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「目的」ってなんだろう?

 わしです、最近は毎日文章を書くことにはまっている今日この頃。

 文章を書くようになった過程は以前書いているので。
 今回は「目的」について考えてみようと思います。

 今のところ、トレーニングのように毎日文章を書いていると、今日は何を書いたらいいのかというネタを考える日が続いている。
 今日の献立を考えているようなものだ。

 最近は、日記を書いていることが多く、出来事に恵まれ、その日あったことをアウトプットすることでなんとか書けているが、創作と言われると、事実を羅列しているだけであり、なんというか受動的である。

 どちらかというと、この続いているのが途切れるのがもったいないような気持ちで毎日文章を書いている。
 noteというプラットフォームが連続して何日投稿したという風にほめてくれるので、豚もおだてりゃ木に登る、頑張ってしまうのだ。

 本来、文章は何かを伝えるためのメディアのはずなのに。
 メディアを立てるために、何か伝えることを考えるという状況が何だろう。手段が目的化していないかと思った。

 毎日文章を書いて投稿する。
 それが継続できているという達成感は、自己肯定につながる心のビタミンのようなものになっているので、悪くはないと思うのだが。

 そもそも、日記みたいなもんは、書くこと自体が目的なんだから、今更そんなこと考える必要ないだろ!いい加減にしろ!
 といわれたら、まぁそんなもんですよね思う。

 だが、今日は思いついたネタが「目的」だったのでそういう方針で行こうと思う。

目的とは

 目的と言いつつ、同じような意味では「理由」だったり「動機」だったり似たような言葉がたくさんある。

 たとえば、日常的にしている事はすべからく、目的を言語化することは容易である。
 例えば、寝る目的は「眠いから」、食べる理由は「空腹だから」とか。

 一つの記事を書くという事には、こういう事をしたから、こういうモノを見たとかはどちらかといえば単純な目的から始まっている。

 書くこと自体は、それなりに没頭できるので、楽しい。
 書くためのトレーニング割り切りも目的としてはごもっともだ。

 マッチョになることが目的で筋トレを始めたが、次第に筋トレ自体が大好きになってきて筋トレジャンキーになるように。
 書くことが楽しいは、次第に仕上がっていく過程の段階なのかもしれない。 

何が問題なのか

  マッチョになるのが目的で筋トレしていたら、筋トレ自体が大好きになる。
 それ自体は大きいに結構で、尊重されるべきことだ。

 僕はそれにたいして、手段が目的化していないかと、懐疑的になっている。
 なんか、頭でっかちに難しい話になってきた。
 めんどくさいので、本来はこんなこと考えない方がいい。

 そもそも、マッチョにもなれていない人間が考える問題じゃない。

 トレーニング、続けてればいいじゃん。で完結してしまう。

 筋トレは毎日の営為が、肉体を仕上げるという大きな「目的」を目指して行われるものである。
 あらためて、自分の書いてきた記事を見返すと、なんというか一貫性がないのだ。

一貫性がないよ問題

 もうなんか、人間性の問題なのかもしれない。
 僕のnoteのクリエイターページには「金沢美大近くの「芸宿」で暮らしています。 日記ついでに情報発信を中心に活動しています。」という、notoを始めたときの志というか目的が提示されている。

 日記ついでなので、まだ大丈夫…。
 しかし、継続的な営為という点では、この一貫性のなさは致命的ではないだろうか。
 看板に偽りありである。
 そういう店はそれはそれで面白いかもしれない。

 一貫性がないことを思うような出来事は他にもある。
 僕はイラストを描いたりしているが。
 たまに友達の描いているものを見せてもらうことがある。
 毎回、一貫性があっていいなぁと思うのである。

 気になったので、何故かと聞いてみると。
 そういう性癖があるからだと言われた。

 なるほど、性癖ですか。
 性癖と言ってもそれは、一種の志向の癖という意味合いでもあるが。

 では、自分の性癖って何だろうと考える。

性癖って自覚してる?

これがわからない!

 もしかしたら、覚醒していないという、まだ無限の可能性を秘めている状態かもかもしれない。

 創作をしている友達に性癖についていろいろ話をした結果。
 ある程度、自分の性癖(どういうモノが好き)を自覚しているという事。
 何かを推すという事ができるのも、そういう性癖が自明であるが故であるという結論に至った。

 性癖というのは没頭できることの原動力でもある。

 よくよく考えるとショッキングな事実なのかもしれない。

 過去のこの記事や

この記事

では、文章に没頭してる。その理由として、キーボードを叩くタイピング行為が好きというふうに証言している。

 なんてことだ、これじゃあ僕はタイピングフェチの悲しいモンスターじゃないか!
 
 ちなみに友達には、その処方箋としてTwitterでそういう活動用のサブ垢を作れとおすすめされた。

最後に

 なんなんだよこれと思いながら、書いた。
 
 でも、創作において、性癖を自覚するのは、マジで大事だってなんかの本で読みました。
 
 毎日投稿を目指しすぎた弊害か。

 でも、ちりも積もれば山になるので、せっかく続いていることを辞めてしまうのはもったいないと思うのだ。

性癖についてみんなのアドバイス待ってるぜ!

おしまい

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