見出し画像

0001 A-side 生き人形

1.生き人形とは

 稲川淳二の体験した最恐の怪異。その怪異は『呪夢千年』という公演で使われた少女人形によるものと考えられている。あるいは1999年8月13日金曜日に東京厚生年金会館で行われた伝説のライブを指して言う場合もある。多くの怪談フリークたちが、数ある稲川怪談の中で最も怖い話として挙げている。それどころか、全ての現代怪談の中から最恐作品を選んだとしてもぶっちぎり1位に輝く可能性が高い。稲川淳二本人が、生き人形の(当時の範囲での)全貌をまとめて聴衆の面前で語ったのは、上記のライブだけであり、そのDVDは非常に貴重な映像資料として第1級の価値を持つ。たったひとつの怪談が、1時間半にも及ぶというだけですでに驚異的であり、しかも最初から最後まで息もつかせぬほど奇怪な現象が起こりまくる話という点で唯一無二である。内容があまりにも濃いため、1回聞いただけで全てを頭に叩き込むのは到底不可能であり、2度、3度聴いたところで、所詮同じであろう。そのため、聴くたびに新たな怖さを発見することができる。関係者の幾人かは実際に亡くなっており、怪我、事故、病気などの不運に見舞われている関係者も数多くいる。また、話を披露した番組内で怪奇現象が生じたこともあって、稲川自身語るのを避けているようだが、それにもかかわらず、広く流布しているあたり怪異としての強さを感じさせる。一説にはまだ続いているという。真の全貌がどのようなものか想像もつかないが、いつか語られる日が来るのを首を長くして待つより他ない。

2.『生き人形』の全貌を知るには

 まずは稲川淳二の語る『生き人形』をDVDで視聴することを強くお勧めする。以下のサイトで購入できる。空前絶後の第1級資料に触れる快楽をご堪能あれ。
MYSTERY NIGHT TOUR ONLINE SHOP 
生き人形 稲川淳二《最・恐・傑・作》
https://mnt-online.shop/items/5ef201fb6589fd4cb5c5eff7

 書籍としては以下のようなものがある。
東雅夫編『現代怪談実話傑作選 私は幽霊を見た』
2012年 MF文庫ダ・ヴィンチ

この中で、稲川淳二本人が話を20ページ程度にまとめているものが読める。
永久保貴一『生き人形』 2000年 ホーム社漫画文庫
永久保貴一『続・生き人形 完全版』 2012年 ホーム社漫画文庫
漫画版。映像の方がよいという方にはこちらがオススメである。

 以下のサイトも参考になる。
Wikipedia 生き人形  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E4%BA%BA%E5%BD%A2
ミドルエッジ 稲川淳二怪談の原点。生き人形について
https://middle-edge.jp/articles/I0002654

3.生き人形試論

ここからは私の『生き人形』を愛するあまりの空想的語り=騙りが多く含まれる。『生き人形』についての連想=恋想と言ってもよい。


 まだインターネットが世の中に広く行き渡っていない頃、怪談へアクセスするための媒体は、TV・ラジオ番組か本くらいしかなかった。私の場合、田舎住まいだったため、放映されない番組はたくさんあったし、本も入荷がないことなど日常茶飯事であった。良質の怪談の噂は聞こえてはくるものの、それに辿り着く方法がわからない。そんな時代だった。だが、それはそれで幸せなことではあったのだろう。今は逆に、ネット配信のおかげもあって、大量の怪談に瞬時にアクセスできる時代となった。食事をしながらでも、気軽に怪談を楽しむことができる。怪談も大量生産、大量消費される時代。こうなってくると今度は、自分は良質な怪談へアクセスできているのだろうか、という疑問に日々悩むこととなる。目の前を流れ去る怪談の速度についていけず、もしかすると良質な怪談があったかもしれないのに、見逃してしまっているのではないか、という強迫観念に囚われることがままある。いや、これはしかし、幸せな強迫観念なのだろう。

色んな方面から『生き人形』はすごいという話が聞こえてくる。だが、内容を尋ねても満足いくほどの話を聞くことはできない、そんな怪談だった。何せみんな語る内容がバラバラなのだ。同じ題名の怪談を混同しているのではないかと思われるほど、話す内容に統一性がない。一体何が起きているのか。ひょっとすると自分は多勢の人間に担がれているのではないかという疑念すら湧いた。そして、『生き人形』は強力なインパクトを持って私の中に沈殿することとなった。思えば、私が怪談というものにいささかなりとも興味を持ち続け、今までずっと人生の一部であり続けたのには、この体験が関係しているかもしれない。『生き人形』を探し続けて生きる。もちろん、その想いが一貫して同じ強度で私の中に居座り続けたわけではないが、その想いはその都度明滅を繰り返しながら、だが、決してその光を失うことなく私の中にあり続けた。結局『生き人形』の全貌を知るという悲願を達成したのは大人になってからである。そして全貌を知った瞬間、ようやく納得がいった。なるほど、これほどの超長編怪談だからこそあのような混乱が起こっていたのだ。誰もが私に同一の『生き人形』を語ってくれていた。だが、そのどれもが語られる場面が異なっていたのである。つまり図らずも、私はとうの昔からすでに『生き人形』の多面的な姿に触れていたというわけだ。これに気づいたとき、感動で打ち震えたのを鮮明に憶えている。

