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【前編】文字を持たなかった古代日本人が明治時代「ひらがな」50文字にたどり着くまで【漢字伝来~万葉仮名編】

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今回は、ひらがなの歴史を追っていきます。

以前(2022/2/12)公開の動画(世界四大文明~文字の起こりから平仮名の誕生~発展までの歴史(と、前島密こぼれ話)でも「ひらがな」についての内容を取り扱いました。

今回は、ひらがなの変遷、もっと詳しく見ていきたいと思います!

この話のYouTube版はこちら↓↓



プロローグ - もともと日本人は文字を持たない民族だった


1世紀頃に中国から漢字が伝来したと言われていますが、それまで日本人は文字を持たない民族でした。

証明されていないだけで日本固有の文字「神代文字:かみよもじ」があったという説もありますが、ここでは「日本は文字を持っていなかった」という一般説を採用しています。

古代中国で漢字(甲骨文字)が書かれ始めたのが、紀元前1300年頃。大陸中国では文字文化が萌芽しメキメキ育っていたのに、日本に漢字が伝わる1世紀ころまでの約1300~1400年もの長期間、日本は自国の文字を作ろうとはしなかったのだろうか?と疑問がわいてきます。

だって、1000数百年ってすごい時間・・・。


文字は「未来の誰か(自分も含め)に共通理解の何かを伝えるためのもの」。縄文時代~弥生時代の古代日本人にとって、文字という手段で伝達する必要性があまりなかったのかも、と思います。

戦火の激しかった古代中国では国家統一のために文字が発達・整理されていった経緯があることを参考にすれば

1世紀頃(弥生時代頃)までの日本には「国家」と呼べる規模の大きな集団がなく、国家規模の戦乱がなかったことも文字を持たなかった理由の一つかもしれません。文化が無かったとかそう言うわけではなく「文字が無くても事足りていた、その必要性がなかった。」のイメージかな。


日本に文字がやって来た!


そんな中、中国から漢字が入ってくるのが、弥生時代の1世紀頃。日本人と文字との邂逅です。(ちなみに稲作は紀元前3世紀くらいに中国から伝わりました。色々と中国様様。)

自国でそれを発明することはせず文字無しでやってきた日本ですが、中国から出来合いのものが入ってきたら案外すんなり受け入れます。

漢字は主に仏教を通して広まったと考えられるので、仏教を良しとした国(日本)の政策で、写経などを通じて漢字は広まっていきました。(以前の筆耕の記事でこのあたりのことを触れているので、こちらも読んでみてください^^)

そこから数百年をかけて、徐々に「平仮名が興って」いきます。

ざっくり流れはこんな感じ↓↓↓

▼中国
殷王朝(紀元前1300年頃)の頃、漢字(甲骨文字)を発明
5~7世紀頃(南北朝~隋王朝)には篆書体/隷書体/行書体/草書体/楷書体の5書体が出揃う

▼日本
弥生時代(1世紀頃)に中国から漢字が伝来
飛鳥時代(7世紀頃)に万葉仮名の発明
奈良時代(9世紀頃)に平仮名の発明

漢字の発明(紀元前1300年頃)~平仮名の発明(800年代)までおよそ2100年くらい掛かった感じ。



※注:「ひらがな」「平仮名」の表記に決まりはありませんが、本記事の以降では、以下の意味合いを指すことにします。

「ひらがな」=明治33年以降の一音一字の現代のひらがな
「平仮名」=それ以前のたくさんあった平仮名



万葉仮名の発明。日本人は日本語を書き表したかった


漢字が徐々に広まる頃、日本は遣隋使(600~618年)・遣唐使(630~894年)などで中国との交流もあったことから、漢文を理解できる人もいたようだし、仏教布教のためのお経は漢文のままでも構わなかったのかもしれません。

しかしそうは言っても、日本では日本語(大和言葉)が使われていたわけで、当然ながら、日本語を文字で表したい!となるわけです。日本人史上初めて、文字に対する創作欲求がここで高まりました。

