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0007 B-side 水の怪

 0007 A-sideは海の怪の象徴としての鈴木光司を取り上げた。0007 B-sideでは、広く水にまつわる怪談を紹介しよう。

1.船玉さま

加門七海『船玉さま 怪談を書く怪談』角川ホラー文庫 2022 収録

 海は不思議な空間だ。特に、夏の海。大勢の人で賑わうそこは、生の活気で満ち溢れている。だが、一方で砂浜に打ち上げられた貝殻や海藻はすでに死んでいる。死の静寂は、はしゃぎ、騒ぐ人間たちのすぐ足元に転がっている。この生と死の混合する境界面の力学によって、恐ろしい怪異が生み出されるのかもしれない。
 著者の友人・佐藤真希子は、ある日、同じ幼稚園に通う保護者・長谷川から宗教団体の会合に誘われる。一度だけなら、と渋々承諾した真希子だったが、その霊能者から恐ろしい「お守り」を授かってしまう。それ以来、真希子の身の回りでは腐敗臭が立ち込めるようになって……。
 「お守り」とは言っても、それが船玉さまと呼ばれるヒトガタの怪異なのだからたまったものではない。直接的な攻撃ではないものの、黴を生やす、生臭い臭いを漂わせる、娘を多汗症にするなど実に陰湿な嫌がらせをしてくる。オーソドックスな霊障とは違うが、むしろより性質が悪い。こういう粘着系の怪異は徐々に精神をすり減らしていき、精神崩壊に持っていくのが多い。
 女性にしか取り憑かない怪異というのが不思議だ。船というのは基本的に男たちの乗り物だから、船乗りを守る存在として男好きなのかもしれない。そういえば、教祖も、教祖の信奉者も、ターゲットにされるのも皆女性である。そこら辺を民俗学的に考察しても面白いだろう。
 実際、船玉さまというのは民俗学的に知られている存在のようだが、本書の怪異は、辞書的な定義とは大きく異なるものである。神といえば神だが、単なる溺死体の成れの果てとも捉えることができる。加門氏も言っているように、日本の神というのは鵺的なのだ。だから神にまつわる怪異譚が日本にはたくさんあるのだと思う。現代においてもまだ、地域独自の風習や地域に根づく怪異というのは調べ尽くされていない。今後も続々とホラー作家や怪談師によって発掘されてくるだろう。楽しみでならない。

2.机と海

煙鳥『煙鳥怪奇録 机と海』竹書房 2022に収録

 海の上で起きる怪異ではないが、舞台の一つが砂浜である。1でも語ったが、生と死の混在する砂浜という空間は、この世とあの世、此岸と彼岸の界面である。この話もその界面で生じる人と霊との攻防戦に手に汗握る。
 フレンチレトロな部屋作りのために購入した緑の机。エミさんがそれを購入して数日後に怪異は始まった。引き出しから出てくる手、その出来事をきっかけとして家族が次々と不幸に見舞われる。流石におかしいと感じ始めたエミさんは霊能力者に頼ることにするが……。
 霊能者というのは、時として無茶なアドバイスをしてくる。無策ならどうせ命をとられるのだから、どんな無理難題でもしょうがないと言ってしまえばそれまでだが、机を千葉の九十九里浜まで持って行き、午前3時に燃やせというのはあまりに酷だ。下手をすると捕まってしまう。けれども、やらないという選択肢はないのである。
 燃やす間にも、いや、燃やす間こそ、怪異との抜き差しならない攻防戦が繰り広げられる。怪異も自分の身を守らんと必死なのだ。大体、こういう場合には、儀式の間中振り返ってはならないものと相場が決まっている。怪異がどのようなやり方で相手を振り返らせようとするのかについては、自身で確かめてみてほしい。読者はエミさんの側に立って、どうか振り返ってくれるなよ、と心の中で必死に祈りながら読み進めることになるだろう。
 終わり方がよい。

後はもう、まっさらの白い砂が、どこまでも、どこまでも、続いているだけ。

前掲書

 ちなみに、この本は煙鳥氏の怪談提供者に高田公太氏および吉田悠軌氏が再取材をして作られた再話怪談とも言える一冊である。この話を再取材・再話・再構成しているのは、吉田悠軌氏である。

