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名著探訪 『心霊ショック』

朝倉三心『心霊ショック』竹書房 1993

朝倉三心『心霊ショック2』竹書房 1993

 竹書房怪談文庫の歴史はここから始まった。歴史の1ページ目を飾った書物は、朝倉三心氏による『心霊ショック』である。タイトルはいかにもわかりやすい。このタイトルを見て、本書を哲学本と間違う読者は絶対にいないだろう。本のタイトルは分かりやすさが一番である。現在の竹書房怪談文庫のタイトルは、捻りが効いている中にも、必ず怪談本とわかる洒落たタイトルばかりだが、これほどド直球なタイトルも、それはそれでよいものである。
 カバーを眺めてみる。すべて写真である。髑髏やミイラの実物の写真が真なる迫力をもって眼前に迫る。これは確かにショックである。続編の『心霊ショック2』のカバー写真はもっと凄い。心霊治療の様子やフィリピンのキリスト受難祭の様子は、下手な心霊話よりも心臓を凍りつかせるに十分である。本文中にはもっとショッキングな写真も掲載されている。おそらく、現代であれば、採用できな写真も多いと思われる。
 掲載されている写真が多いというのは、この時代の心霊本の特徴として挙げられる。かつて心霊といえば、目で見て楽しむという面白さがあった。今、その楽しみが全く無くなっているわけではないが、心霊写真やエクトプラズム写真にリアリティを感じる読者はほとんどいないだろう。今はむしろ、はっきりと映り込む写真ほど胡散臭いと感じる感性が大勢というかほぼ100%を占めており、それよりも大した心霊現象は起きずとも、心霊スポットをただ探訪するとか、曰くつきの呪物を眺めるとか、そういうものの方にこそリアルを感じる心性となっている。だから、現代的な観点からこの本を見ると、何とも古臭い印象を受けるのは致し方ないのだが、逆に、現代にはない構成や表現の直接性に新鮮なカルチャーショックを受け、面白く読んでくれることを期待する。怪談を読む前に、最初に、じっくりと心霊写真館を鑑賞し、エクトプラズムやキルリアン写真に時代の風を感じて心ゆくまで楽しんでいただきたい。
 芸能人のインタビューや体験談も豊富に寄せられている。現代ではYouTubeを筆頭とする動画配信の興隆により、怪談は芸能人だけでなく、いやむしろ芸能人よりも、それを語る専門のいわゆる怪談師と呼ばれる方々のお家芸となった感があるが、以前は、芸能人が好んで怪談話をするのをテレビで見かけたものであった。第1集には、今や怪談界の重鎮となったつまみ枝豆氏、怪談界の早逝の貴公子・池田貴族氏、著名な心霊漫画家の山本まゆり氏のインタビューが掲載されている。この3者それぞれが強い霊感を有しており、自らの職業に関わる興味深い霊体験を語っている。
 海外の話が多く収録されているのが面白い。ここにも著者の朝倉氏自らが現地に赴いて撮影した写真が数多く掲載されており、さながら心霊紀行の雰囲気をたたえている。実際、朝倉氏には『心霊紀行』なる著作があるが、残念ながら私はその著作をまだ拝見したことがない。ルポルタージュだけでなく、現地での心霊体験もちゃんと描かれている。日本人女性にとりつくカタコンブの霊、ロンドン塔のビーフ・イーターの恐怖体験、赤の広場を埋めた妖気の行進など有名観光地での怪異譚は、日本国内の怪談とはまた違った趣が感じられる。『心霊ショック2』にも海外の怪異譚が豊富だが、ディア・ハンターに取り憑いた怨念の話は怖い。銃に取り憑いた霊の仕業か、土地に取り憑いた霊の仕業かは判然としないが、鹿ではなく仲間たちを次々と打つ様子を想像すると震える。また、象に乗り移ったマサイ族の青年の話も面白い。象に乗り移り自らを騙した男に恨みを晴らす復讐譚であるが、乗り移る先が象というのが何ともアフリカ風である。
 国内の怪奇譚を最後はじっくり楽しもう。すべて怪奇現象の起きた土地が明記されており、話によっては、その土地だからこそ体験できたと思われる土地に根ざした不思議な話がある。例えば、熊本県・阿蘇の死へと誘う天女の舞いの話。阿蘇大橋に現れた蝶が舞い、綺麗な花が咲き乱れた花園。そこから羽衣を纏った天女が現れ、こっちにおいでと誘う。無論、それに正直についていけば命はない。阿蘇自体が非常に霊現象の多く起こる土地であるという。神域としても重要な場所である阿蘇に出現する怪異は、やはり普通の怪異とは一味違うと感じさせられる。
 また、千葉県・松戸市の交通事故多発地帯の話も好きな話だ。道路が波打つ。まるで布を両側から寄せたかのような凹凸が道路に現れ、ドライバーを制御不能に追い込む。ここにもまた、現在ではおそらく掲載が困難と思われる事故直後の車が上下反対にひっくり返った写真が掲載されており、話に信憑性を添える役割を果たしている。
 現代怪談と比べると異色な話が多いが、決して古臭さはない。怪談も時代の流れに無縁ではない。現代は体験者も書き手も成熟しており、非常に質の高い怪談が次々と量産される中、本書に掲載された怪談は、ほぼ孵化期に当たる時代のものである。そのため、スタイリッシュで洗練された現代怪談とは全く異なるプリミティブな姿をとどめた貴重な資料と言えよう。
 さらに、色情霊に関する話が豊富である点も、本書の大きな特徴である。第1集、第2集に収録されている色情霊譚を列挙してみると
・OLを犯す色情幽体
・女体に取り憑いた霊のうめき
・留学生をとりこにしたレスビアンの話
・純情青年をもてあそぶ熟女の霊
・獣に犯され続ける女体
・女の色情をかりたてる別荘にしみついた気
と、さながらスポーツ紙の官能記事を彷彿とさせるタイトルばかりである。朝倉氏には、色情霊だけを集めた著作も数冊あり、当時このジャンルが大きな人気を博していた様子が窺える。例えば、次の本は参考になる。

