見出し画像

僕は独学が好き

今回のnoteは 研究 に関してです。今回は少しゆるくいきます。

もくじ
1. お金を掛けなくとも出来る学び
2. 百聞をしてからの一見が強烈
3. 図書館・コメダ・ドトール・自宅

1. お金を掛けなくとも出来る学び

きっと若いころからの習慣なんだと思う。出来るだけお金を掛けないで学ぼうとするのは。本当にお金がなかったし、1993年平成5年当時は、携帯もネットも普及してなかった。黄色い本のPT ジャーナルに掲載されている勉強会案内に、ハガキで申し込んでも抽選に外れたらおしまいの時代。当時、現在のようなこんな時代が来るとは夢にも思わなかった。

その頃の学びは、自分の職場の仕組みを最大限に利用しての学びだった。それは「研修システム」。ありがたい事に週1回、好きなところに学びに行って良かったのだ。どんなところに行ったらいいのか、先輩に聞いたり、自分で調べたりして、忙しい臨床の現場を生で見る研修をずっと行ってきた。これは貧乏な新人時代には実にありがたいシステムだった。本当にありがたかった。

このシステムのおかげで、生きた学びを得ることが可能だったし、知識や技術を得るだけでなく、先方の先生方とは自分からコンタクトしないといけないので、かなりの度胸が付いたのは言うまでもない。藤ヶ丘の入谷先生の臨床、福井先生の臨床、山口先生の臨床を見れたことは、今でもちょっとした自慢話である 笑。

そういえば、高いお金を払ってのセミナーや何らかのコースを受講した経験がない。これは自慢話ではない 笑。当時、PNFやボバースのコースに人気があり、多くの人達は我先にと競い合って申し込んでいたのを記憶する。そんな中、自分はあえて申し込まなかった。なぜなら人と同じは嫌だったから。お金かけりゃいいってもんじゃないだろ!的に、お金がない自分を慰めていた。でも、ただ負け犬になるだけじゃなくて、自分なりの何かを見つけたかった。本当にそう思っていた。何もできないくせに、何も発見できなかったくせに、実にとんがっていた新人時代。

当時を振り返れば、そんなとんがっていた自分を、実に巧みに操ってくれた科長に心から感謝している。今生きていたら、何を語り合っているのだろう。もう一度杯を交わし、ゴルフに連れて行ってもらいたい。

今となっても実に貧乏な学びを続けている。ネットが普及したこと、古本屋の充実により、手軽に無料もしくは格安で文献や書籍が手に入る。もう少しお金を掛けて大人らしい学びをしたらいいのに、若い時の習慣とは恐ろしい。でもそんな自分が結構好きだったりする。

こうして考えると、「臨床OJT研究会」の原点は、自分の恵まれた新人時代の影響がかなりある事が今となってはっきりと分かる。臨床でお金をあまりかけず、有意義な勉強をするためにできることを真剣に考える。何故なら、浮いたお金で先輩たちと呑みに行ってカラオケに行くのが本当に幸せだったから。そして年に一度の協会費の支払いを済ませる。当時貧乏だった割には、この協会費を払えない!って思ったことは一度もなかった。協会費を払えること。これがプロのライセンス職の証であり誇りであったから。


2. 百聞をしてからの一見が強烈

さて、「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものである。学生の頃は、百回聞くよりも一度実際に体験しなさい!ってことだと思っていた。そんなこともあり、社会人になってからは、できるだけリアルな体験をしようと思い、実際の現場を見学して、自身の臨床感覚を高めようとしていた。

早いものであれから26年が経とうとしている。あっという間に時が流れた。今となっては残り何年働けるか?を意識してしまう年齢となり、確実に自身の思考がチェンジしたのを実感している。

そんな中、「百聞は一見に如かず」の勉強法にも変化が出てきた。それは、「百聞をしてからの一見が強烈」というものである。つまりどんなことかと言えば、興味あること、疑問に思うことについて、お金をかけずにひたすら個人で学んでいく。ある程度の学びを終えてから、その道のプロに直接コンタクトするというものである。これはなかなかシビレる。自分での学びは本当に独学。ひたすら孤独。いつでも学びを止められる。言い訳はたくさんできる。それでもとにかく地道に学びを継続していく。その後で、その道のプロに直接話を聞く。すると知識の入り方が断然違うことに気が付く。

白根春彦 独学術 ディスカバー携書2018

この本によると、「独学は学習ではない。大人がするものが独学である。つまり、LEARNではなく、STUDYということだ。」と示している。また、「独学の独とは孤独という意味ではなく、特定の師を持たないということだ。しかし多くの師を持つ。本物の最高レベルの師を持つのが独学である」さらに、「独学には教科書も決まった答えもない。独自に新しく考えることが最終目的。疑問から知識が始まる。独学はいつでもどこからでもできる。」と示している。

このことはつまり、我々の領域でいえば、研究そのものである。大学院での学びが正にこれにあたる。必ずしも全員が全員、大学院に行けるわけではない。となると進学できない人は「大人の学び・独学」ができないのであろうか? 決してそんなことはない。

