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ー学校がなくなるということー

このお仕事をしていると
「学校が無くなると、通学路や地域の中が荒れる」
という話を時々聞くことがある。

どういうことかとよくよく考えてみると、
学校があるうちは学校に入れないけど、
通学路に関しては地域がしっかり責任を持っていたなんてところも多かったということ。
いろんな人が地域内の交通安全や草刈りにも参加し、
時には私有財産である住宅の塀や木々などにも地域として踏み込んで(口を出して)これた。「子どもたちのため」ってね。
まずはこれがなくなることが地域が荒れることにつながっている。

さらに話を掘り下げていくと、
学校がなくなるだけでパパママ世代と自治会・町内会世代の貴重な「世代間交流の場」や「共同作業の機会」もいくつか減ってしまうことに気づく。

これも地域にとって痛手だ。

地域の世代を超えた共同作業は、
地域にとって貴重な人材育成の場だからである。
普段なら面倒臭い作業や事業でも、「子どもたちのため」って当然ながら若い人たちの参加率も上がってくる。
そこでは非農家世帯や外に働きに行っている世帯と地元で働く世帯の接点が生まれるし、
これによって地域内での顔が見える信頼関係が作れる。
さらには地域内交流のレベル(底力)は地域外交流の成果に比例してくることも多い。

学校がなくなることでまず地域として考えなきゃいけないのは、
学校跡地の活用方法ではない。

「子どもたちのため」って大義名分がなくなることにより、
地域の人の行動を規定できるものが失われるけど、
廃校の利活用の第一歩は、それに代わるものを生み出すことなんだと思う。

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