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ロリータパンク・ファッション史 〜 対極的なものの融合と進化〜

「ロリータってルールがいろいろあって、むずかしそう」
そんな声をよく聞く。
たしかに、「このブランドはロリータで、このブランドはロリータじゃない」「肌を露出してはいけない」「パニエをはくべき」などなど、定義やコーディネート、精神性について、長年にわたって事細かに流儀や知識が語られてきた界隈もある。
でも、 その中にはもっと自由なカテゴリもあった。
それが、「ロリータパンク」。
ファッション史において忘れられがちなこのジャンルの変遷と、その魅力について、今あえて自分の知る限りのことをまとめておきたいと思う。
ロリータパンクはこれからの時代と親和性が高く、「Y2Kファッション」や「平成レトロ」的な懐古にとどまらず、これからのファッションをより盛り上げてくれるのではないか、と私はひそかに思っているからだ。


ロリータパンクとは

ロリータパンクは、2000年代後半から2010年代に入るくらいまでの時代に雑誌や街でよく見かけた印象のあるファッションで、バンギャルと呼ばれるバンドファンたちが主にヴィジュアル系のライヴに行く際に着る服としても定番だった。
フリルやレースといったロリータ要素と、Tシャツ、シルバーアクセサリー、赤黒チェックなどパンク要素が組み合わされているのが特徴だ。
ロリータパンクの性質として重要なのは、その名が示すように、〈甘さとハードさ〉、〈ガーリーとボーイッシュ〉、〈幼さと反骨精神〉、〈かわいい と かっこいい〉といった、対極に思える要素を組み合わせていることにあると私は考えている。

ただ、プリンセスやお人形のような甘ロリや、ダークで退廃的なゴスロリに比べ、ロリータパンクには固まった様式やルールのようなものがほぼない。ルールがないことこそ「パンク」の精神だからだ。
そんな掴みどころのなさがあり、いつからいつまでストリートにいたか、どんな人がロリータパンクか、などの動向を分析するのはなかなか難しいとも思う。
「ロリータパンク」「ロリパン」「パンクロリータ」などと呼べば一定の層に伝わる感じはあるが、雑誌の中では「パンク」「ロック」「ゴシック」などのキーワードを組み合わせて紹介されることが多く、特に定まった呼称も定義もない。

ブランドのカタログのようなテンプレート通りではなく、誰一人同じコーディネートにならないような自由さが好きで、私は自分なりにロリータパンクをイメージしたイラストをたびたび描いてきたが、それらのイラストもあくまでもロリータパンクのひとつの例にすぎない。

ロリータパンクファションの女の子たち

それでは、日本のガールズ・ファッションとしてのロリータパンクはどのような流れをたどってきたのだろうか。

Vivienne Westwood が魅せたロリパンの魂とアーティストたち

特に90年代半ばから2000年代半ば、青文字系雑誌に憧れブランドとして頻繁に登場したのが、イギリス生まれのパンク・ブランド Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド、通称ヴィヴィアン)だ。
雑誌『KERA』での取り上げられ方をみると、ヴィヴィアンはロリータパンクの魂を表すようなブランドだともいえる。

たとえば 『KERA』2004年8月号では「お宝私物公開♡ヴィヴィアン大好き!」という特集が組まれ、作家の嶽本野ばら、タレントの千秋、アーティスト香奈などの私物とヴィヴィアン愛を語るインタビューが紹介されている他、読者モデルのスナップが掲載されていて、リアルな入手事情やコーディネートの仕方を窺い知ることができる。
嶽本野ばらや千秋が海外や直営店で買っているのに対し、スナップされている読者たちはネットオークションや古着で買うことが多いのがリアルなところで、実際は頑張って手を伸ばすようなブランドだったヴィヴィアン。

この特集の中で嶽本野ばらは、「ヴィヴィアンに目覚めたきっかけ」についてこう語っている。

品性と野性の融合が根本のテーマにあるところに惹かれたからだと思います。

『KERA』2004年8月号

ここでも、一見対極に思えるような要素が融合していることが重要であったことがわかる。

オーブマークのついたバッグやネックレス、ピアスなどは今に至るまで人気が途絶えることはなく、最近では「地雷」系ファッションの女の子たちにも好まれているアクセサリーでもある。

