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孤独を楽しむ覚悟とは

今回のnoteは 楽しい事 に関してです。

もくじ
1.50歳を前にして思う事
2.真の自尊感情を理解して
3.名を残す勇気と社会貢献

1.50歳を前にして思う事

楽しい事を書きます。なのに何故このテーマかといえば、1冊の本との出会いです。

齋藤孝 50歳からの孤独入門 毎日新書 2018

一見暗いイメージを連想させますし、一方で私の場合、リアルかつシュールで複雑なタイトルに惹きつけられました。50歳を目の前にして人生を考えることが多くなり、自然と目の前に飛び込んできた1冊だったのかもしれません。30代40代の人々に少しでも届いてくれたらありがたいです。

さて、突然ですが私は負けず嫌いです。2番3番じゃダメです。1番が好きです。自分が取り組んでいる仕事。組織そのものでも1番でありたいと行動してきました。

そんな中、50歳を目の前にして少し思うところが出てきました。それは今まで感じたこともしなかった自身の異変。それは体力・筋力の低下と老眼です。白髪も目立つようになりました。そして、定年という言葉が脳裏にちらつき始め、このままで良いのかと自問自答する日々が多くなりました。

そんな中、この本と出合ったのです。期待と不安の両者の思いが混じる中、恐る恐る本を手にしてみました。すると、しょっぱなから非常にショッキングなことが書かれていました。

「アイデンティティを奪われる50歳」と見出しが書かれていました。中身は、役職定年制度の話。これは非常にリアルでした。自職場もそうです。仕事は通常にできるのに給与削減。役職を解かれ自分より後に入った者に指示を仰ぐ。自身の価値は一体どれくらいなのか?等と考えてしまうと悲しくなります。しかしそれは組織の新陳代謝という事では必要不可欠であり、自分だけの話ではありません。この本の中では話の例に、マリナーズのイチロー選手の事が書かれていましたが、自分が思うに規模が違い過ぎるということ。この他には、ミケランジェロが手掛けたとして有名なシスティーナ礼拝堂の天井画の話、芸術家は死後にしか評価されないという話、武士であろうとした福沢諭吉の話、孔子が一番大切にした自身の思い「自分を評価して使いたいという人があれば、そのために働きたい」という話、など、アイデンティティ・クライシスとの関連を実に巧みに説明しています。

50歳を前にして思う事。自身のプライドとどう折り合いをつけるかが大事であるとこの本は解説しています。確かにな~と共感しました。自職場の出世を夢見るより、孔子の大切にした思いに共感した方が、自身の人生にはぴったりだと思いました。その中で、違う新しい世界で、また1番を夢見るのも悪くない!むしろ自分らしい!と腑に落ちました。

そうやって自身のプライドと折り合いをつけることにより、キラキラ輝く未来への夢を抱くことが出来たのです。

2.真の自尊心を理解して

自尊心とか自己肯定感とか、いわゆるプライドと意味づけられているようなもの。プライドという言葉そのものの解釈が独り歩きしている感じもしますが、要するに「自分とはいかなるものか?」を正しく認知できているか?ということが何より大切と感じます。

若いセラピスト達が競って勉強会や研修会に足を運ぶのは何故でしょうか?これとは対照的に、ベテランと言われる年配者の皆さんは、自己研鑽はどのようにしているのでしょうか? 今の若いものは…と嘆いている先輩セラピストの皆さん。自身の立ち居振る舞いはいかがですか? 後輩たちに、今どきの先輩達は早くも老害だね!などと指摘されてるかもしれませんよ。笑  私は既に老害の一人と自覚しています。笑笑

要するに、人というものは、自身が行っていることを正当化したいわけですし、認めてもらいたいモノなのです。老若男女問わず、セラピストは、「患者さんのため」と言いながら、自分のために勉強し、自分が同業他者より優位に立ちたいが故に自己研鑽を惜しみません。自己研鑽のパワーが落ちている先達者は、ある意味悟りを開いているのでしょうか? 自己研鑽が発展途上な若者は、どうして自己研鑽のパワーがないのでしょうか?