朝倉三心『性霊が私を犯しにくる! おぞましきセックス・ゴーストの戦慄』日本文芸社 1997

 現代ならば猥怪談と呼ばれるようなジャンルとなるだろうか。あまり熱心に研究されてはいないが、実話怪談の歴史は、そのいくつかの枝を官能小説や官能漫画と接してきたことは間違いない。朝倉氏の著作は明らかに男性読者向けに描かれたものと推察されるが、女性向けの実話怪談がレディースコミックに掲載されてきたことから考えても、怪談と官能メディアは一体のものとして発達してきたことがわかる。
 ところで、私も自分の体験として、怪談が純粋に読みたくてレディースコミックを買いに行った先で、店主から非常に怪訝な表情をされたことを覚えているが、店主の感じた困惑は幼い子供がレディースコミックを手に取ったことに向けられたものだったのか、それとも怪談を読むことに向けられたものだったのかはわからない。しかし、それがどちらであれ、人はそのどちらに対しても、自分のことは棚上げして、奇異な目線を向けることは確かである。それはつまり、その両者が人間のリアルな部分に触れるものだからだろう。それはエロスとタナトスと呼ばれるものである。
 エロスとタナトスは人間の根源に巣食う双子である。色情霊は、エロスとタナトスを同時に体現した貴重な存在と言えよう。表現の違いはあるものの、結局、怪談も官能小説も人間の最も基本的な部分から発生したものなのだ。だからそれらは今も昔も生み出され続けているし、今後も決して潰えることはない。そして、『心霊ショック』という書物は、それ1冊でエロスとタナトスの具現化を目指した本なのである。
 この本が竹書房怪談文庫の創刊号であることは、怪談本の歴史にとって、決して忘れてはならない重要な出来事である。

 お読みいただきありがとうございました。次回は、「0009 A-side 百物語の怪談史」です。次回もお読みいただければ、無上の喜びです。

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