『生き人形』の怪異としての怖さはどこからくるのか。いくつか挙げると、まずは始まりの不条理さである。この怪異は唐突に向こうからやってくる。おもしろ半分で心霊スポットを訪れたものが、その報復として祟られるというのではない。怪異の方から人間を選んでやってくるという予測不能の始まりであるがゆえに怖い。次に、怪異の影響力の強さである。様々な人が実際に亡くなり、亡くならないまでも怪我や霊障に見舞われた人がたくさんいる。漫画版の作者にまでも影響が及んでいる。関係者を見境なく巻き込み、影響を与えようとする念の強さには目を見張るばかりである。第3に、継続性である。短く見積もっても20年は続いているという息の長い怪異である。まだ何か突拍子もないことが起こるのではないか。そのような不安をいつまでも掻き立てる。先の見えなさから来る恐怖は、恐怖の中でも無上のものである。『生き人形』は不条理さ・影響力・継続性を兼ね備えた怪異の3冠王なのだ。まさに怪談の中の怪談といえるだろう。

この怪異の語り部である稲川淳二とは一体何者なのか。もちろん語り出せばキリが無いのだが、ここでは『生き人形』にとって稲川淳二とは何者か、という点に論点を絞ろう。言うまでもなく『生き人形』の語り部である。だが、なぜ稲川淳二でなければならなかったのか。これは勝手な妄想だが、ここには『生き人形』の重要な謎が隠されているように思われてならない。そもそも、この怪異は人形遣いに憑いているように錯覚されがちだが、実は怪異が最初に訪れたのは稲川淳二のもとである。そういうわけで、本当に憑かれているのは、語り部である稲川淳二その人なのではないかと私は考えている。『生き人形』全体を俯瞰してもわかるように、怪異は稲川に直接的で決定的な危害を加えることを注意深く避けているように見える。これだけ影響力の強い怪異でありながら、周囲の混乱をよそに、まるで稲川だけは台風の目の中にいるようだ。稲川淳二はあたかも守られているような印象を受けはしないだろうか。影響力の大きさも逆に稲川を守っていることを気づかせないためのミスリードとしてあるのではないか。とすれば、最初に稲川のもとにやってきたという不条理さにも実は裏があるのではないかと勘繰りたくなる。そこにはいまだ発見されていない必然性のミッシングリンクが存在するのではないか。その事実が発見されたとき、これだけ長く続いている継続性の秘密も解き明かされるのではなかろうか。そして、その暁には『生き人形』の語り部としての稲川淳二とは何者かという問いへの答えが見えてくることだろう。
無論すべて個人の勝手な妄想である。

これも最恐の怪異現象『わたしにも聞かせて/聞かせろ』が話の枕に使われていること、霊能者の死と怪異との因果関係、男の子の幽霊の正体、奇妙な「心霊」写真、ソーニャとの関連性などまだまだ考察すべきところはたくさんある。どこを焦点とするかによって、また違った『生き人形』の側面を炙り出すことができるだろう。それが真実の一欠片であれ、妄想であれ、空想であれ、『生き人形』は多くの人々の思考を起動させる力を持った怪異である。今後、これを超える怪談は現れるだろうか。西洋哲学がプラトンを乗り越えるべく発展してきたように、現代怪談は『生き人形』を乗り越えるべく発展してきた側面がある。一怪談ファンとしてはこれを乗り越える怪談が現れるのを願わざるを得ないが、たとえそのような怪談が現れたとしても、『生き人形』が現代怪談のアルファでありオメガであるという事実は未来永劫変わることはない。


4.最後に

 『生き人形』の中でも、最も有名な一節を引いて本記事を終えることとする。「言葉のサラダ」であり、聴く者は人格の崩壊を示唆されずにはいない。

稲川ちゃん、もう、大丈夫だからね。あのね、家を出るとき、玄関に三角の紙を置いてきたからね。あの紙が四角になったら、全ては丸くおさまるんだよ。
東雅夫編『現代怪談実話傑作選 私は幽霊を見た』2012年 MF文庫ダ・ヴィンチ

それでは、B-sideもお待ちいただければ幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?