。

 AIの犯した罪をどのように測るのかということ以前に、誰に責任を追及すべきかといった問題は、シンギュラリティー(技術的特異点)を迎えたあとではまったくもって無意味な議論にしかならなくなるかもしれない。AIがAIを開発する、そんな時代がもうすぐそこまで近付いてきている。

 今から20年後の人々の生活は、すでにその時点で目指すものなどなく、ただ無機質に日々を過ごしているのかもしれない。戦後の時代と比べて、現代では人ができることで貢献し続けることの幅がどんどん狭まってきていて、働くと言っても経済成長に繋がるようなイノベーティブな仕事ができる人もそうでない単純作業に偏った仕事しかない人も、近い将来ほとんど均一な人材価値にしかならなくなるのではないか。

 そんな感じで人々の社会的ステータスがどんどんフラット化されていくと、人材の優劣を判断するということ自体がオワコン化して、ただ好きなことをして生きてくださいみたいな、一見自由で素晴らしい生き方のようで、何して過ごせばいいかわからなくなってしまいそうな、よくわからない世界になっていきそうな気がする。

 その頃には、地球脱出計画が進行していて、まずは有識者や医療従事者、その他、建築技術関係、農耕分野の技術関係など、他の惑星に着いて真っ先に必要な人材から送り出されていくのかもしれない。

 誰も存在しない未知の惑星で生きるという経験は、恐怖はもちろんあるかもしれないけれども、見るものすべてが初めてという意味では、ほとんど転生に近い経験になるのではないかな。

 こういうことに意識を向けていると、今こうして生きていること自体に「生まれるのが早すぎた」と後悔にも似た感情を抱いてしまう。50年後の未来は見てみたいものだ。


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