90年代のYUKI(右)と椎名林檎(左)。ヴィヴィアンを着こなしていた。

90年代末では、歌手の YUKI 椎名林檎もヴィヴィアンを愛用しているアーティストの代表格だった。
「品性と野性の融合」というキーワードは、この二人の音楽やアートワークの性質に当てはめても納得がいく。
アーマーリングやカーディガン、ロッキンホースなどは、YUKI や 椎名林檎のファンにとってもまた、憧れのアイテムとなっていた。

そう、そもそも「ロリータパンク」という概念の源流をさかのぼると現れるのが、1990年代前半に「LOLITA A-GO-GO」とも歌っていたJUDY AND MARYのボーカリストYUKIだった。
90年代からパンクさ・反骨精神と「女の子であることの証明・主張」のバランス感をファッションや音楽などで表現してきたYUKI。
ソロになってからも、青文字系女子のファッションリーダーとして根強い人気があり、『Zipper』ではたびたび特集が組まれていた。
2000年代後半には、ふわふわのボブスタイルやミュージックビデオの世界観から「森ガール」から絶大な支持を得ることになり、バンド時代のパンクなイメージから路線が変わったように思われるYUKI。ただ森ガールとロリータパンクとは、実は親和性が高い気もしてくる。それについては後ほど、ミュージシャン・香奈のファッションとともに触れたい。

もうひとつ重要な点がある。
ヴィヴィアンのようなパンクファッションの派生元であった音楽としてのパンク・ロックが、「DIY = Do It Yourself」という精神をスローガンとして掲げていたことだ。
パンク・ファッションとパンク・ロック音楽とは切り離して考えられることが多いが、このDIY精神はパンク・ファッション、ひいては日本のロリータパンクにも不可欠な要素だと私は考えている。

『KERA』にみるロリータパンクの歴史

では、独自の路線を辿ってきた日本のロリータパンクは、どのように特徴付けられていったのか。
そこには、もちろんメディアの存在がある。

1998年に創刊した雑誌『KERA』(創刊当時は『KEROUAC』)は、90年代はストリート・スナップ誌としての側面が強く、すでにあった『Zipper』『CUTiE』などの原宿系・青文字系ファッション誌のように幅広くストリートファッションを取り上げていたが、早くも1999年にはその中でも特にロリータファッションをフィーチャーすることで、他の雑誌と差別化される存在となっていった。
そして『KERA』の中でも主にロリータファッションを集めた『ゴシック&ロリータ バイブル』、ファッションやカルチャーをより深掘りする『KERAマニアックス』などのムックも派生した。

『KERA』(インデックス・マガジンズ)2004年8月号 表紙は土屋アンナ。

そんな『KERA』では、甘ロリやゴスロリ、クラロリなども含め、雑誌に合ったファッションの読者やモデルを「ケラっこ」(「ケラ!ッコ」などの表記もあり)と呼んできた。
それは、カテゴライズしづらい多様なロリータパンクのスタイルの代名詞としても使われるようになっていく。

『KERA』2009年5月号 表紙はあも(AMO)。

またその頃、ヴィヴィアンが憧れブランドだった一方で、比較的安価で手に入れやすかったり、着心地も楽で自由度が高い服やアイテムを販売していたブランドが数多く存在した。

h.NAOTO(エイチナオト)、ALGONQUINS(アルゴンキン)、PUTUMAYO(プトマヨ)、PEACE NOW(ピースナウ)、HELLCATPUNKS(ヘルキャットパンクス)、SEXY DYNAMITE LONDON(セクシーダイナマイトロンドン) などがその人気ブランドといえる。

中でも明確に「ロリパン」と自称していたのは、1990年という早さで生まれたPUTUMAYOだ。
「誰もが気軽に楽しめる服」を意識して作られていたお洋服で、2006年ごろは「小中学生などちょっぴり背伸びをしたい少女たち」の支持をも集めたという。
2000年からデザイナーを務めた長谷川俊介はこう語っている。

