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再開

9月中旬からnoteへの投稿を中断し、書くこと自体も休筆状態になっている。最初は1週間くらいで再開しようと思っていたが、2週間、1か月と延び、とうとう3ヶ月になってしまった。再開しないのかと、自問自答を繰り返し、ようやくふんぎりがついた。12月8日からカタチをかえて投稿を再開しようと決めた。今日は12月1日、そろそろと助走をすることにした。そう、書き始めることが肝心なのだ。

中断の転機は9月1日だった。それまでは、「ほぼ日」でnoteは約3年間続けた。コロナ禍での在宅、テレワークなどで時間の有効活用が出来たことが大きかった。通勤の電車内やウォーキング通勤中に、その日のテーマ選びと結構を考え、大きな声で言えないけれど、勤務中の空いた時間に下書きを書くのが常だった。9月になって勤務先の小学校のシフトが変わった。1学期は担当時間がさほど混んでなかったのが、2学期になってびっしりと埋まってしまった。「書く」時間がなくなってしまったのだ。

ほぼ毎日、自分の気づきをカタチにしていくのは、正直、しんどいものがあった。書かなくなってみると、片時も離れず背負い込んでいたものが消え、そのしんどさから解放された。うんうん唸りながらも書き終えた後に味わえる達成感でこれまで続けてきたのに、その時は消えた軽さの方が心地よかった。

イスラエルとイスラム組織ハマスは、11月30日、パレスチナ自治区ガザでの戦闘休止をさらに1日延ばすことで合意した。戦闘休止は当初4日間で合意し24日から始まった。人質を解放し、収監したパレスチナ人を釈放した。28日からは休止期間を2日延長し、さらに身柄の交換をすすめた。そして、さらに1日だ。

イスラエルはハマスのせん滅が目的らしいから戦闘を再開することは必然かもしれない。しかし、前線の、当事者である兵士は緊張の糸が切れ、つかの間の安眠を得た。それを捨てて彼らは「再開」を望むことがあるのだろうか。むろん、現地の住民は望むはずもない。

わたしのnote描きとはちがって、この再開は不要なものだ。