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人生の踊り場

人生の踊り場って皆さんには、あったでしょうか?
ていうか人生の踊り場って何? って思った方もいるかもしれませんね。
うーん、人生をどっちに進もうか、思わず立ち止まって考えてしまう期間のことです。

僕は人生の踊り場にいた時期が、3回あるような気がします。

1回目は、1浪して、大学受験に失敗。
「この先どうしよう、2浪すべきか、それとも専門学校にいくべきか」。
僕は映像の専門学校に行こうと思い、入学手続きに書き込み始めていました。

その時、一通の郵便が大学から届き、かろうじて補欠合格ですべりこんだのです。1週間程度ではありましたが、人生の踊り場にいました。

この踊り場にいた時は、本当に悩んで、友達からも落ち込み過ぎて、「おさむ、アゴがーん落ちてる」って言われたくらいです。

2回目は、大学3年が終わろうとした時、「一般企業に就職する気もないし、シナリオライターになりたいけど、その実力もないし、どうしよう」と思い、、、。

1年間、大学を休学をした時です。

実家にいずらくなって、早稲田の風呂なしアパートに引っ越して、朝は築地でバイトして、午後はシナリオの勉強をする日々。

夜は歌舞伎町で自転車乗ってお弁当配達のバイトもしたな。この期間、シナリオコンクールに応募したけど、結果はでず。。

答えのでないまま大学に復帰して、知り合いに紹介してもらった放送作家事務所に弟子入りしたけど、社風が合わず3ケ月でやめて、テレビライフ編集部に拾われて、踊り場生活を脱した。

その後は、編集者という仕事を極めるため、一生懸命働いた。

27歳でフリーランスの編集者、ライターになって、いろいろ書籍を作りました。幸い仕事はあったけど、とにかく大変だった。

夜中に某お台場のテレビ局のプロデューサーから呼び出され、「書籍の確認するから今から来てよ」って言われたり。
ずーっと部屋に籠って、朝ドラをみて、名言を拾い出したり(書籍の名言集って意外と大変)、バラエティのゲーム本を作った時は、6畳一間の部屋で自分で実践してみたり。

これじゃ、僕が倒れたら終わってしまう。。
この先、どうしようって。

これが3回目の踊り場でした。

そうだ、僕が働かなくても収入が得られるように株式会社を作ろうと。
2004年だったと思います。

編集の仕事とは全然関係ない、当時はウェブの仕事を友達と始めた。
まだまだウェブに精通している人が少なかった時代です。
結果、これは大正解だった。20年経った今でもこれでご飯が食べられています。

人生の踊り場は人生にとって、とても大切な時間。
後で振り返ってみると、大したことのない時間に思えるけど、
実際に踊り場で立ち往生している時は本当に生きた心地がしない。

ただこの人生の踊り場は、竹の節(ふし)のようなもの。

本田宗一郎がこんな言葉を残しています。
竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さをもつのだ。
      出典『俺の考え』本田宗一郎著 新潮文庫刊 1996年

僕は人生の踊り場でもがいている人って好きだな。

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