この本には以下のようにも示している。「本当に独学をしている人はどうしているか。睡眠を削って読書のための時間を捻出するとか、…そういうことにまったく頓着することなく、ただひたすら本を読み、考え、知の世界を広げているだけである。…もっとも無駄な時間と脳細胞の潰し方は常習飲酒である。常習的に飲酒する人間が独学どころか、まともなことをやれるはずがない。これはヨーロッパでは昔から常識とされている」

少し厳しく聞こえるが、要するに言い訳不要ということではないだろうか。隙間時間でひたすら本を読むことができるし、お酒の力に頼り過ぎず、脳を活性化させること。お酒の力を借りて良質なコミュニケーションをとることは人生において素敵な事である。しかし常習はいけない。常習犯という言葉があるのは、きっとこういった何気ないことの始まりからかもしれない。


3. 図書館・コメダ・ドトール・自宅

お金をかけずに勉強するのが自分の流儀。しかし、勉強できる居場所を求めて支払うお金がある。これは少し大人になった証拠であろうか。カフェで本を読んだり、まとめたり、論文作成したり、パソコンをパチパチ打ったり。少しかっこいいな!と思う自分に酔っている。その行為そのものが目的になってはいけない。そういう意味での常習犯ではいけない 笑。

図書館に行くときは、受験勉強をしている中学生や高校生に刺激され、〆切期限のある論文や資料を作るとき利用する。コメダ珈琲に行くときは、リラックスしながら長時間利用したい時、電源を利用できるのもありがたい。ドトールコーヒーに行くときは、30分でもいいから隙間時間があるとき、夢中して本や文献を読み漁り、メモしたり端末に記録する。自宅で勉強する時は、まず家にだれもいない時、そして自分の手持ちの本や資料で確認したい時と使い分けている。スタバには行かない。何故なら注文単価が高いから。あくまで貧乏性である 笑。

繰り返すが、お金をかけずに勉強するのが自分流。しかし、先に紹介した本には以下のように示している。

「本を買う金を惜しむな」というものである。これはどういう事かというと、家のローンなどを抱えていて、色々なものを節約し、そのために本の一つも買えないというのは、「もはや精神が危ない」ということを説明している。確かにそう思う。自分もマイホームローンはある。しかし本は良く買っている。学生の頃は本当にお金がなかったので、1冊丸々コピーしたという記憶もある。時間の無駄とするか、お金の無駄とするか。当時は時間の無駄という概念を持てなかった。社会人となった今では、借りた本、無料の資料、これらはまず復習しないということが良く分かった。

自腹を切って購入した本は、繰返し繰返し手にとる、眺める、読む、まとめる、引用するなどを勝手にしている。文献などの資料は出来るだけクラウド保存しておくと、いつでもどこでも閲覧できるので便利。基本的に貧乏性なので勿体ない精神から良く眺めるんだと思う。

つまり社会人となってからの学びは、かけるべきお金はどこにかけるか?をよく吟味した方が良さそうだということである。せっかく行った勉強会。しっかり頭に残っているとは限らない。資料があると安心するが、しばらくすると単なる紙切れになるから本当に不思議。自分で購入した本とは全く別次元。

自分で購入した本、購入した文献、クラウド保存して手元で閲覧できその場でPDFに書き込めるアプリ、これらは高頻度で何度も自分の目に触れるチャンスが訪れる。そうして独学の知識へと変化する。

独学の最終形は新しく考えること。新しく考えることは新しい何かを見出すこと。発見すること。つまり、研究するということだ。研究とはすなわちSTUDYである。つい目先のものに釣られてしまいそうになる。いや釣られてしまう。みんなが行ってるから研修会に参加しよう。今の流行りだから行っておいた方が良いかな? 確かにそれもいいだろう。しかし、それでは発展がない。そこから何を生み出すか?自分しかできない何を生み出すか、が大切と思う。私の新人時代を今更カッコつけても意味がない。しかし、新しい何かを生み出そうとしていたあの時の自分は間違いではなかったと褒めてあげたい。あれから20数年。やっと新しい何かが生まれそうな感覚がある。そう感じさせてくれたのも「独学」のおかげ。研究するということの真実を学び中であるということ。好きなことを好きなだけ学べる。こんなに幸せなことがあるだろうか。

独学が出来ない人は、何かしらの劣等感に苛まれているかもしれない。
疑問を持つこと、調べること、新しく考えること、発信すること、多くの師を持つこと。
これら全てにおいては勇気がとても必要だからである。

僕は独学が好き。それは勇気がある証である。
独学が出来ない人。それは勇気があれば必ず克服できる。
独学って本当に楽しい。独学が出来る勇気を持とう。

#貧乏学生 #臨床OJT研究会 #百聞は一見に如かず #百聞をしてからの一見が強烈 #隙間時間で本を読む #本を買う金を惜しむな #研究とはSTUDY #独学 #理学療法士 #アドラー心理学