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ドキュメントをつくること 【でち文章2023/10/26】

北の大地にて

どういうわけか今年は、ネット上で知り合った人たち5人と会食した。しかもここ辺境の地、帯広においてである。よく来たね!

その中でひとつ話題になったのが「ドキュメント」だった

「銃・病原菌・鉄」の中で「なぜヨーロッパ人が南米を侵略し、その逆ではなかったのか?」の理由の一つとして、ドキュメント、つまり歴史を記録し、参照可能にしたものの存在が挙げられていて

このドキュメントの重要性が、世界の歴史のみならず、ある程度の歴史・遍歴をもつコミュニティにも言えるのではないか?という話で盛り上がった

ドキュメンテーションの欲求

最近、念願の「文章をほぼ毎日書く習慣」が「日報」という形で身についた

次なる興味は「ひとつのテーマをもった文章を継続的に書くこと」だろうと思って、それについてブレストしていたが、どうやらちょっと違うらしい

これまで書きなぐった、書き捨ててきた、テキストと言うのもしのびない雑文乱文を、体系的に参照可能にしたい

つまり自分のテキストを、ドキュメントにしたい。そのような欲求が強いということがわかった。先の会食の影響もあるし、そのようなドキュメントの必要性を感じる機会が増えたこともある

何度も同じことを閃いては、まるで世紀の発見のように舞い上がることに飽きてしまった。それに加えて、既に答えが出ていることについて、無駄に時間を浪費することも少なくない

これでは歴史の蓄積ができないまま、侵略されてしまった側の民族である。コミュニティ以前に、私個人におけるドキュメントの形成、ドキュメンテーションができるようになりたい

ドキュメンテーションの効果

ドキュメントを作る作業、テキストを参照可能なものにする作業は、当然テキストそのものを生成することとは違う

この技術を養うことができれば、自分個人にとどまらず、コミュニティの歴史、ひいては直接関連を持たない対象についても、同じ技法によって参照可能にできる余地があるということかもしれない

同時に、ドキュメントを作る作業は、整理というジャンルではあるが、タスク管理とも違う

日々を乗りこなすためのフローとしてのタスク管理があれば、それを振り返り新たなルーチンやルールを作るための土台としてのドキュメンテーションがあって、両輪が揃うのではなかろうか

さらに個人的な考えについて参照可能にするだけでなく、仕事に関するキャッチアップや経験を記録するだけでなく、然るべき時に取り出せるようにする必要もある(というかこっちのほうが重要ですらある)

参照可能になるということは、前世の記憶をもつことに近い。先人や過去の自分と同じ失敗や徒労を回避して、まだ見ぬ新たな体験に同じだけの時間と感情を費やすことができる

何をどのようにドキュメント化するのか

具体的に何から始めよう?このnoteアカウントがある。かつては「おじさん小学生」として始まったこのアカウントに投稿されたテキスト群から、そこに微かに眠っている、砂金のような価値を参照可能にすることを目指す

小学生チャレンジはその経緯と結果だけが分かればいいんじゃないかな。他の記事についてもEvernoteに転記して、全文検索が可能になった段階で、そこで語られていることの抽象化と変遷の記録が、徒手空拳でどこまでできるかを試す

その後に、実際にドキュメンテーションの技法を学ぶ。本当はセオリーを身に付けてから取り掛かるのが定石なのだけど、この順番じゃないと自分事として興味を維持できない。難儀な性格をしている

おわりに

このような内容のnoteを公開し、Evernoteに保存して分類タグをつける。ここからドキュメント・ドキュメンテーションについての知見を学ぶ。あるいは、そのようなことを一瞬でも試みていたということをここに記録することで、挫折してまた同じ道を歩もうとした時に、前回のセーブポイントから再開できるようにすること








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