そこでまずできたのが「万葉仮名」。創作といっても、文字の開発ではなく、「漢字の音」を借りて「自国の言葉を表現するシステム」の開発です。

▼万葉仮名
日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のこと。『萬葉集』(万葉集)(7,8世紀に成立)での表記に代表されるため、この名前がある。

漢字は別名「真名」とも言い、「真名」を使った仮名であることから、真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)とも呼ばれる。また、「日本書紀」「古事記」は主体は漢文だが、一部万葉仮名が使われている。

万葉仮名(出典:Wikipedia
「元暦校本万葉集」平安時代に書写された万葉集の一部。
平仮名ができた後に書写されており、平仮名の記載も見られる。
(出典:Wikipedia

「万葉集」は現存する日本最古の歌集ですが、和歌はそれより昔からあって口伝によって伝えられていました。

しかし、文字というものがあるなら記録して残したい!
和歌は音が大事だから、漢文に翻訳しては意味がない!

ということも、万葉仮名が生まれた一因かなと想像します。


万葉仮名は、つまり漢字の当て字。現代風?で使えば「夜露死苦」みたいなものです。漢字の意味とは関係なく、音だけを借りたもの

つまり、漢字を表音文字として用いました。ただ、一音に対して一つの漢字ではなく、複数の漢字があてられていました。

やま(山)= 也麻、弥末 など
はる(春)= 波流、八留 など

どんな場合にどの字を使うか、の詳細は明らかになっておらず、万葉仮名の漢字は時代によって変化もあったようです。また現代の発音では清音が44音ですが、この頃は61音もあり、音の違いによっても使用する万葉仮名を分けて使っていました。(さらに濁音も今より多かったらしい。)


※こちらにとっても細かい万葉仮名一覧がありましたのでリンクを張っておきます。スゴイ数の漢字を使っていたのですね!
https://art-tags.net/manyo/kana/manyokana.pdf



万葉仮名を使って文章にすると


となります。でも字数も多くて面倒だし、めっちゃ読みづらい・・・。となって、次に編み出されたのが「漢字と万葉仮名を混ぜる方法」

ここがキメラ日本語表記の萌芽と言っても良いでしょう。(日本語は、漢字+ひらがな+カタカナという種類の違う文字が組み合わさってできたもの、という意味でキメラ状態だよねという話を以前の記事で書きました。)


漢字で表せるものは漢字で、助詞や助動詞、送り仮名は万葉仮名で表すようになりました。

①現代表記
②万葉仮名表記
③漢字+万葉仮名まじり表記


万葉集の時代(7,8世紀ころ)には
・漢文
・万葉仮名のみの文
・漢字と万葉仮名のミックス文

が同時に存在していたため「漢字+万葉仮名のミックス文」を書くときは、「漢字を大きく、万葉仮名部分は小さく書く」というような工夫も見られたようです。


※ちなみに、万葉仮名は楷書体~行書体くらいの感じで書かれていました。

難波宮跡出土万葉仮名文木簡
(出典:文化遺産オンライン

万葉仮名は飛鳥時代~奈良時代の頃のものなので、資料がとても少なく、上の画像のようにあっても木の端くれに書かれていて(「木簡」と言います)一般人にはもはや解読が難しいもの。先に挙げた「元暦校本万葉集」のように後世に書き写されたものも、万葉仮名を知る貴重な資料となっています。



さて、前編はここまで。お読みいただきありがとうございました。

数千年もの間文字を持たずに暮らしてきた日本人が漢字という文字を得て書き表すことを知り、さらには「万葉仮名」というシステムを編み出し、自分たちの言葉を書き表す術も見出しました。

後編では、平安時代に入り、万葉仮名から平仮名ができていくくだりから、一気に明治時代の(ほぼ)現行の「ひらがな」に至るまでを追います!


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