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〇旅ごはん/小川糸

とりわけ衝撃的だったのは、黒パンとの出会いだ。
ホテルの朝食に出される黒パンの美味しさに、
私はめろめろになってしまった。
見た目は文字通り黒くどっしりしているのだが、
中は見た感じほど硬くなく、ふっくらしている。
そして、ほんのり甘酸っぱい。
その甘酸っぱさも、嫌味になるほどの甘酸っぱさではなく、
あくまで、ほんのりなのである。

キャラウェイの黒パン

炊きたてのご飯を海苔の中央にこんもりとよそい、
そこにワサビ醤油で味付けしたアボカド納豆をのせ、
さらに上からご飯をかけ、
あとは折り紙の要領で海苔の隅を
中心に向けておりたたむ。

アボカド納豆のオニギラーズ

タルトフランベは、アルザスと南ドイツで食べられる伝統料理で、
薄く薄く伸ばしたパン生地に、
チーズやサワークリーム、ベーコンや玉ねぎなどを
のせて焼いたもの。

アボカド納豆のオニギラーズ

そうするとボーイさんは、
厨房にいってわざわざココナッツを搾って持ってきてくれる。
これにハチミツを溶かして飲むのだが、
これがまたなんともいえず美味しいのである。
缶詰のココナッツミルクでは決して味わえない、
甘くて爽やかな香りがたまらない。
じっくりとココナッツミルクを味わったら、
今度はシェフのところに行ってドーサを焼てもらう。
ドーサというのは、水を吸わせた米と豆をすりつぶして
発酵させた生地を薄く焼いたもので、
カリッと焼いたクレープのような食べ物だ。
その中にはスパイスで炒めたジャガイモが隠されている。

三角すいのドーサ

中でも特に好きなのが、ゼルニと呼ばれる、
赤えんどう豆の煮込み料理だ。
ラトビアでは、赤えんどう豆をことのほかよく食べる。
ゼルニは、赤えんどう豆と豚の脂を合わせて煮込んだもので、
基本的には冬の食べ物だというが、
どこで食べたゼルニにも奥深い味わいで、
しみじみと懐かしい気持ちに包まれた。
日本人の作るおふくろの味にも通じるような、
素朴だが滋味たっぷりのごちそうである。

市場のおいしいもの

冬は燻製にしたソーセージやベーコン、
干した魚や豆類を食べ、
春になったら森で摘んだべリー類を尊び、
夏は新鮮な魚や肉を堪能し、
秋には森のキノコを食卓に並べる。

市場のおいしいもの

料理は、ブロード、アーティチョークのオムレツ、
バターチキンソテー、フィレンツェ風Tボーンステーキ、
グリーンサラダと生の白インゲン豆のオリーブオイル漬けを頼む。
中でも驚いたのは、アーティチョークのオムレツだった。
いまだに、何をどうしたら卵があんな姿のオムレツに変身するのか。
丸くかたどったようなオムレツの中央を窪んで、
そこにソテーしたアーティチョークがのっているのだが、
オムレツが薄い層を何枚も重ねたようなつくりになっていて、
火加減が絶妙なのである。
オムレツを崩し、アーティチョークをつけて食べると
口の中で卵がとろりと溶けて、それは絶品だった。

アーティチョークのオムレツ

中でも忘れられないのは最後に出された一皿で、
濃厚なチョコレートムースに
海の塩でアクセントをつけたというデザートには、
砂糖漬けにした小さなまつぼっくりが添えられていた。
出来て半月足らずの松ぼっくりは、
中にすでにちっちゃな芽を宿しており、
その芽が独特な食感を生み出す。
松ぼっくりを食べることは、リトニアの伝統とのこと。
甘い蜜煮つけられた松ぼっくりの風味が、
いつまでも残響のように舌の上に広がっている。

リトニアの砂糖漬け松ぼっくり

カライメ人の代表的な食べ物といえば、
キビナイが知られている。
キビナイは、中に肉を入れて生地で包み、
三日月型に形を整えてからオーブンでやいたもので、
中には、スープとともに食べるのが、正式な食べ方だ。
このキビナイのスープが本当に美味しかった。
見た目は餃子のようだが、
ざっくりと刻んだ食感の残る肉には
旨味がぎっしりと詰まっていて、
それを軽い食感の生地が包み込んでいる。
スープには潔いほどに具は一切入っておらず、
羊の骨を煮込んで作ったというブロードの澄み渡った味が、
喉の奥を気持ちよく流れた。
塩加減も完璧で、正直もっとたくさん食べたいと思っていたほど。
メインとして出されたチェナクと呼ばれる鶏肉の煮込みにもまた
スープがたっぷりと入っていて、雑味がなく、
私は食べながら、お正月に実家で出されたお雑煮の味を思い出していた。
デザートはカッテージチーズと干しぶどうを
パン生地で包んで焼いた素朴なお菓子で、
これもカライメ人にとっては馴染みのあるもの。
クルプニクを飲み干す頃には、すっかりいい気分になっていた。
クルプニクは様々なハーブやシナモンなどの
スパイスを使って作られた、
カライメ民族伝統のお酒である。

羊のキビナイ

ビーツのスープは、温かくして出された。
チュルリョーニスの色彩に似て、
色が何んとも美しい。
パンとスープは、リトアニアのおもてなし料理だ。
前菜は、鴨のテリーヌとグリンピースのピューレ。
初夏の香りが、口の中にいっぱいに広がる。
レストランで使われる野菜は、
修道院内にある畑で作られたものが大半を占める。
メインは、羊の肩肉のローストで、
キノコや人参、大麦のリゾットが添えられていた。
デザートは、マンゴーを使ったチーズとベリー類の一皿で、
まるで地面から色鮮やかな花々が咲き乱れているような
美しさだった。

モダンリトアニア料理

その頃はまだ、このケーキの正式名称が
シュヴァルツバルタールキルシュトルテ(黒い森のさくらんぼ酒けーき)
で、ドイツを代表するケーキであることを知らなかった。
チョコレート味のスポンジケーキと、
生クリームとはちょっと違う独特な酸味を含んだクリーム、
それに洋酒に漬け込んださくらんぼが合わさり、
上には削ったチョコレートがかかっている。

コウシロウのお菓子

さくらんぼのケーキも捨てがたいが、
私はいつもブールドネージュをリクエストした。
これは形がボールのような球形で、
その表面を白いクリームとピンク色のクリームが、
四分の一ずつ交互に覆っている。
中には、胡桃やレーズンを入れてしっかり固めに焼いた生地が入っており、
シンプルながらも奥深い味なのだ。

コウシロウのお菓子


小川糸さんの海外を巡って
食べて感じてきた食のエッセイ。
いつも素晴らしい食事の描写をする
小川糸さんがどんなことを感じながら
食べているのかと思っていた。
たくさん様々な食事を
口にしてるんだなあと思った。



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