これにはアドラー心理学でいうところの、劣等感が大きく作用していると感じます。老若男女問わず、多かれ少なかれ、この劣等感に悩まされている訳です。劣等感を埋めていく作業の一つに、勉強会や研修会に参加するという行動をとるわけです。正しい劣等感の穴埋めは補償と呼ばれますが、他人と比較される自尊心は、健康的であるとは言えません。自己研鑽が出来ない人は、出来ないというより、していないんですね。自己研鑽すると、もしかしたら否定されるかもしれないし、結果に繋がらないかもしれない、結果的に患者さんのためにはならず、自責の念に駆られるでしょう。ならば初めから自己研鑽しない道を選び、自己研鑽しない(できない)言い訳を一生懸命に探すのです。当たり障りない人生を選んでしまうのです。

向後千春 幸せな劣等感 2017

向後先生によれば、本来の自尊心は、外からの評価に左右されない自分らしさや自分の独自性を目指して進んで行くことによって培われる。と示しています。つまり真の自尊心とは、自分らしくあろうとする自己理想に向かってどうするかという感情なのです。

50歳からの孤独入門というこの本。50歳を迎えていない読者は、きっとつまらない話でしょう。しかし、このことをしっかり理解できるかどうかでは、患者さんと向き合うセラピストなら大切な事と理解してもらえると思います。50代の患者さんや上司が居たら、この話を思い出してほしいと思います。人はただでさえ劣等感に苛まれて生きる動物です。なのに、50歳を過ぎるとさらに、アイデンティティ・クライシスに陥るということ。さらなる劣等感の追い打ちにあってしまいます。人生とは更なる試練を神様が与えてくださいますね。でもこれらの事はセラピストが日常出会う患者さんの心理状態とよく似ています。この本の面白いのは、ところどころでアドラー心理学の話が出てきます。これはアドラー好きの私にとって、単なる偶然でしょうか? いや、偶然ではないと感じています。なぜならアドラー理論は多くの場面で解釈可能ですし、実践の心理学として応用が利くからです。

そして、若者でも必ずやってくる50代。この想像もしていない未知の世界をどう楽しむかは、自分次第の何物でもないのです。

3.名を残す勇気と社会貢献

50歳からの孤独入門の文末に、「喪失の悲しみ、そして自らの死への覚悟」という、これまたショッキングな見出しが書かれています。この中には、自分が生きたという痕跡を残す・私たちの役割・名前を残す・などの項目で締めくくられています。「何か受け継ぐべきものを持ち、大きな流れの中に身を委ねることができる人は、とても幸せだと思います」と締めくくられています。

私はなんと幸せ者でしょう。理学療法士という仕事につき、50歳を目前にして名前を残すことができました。これは本当に幸せな事です。論文審査が通り、2018.9.8からJ-STAGEで早期公開されています。まもなく雑誌に投稿されます。そういう意味ではお陰様で名を残すことが出来ました。

さて、この先私の場合、定年が60歳として、約10年間でどんな社会貢献ができるでしょう? これを考えると非常にワクワクとした楽しい気持ちになります。真の自尊心を充実させていきます。また、この定年60歳という壁をどうやって壊していくかも真剣に考えています。絶好のチャンスで与えられたフリーキックの壁。どうやって蹴ってやるか!そして逆転の一発を決めるか!考えれば考えるだけワクワクします。今回のテーマである、50歳からの孤独入門という本書では、捉え方によっては、「もう頑張るな、無理するな、自身のプライドと折り合いをつけろ!」という事を言いたいのかもしれません。でもそうじゃないのが筆者・齋藤義雄です。人生ここからが勝負です。患者さんに向かって「あきらめずに頑張りましょう!」と毎日言っている以上、自身の人生これからがますます頑張りどころです。ロスタイム3分で何ができるか?を考えるより、とにかく走って点に絡め!きれいなゴールより泥臭いゴールでも1点は1点!そう思うのです。笑

人生100年時代。日本人の平均寿命が益々延長していく現代社会。この本はあたかも「50歳になったら速やかに清らかに自身の能力と折り合いをつけ、孤独を楽しみ死する事への準備を初めよ」とも読み取れます。いやいやとんでもない事ですよ。私は絶対あきらめません。年相応にしか出来ないかもしれませんが、最後まであきらめません。そういう生き方を選択していきます。それは、最愛なる祖母ちゃんから遺言、現在もまた現職場の患者様からご教示頂きました教訓です。80歳90歳の人が杖を突いて歩くなんてみっともない!という心理状態。きちんと察する事の出来る人間になりたいです。

「昨日の自分に勝ち、明日の自分に挑戦し、今の自分を認める勇気を持つ」

これが私の人生のテーマです。孤独を楽しむ究極の覚悟と思っています。そして1番になります。負けず嫌いだから…笑 あー楽しい。

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