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でち日報 2023/05/01

ということで、今後TwitterはDM連絡と、noteを共有する用に留める。

SNSの向いていなさにも種類があって、自分の場合は異常に時間と気力を奪われてしまうのだった。薄々気づいていたが、SNS自体がそんなもんだろうと諦めていた。

両親が子育てで失敗した点として「子供の頃にテレビを見せなかった」ということをよく言う。自分が、テレビが点いていればそちらに意識がとられて会話できないためである。今でも実家に行くとテレビを消してもらう。

自他の境界が曖昧なことと関連があるかもしれないけど、おそらく子育てとかじゃなく先天的に、意識を何に向けるかを制御できない。障害というほどではないが、そこに困難さがある。

仕事で大きくスベって落ち込んだのをきっかけに、いったんTwitterとslackを避けてみたところ、とつぜん念願の読書ができるようになった。人間が一日に摂取できる文字量には限りがあるのか?

考えてみれば、自分が思いついたことを、秒単位で他人に共有できることが当たり前の、ある種のテレパシーシステムが、人を選ぶのは当然のことだ。この装置をいったん切って、スタンダードに逆張りしていきたい気持ちもある。

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