3.管理人

平山夢明『平山夢明恐怖全集 怪奇心霊 編①』竹書房 2016に収録

 自殺の名所は当然だが、断崖絶壁が多い。飛び込んで後は、そのまま海に流されて、永久に見つからないということもあるだろうが、潮の流れというのはよくできていて、大体、漂流者や漂流物の集まるポイントというのが決まっている。そういう場には、多くの死者の想念が綯い交ぜとなった、キメラの如き化け物が誕生しうる。
 大学生の塩崎は、1日2万、10日で20万という高額バイトを引き当てる。ただし、途中で放棄した場合は全額支払われることはない。何やら怪しい匂いのプンプンするバイトだが、それもそのはず、バイト内容は、知らぬ者のない自殺名所である断崖絶壁を有する公園の管理人なのだった。渋々出かける塩崎を待つ運命は……。
 住み込みという時点で断るべきだった。その上、管理人室の立地が尋常ではない。死体の打ち上げられる洞窟内に入口があり、少し階段を登ったところに部屋がある。しかも、夜中は満潮で入口が水で閉ざされてしまう。湿気が充満する部屋と化すのは当たり前で、そんな場所で怪異が起きないはずがない。
 強力な怪異である。私が常々思っているのは、人を騙る怪異は手がつけられない。こちらはそれを本当の人間と区別する方法がないので、もう負けが確定しているようなものだ。おそらく、この怪異はキメラ化が相当進んでいるために、顕現される怪異も多岐に及んでいるのだろう。鉄扉を殴るくらいならまだ可愛い。線の繋がっていない電話を鳴らすのもまだ我慢できる。しかし、人の声色を騙り、行動に影響を与えてくるともう駄目だ。挙げ句の果てに、脅迫まで行い、精神を削ってくる。そして最後は侵入である。霊が部屋に入ってくるとはすなわち、精神への侵入を許したことと同義である。こうなると終わりは近い。塩崎の身に何が待ち受けるのか、驚愕の最後をぜひお読みいただきたい。

4.そしてオレは死んだ

稲川淳二『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』講談社 2022収録

 怪談界のレジェンド稲川淳二の怪談の中でも人気の高い作品。海にまつわる怪談としても完成度が高い。あまりにも有名なため、読んだり、聞いたりしたことがある人も多いだろう。
 専門学校の学生たちが訪れた海の家。学年も学科も違う面々がひと時の交流を重ねていく。夏である。夜には花火を行おうとする者も出てくる。仲良しの男子3人と他学科の女子3人で楽しく花火をしていると、そのうち焚き火を囲んでの雑談となり、お決まりの如く、いつの間にか怖い話が始まった。そこに突然現れた一人の男性。「じゃあ俺の話をしようか」と男の体験した恐怖の話が始まった……。
 最初から不穏な空気の漂う話である。男が突然現れ、話し出す時の緊張感がたまらない。ああ、この男はきっともう生きていないのだろうな、と雰囲気ですぐに分かる。だが、重要なのはその男性の生死ではない。それはすでに決している。男がどのようにして死んだのか、この点こそが最も大事だ。男が末期に体験した恐怖は、聞くものを戦慄させ、奈落の底へと突き落とす。男の去り方も静かでよい。
 翌朝以降のくだりは、あった方が良いか、ない方が良いか。この点は話者や書き手により色々と意見のあるところであろう。当時の怪談は、この話のように辻褄の合うオチがついているものも多かった。現代の実話怪談の表現手法に慣れ親しんでしまった私たちからすれば、古臭さを感じるかもしれないが、私は、時に古典的な怪談(とはいえ、十分現代の怪談なのだが)にも触れる方が良いと思っているので、オチありのまま読むことをお勧めする。むしろ、オチつきの怪談の方が新鮮さを感じられるかもしれない。
 怖さとともに、悲しさを感じられる怪談でもある。稲川怪談はとにかく死者に対する眼差しが優しい。生と死は対局にあるのではなく、両者は共時的に常に混ざり合っているのだということを私たちに教えてくれる。やはり、物語の舞台が砂浜であるのは、決して偶然ではないだろう。もしも、部屋で怪談を話していたとしたら、彼は現れただろうか。