とにかくPUTUMAYOの服は、ほんとにいろんな人に着てもらいたいって思ってます。デザインするときにまず常に心がけていることは、基本である"着やすさ"。だから、いろんな人に着心地を試して、幅広く受け入れてもらいたい。メインで扱う素材も綿100%ですし、色も黒中心です。

『ストリート モードブック』(グラフィック社)2007年

ロリータパンクのターゲットや『KERA』の読者層は、主に10代や学生、若者たち。そんな彼女たちにとって、選択肢が広いことは重要だったのだ。

2000年にはすでに、新宿のファッションビル・マルイワンの中に『KERA』が運営する「KERA!ショップ」があり、このようなブランドがセレクトされていた。
その頃から新宿マルイワン(ワンジュク)はロリータの聖地となり、原宿と並行してスナップも定期的に撮影されるようになっていった。

読者スナップでロリータパンクのファッションが目立ち始めるのは、2002年ごろからだと私は考えている。
『KERA』2002年9月号には「お気に入りのファッションでキメてLIVEへ出かけよう!」という特集があり、マルイワン新宿に店舗を構えるSEXY DYNAMITE LONDON、h.NAOTO、no future……†といったパンク寄りのファッションが紹介されている。
そして以後、「ライブ会場」で撮影したパンク系ファッションのスナップが増えていく。
それはこの2002年にバンド・cali≠gariPsycho le Cemu がメジャーデビューするなど、後のネオ・ヴィジュアル系ブームの兆しが見えてきたことと関連しているのだろう。
このブームは2004年に本格化し、エンターテイメント性の高いヴィジュアル系のライヴに集うファン(バンギャル)たちは、連帯感と没入感を増すようなファッションにこだわる傾向になったのだと思う。

時を同じくして、嶽本野ばら原作の映画*『下妻物語』がヒットし、ロリータというファッションは一躍知名度を上げることとなった。
ロリータ雑誌というよりあくまでも「ストリートファッション誌」であった『KERA』では、ロリータという言葉が市民権を得た2004年以降とくに、ロリータアイテムをリアルクローズとしてカジュアルに取り入れる提案をたびたびするようになった。
それが型にはまらない、ロリータパンク的なファッションをさらに拡げることになったのだと思う。

『KERA』2008年1月号では、「パンクロック派宣言!」という特集で、いわゆるロリータパンクといえるファッションを、
「シド&ナンシー的パンクロック派」
「アキバ的パンクロック派」
「ヤンキー的パンクロック派」
「ロリポップ的パンクロック派」
「スクール的パンクロック派」
「ヒロト的パンクロック派」
という6つのタイプに分けて紹介しているのが興味深い。
特に注目したいのが、「もはや新ファッションスタイルとしてカワカッコイイ❤︎」とのコピーが付された「アキバ的パンクロック派」
「アキバ系」という言葉が流行語大賞を受賞したのが、まさにこの2008年だった。
またこの年、当時幹事長だった麻生太郎が漫画『ローゼンメイデン』を読んでいたことも にわかに話題になったりしたが、「アンティークドールの闘い」をテーマにしたこの作品は、ゴシックロリータが着想源だといわれている。
ロリータファッションと、アキバ的な漫画やアニメ文化との結び付きが強くなり始めたのがこの頃だといえるだろう。

それから、『デスノート』の弥海砂(ミサミサ)、『NANA』の大崎ナナ(ナナ自身はほぼロリータ要素はないが) など、キャッチーなファッションのキャラクターが登場する人気漫画やその実写化がヒットしたことも相まって、2005年〜2007年ごろはより一般的にロリータパンクのイメージが広がった時代でもあった。
実写版の弥海砂( 戸田恵梨香 )の衣装にはh.NAOTO、大崎ナナ(中島美嘉)の衣装にはヴィヴィアンが使われていた。
海外の人や、ファッションに詳しくない大衆の間では、ロリータパンク=アニメキャラのようなイメージもついたのかもしれない。
元々バンギャルに人気のファッションではあったが、この時期アニメファンの人が着ていることも増えた印象がある。