5.黒四

三輪チサ他『怪談実話コンテスト傑作選——黒四』メディアファクトリー 2010収録

 ダムと聞くだけで、背筋に冷や汗が流れる。とにかく巨大な建造物は、そこにあるだけで対峙する者の心に畏怖の念を呼び起こす。だが、それだけではない。ダムはその建築過程からすでに恐怖を孕んでいるのだ。安全なダム建設など皆無だっただろう。水、ガス、爆発、あらゆる恐怖が常に隣り合わせでそこにある。比喩でも何でもなく、ダム建設は地獄であった。私たちは映画や小説でその一端を垣間見ることがではするが、当事者に言わせればそんなものは所詮綺麗に作り上げられた虚構である。現世に存在する真の地獄。そんな場所に怪異の生まれないはずがない。
 これは、黒部第四ダム、通称黒四の過酷な労働現場で起きた出来事を綴った怪談実話。Hさんは若くして父を亡くした。そのため、彼は23歳で母と弟妹4人を養うべき一家の大黒柱とならざるを得なかった。彼が金を求めて辿り着いたのが、黒四の建設現場である。過酷な労働環境の中、死んだ方がマシと誰もが考える。むしろ、解放のために死を求めない者の方が少なかった。だが、そのような環境では不思議と自死は出ない。彼らの命を奪うのは事故か病気か栄養失調である。Hさんが高熱を出し、死を覚悟していた矢先、どうしても彼にしかできない重機トラブルの解決を仲間たちから頼まれる。水中で作動を停止した機械を点検するため、肩まで水に浸かったその時、彼が見たのは重機に挟まって死んだ仲間の姿だった……。
 涙なしには読めない感動譚である。仲間は決してHさんを道連れにしようとしたわけではない。彼が伝えようとしたのは一体何だったのか。4ページちょっとで終わる短編ではあるが、そこに描かれた情念の重さは決して紙の量だけで測ることができないものである。
黒四建設で亡くなった全ての犠牲者に黙祷を。

6.きれいな井戸

吉田悠軌『恐怖実話 怪の残滓』竹書房 2021収録

 名作『リング』もそうであったように、怪異は井戸より現れる。水が澄んでいる間はよい。井戸はその時、むしろ人を守り、人に安寧を与える存在として機能する。だが、ひとたび井戸が汚れると、井戸は全く逆の様相を呈する。それは人に災いをなし、一族を根絶やしにしてもまだ飽き足らぬと言わんばかりの猛威を振う。今では、見かけなくなりつつあるものだが、その扱いを等閑にしたまま放置すると碌なことにならない。
 ヒグチ家の所有する忘れられた井戸。それは祓い師でさえ、祓うことも拝むことも拒否するほどの禍々しい代物だった。とにかくそこに近づかないようにして家族は暮らしていた。ところがある日、事件が起こる。少し離れたところに住む若夫婦が井戸でオムツを洗っているという。あまりに意味のわからない出来事に困惑するが、若夫婦の妻が病気で死ぬ。それから20年、今度は生き残った夫がまた井戸で何かを洗っているというのだが……
 すべてが不可解としか言いようのない出来事で彩られている。女にだけ障るという井戸、突然現れ奇妙な行動を起こした夫婦、あまりにも澄みすぎた水をたたえる井戸、そして、井戸の周りをぐるぐると回るもの。そもそも祓い師は家族でさえ存在を忘れていた井戸の存在をヒグチ家に伝える必要があったのか。悪意が見え隠れする気もするが、真相は当事者以外誰にも分からない。いや、当事者すらもわかっていないまま、すでに怪異に魅入られている可能性が高い。井戸は淀むと怪異を起こすとさっきは言った。しかし、これには付け足しが必要である。長年放置されたままであるのに、埃ひとつなく、高い透明度を誇る井戸。そんなきれいな井戸は、汚い井戸よりよっぽど厄介である。
 これぞ実話怪談というべき一編。脳内をクエスチョンマークでいっぱいにしながら、何の説明もないままに唐突に話が終わる。その宙吊りにされる恐怖を一度でも味わってしまうと、もう二度と以前の自分には戻れなくなる。

 本日もお読みいただきありがとうございました。次回は「0008 A-side 東京伝説」です。また、お読みいただければ無上の喜びです。


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