▲ミサミサが表紙になっている単行本。

▲映画版『NANA -ナナ-』予告編。

ロリータパンクを彩ったファッションアイコンたち

さらに、雑誌に様々なファッションアイコンが登場することによって、ロリータパンクというカテゴリはさらにフォロワーを集め、確立されていく。

まず、2000年代前半に『KERA』『ゴシック&ロリータバイブル』に毎号登場していた、歌手の香奈(現・Moon Kana)を忘れてはならない。
香奈は自ら手作りした服や小物をいつも身につけていたのが独自のスタイルで、ソーイング企画などが人気の、まさにDIY精神を体現したモデルだった。
彼女は『KERA』にロリータ雑誌としての彩りを添えた、初期のファッションアイコンといえるだろう。
ランジェリーを取り入れ、「エロリータ」(エロ+ロリータ)という企画に出たこともあったが、その呼称のほうは定着しなかった。
それというのも、香奈がたびたびコーディネートに取り入れるランジェリーは性的なイメージを喚起させず、むしろ妖精や天使のような不思議で非現実的な存在を思わせる。
そこには、「森にいそう」というコンセプトで2000年代後半に広がったファッションジャンル・森ガールにも通じる世界観があると思う。
フリルやレースに、キャミソールなどランジェリーライクなアイテムも自由に重ね、アクセサリーをじゃらじゃらつけて、小物を手作り(DIY)したりもし、音楽や映画や写真などカルチャーに耽った森ガール。
そういえば森ガールが好んだアンティークな懐中時計のモチーフのアクセサリーは、不思議の国のアリスからきていると思うのだが、どこかスチームパンクの要素も感じられる。

『ゴシック&ロリータ バイブル』vol.3(ヌーベルグー) 2002年 表紙左下に香奈の写真も。

また、映画『下妻物語』でロリータの対極としてのヤンキーを演じた土屋アンナも、パンクにランジェリーを組み合わせたファッションで度々登場した。
土屋アンナは『下妻物語』以前にも『KERA』でモデルを務めたキャリアがあり、ロリータには馴染みのある存在だったはずだ。
そんな土屋アンナが、『下妻物語』ではロリータの対極としてのヤンキー役をつとめた。
一方で、それまではヤンキーというかギャルのようなルックスだった人気女優・深田恭子がロココなロリータを演じた。
こうして従来のオフィシャルイメージを敢えて逆転させたのが、『下妻物語』のシスターフッドな関係性の説得力を高めた面白さだと思う。
ヤンキーとしてのハマり役で知名度を上げた土屋アンナは、その後パンクとギャルを組み合わせたようなクール度強めのファッションがトレードマークとなり、香奈とはまた違う路線のアイコンとなった。

『KERAマニアックス SPECIAL』((株)インデックス・コミュニケーションズ) 2007年 表紙は土屋アンナ。

さらに、アーティストTommy heavenly6 にも触れておきたい。
the brilliant greenのヴォーカリスト・*川瀬智子は、ソロプロジェクトとしてTommy february6(トミーフェブラリー)とTommy heavenly6(トミーへヴンリー)というふたつのキャラクターでも音楽活動をおこなっていた。
february6 のほうではスクールガールやカジュアルロリータ、甘ロリ路線なのに対し、ダークサイドとしての heavenly6 はゴシックやパンクの要素が強い。
2ndシングル「Hey my friend」は映画『下妻物語』のエンディングテーマにもなっていて、彼女も広い意味でロリータパンクのアイコンのひとりだと言って良いだろう。

そんな Tommy heavenly6 が意識していたのは、カナダ出身のアーティストAvril Lavigne だと思われる。

▲Tommy heavenly6 「Hey my friend」(2004
年)のMV。

▲Avril Lavigne 「complicated」(2002年)のMV。

アヴリルはのちにハローキティとコラボするなど日本のカワイイカルチャーへの愛をアピールし、デビュー当時はボーイッシュ、パンク、ロック要素が強かったファッションにも、やがてピンクやカワイイ要素を取り入れるようになる。
アヴリルのヒットによって、ガーリーとボーイッシュが融合されたロック・ファッションはより広く、洋楽好きや海外カルチャーが好きな層にも広がるブームとなった。

さて、あらかじめカジュアルでパンクなデザインのものを多く出しているブランドのアイテムを同じテイスト同士組み合わせるか、BABY, THE STARS SHINE BRIGHTAngelic Pretty など甘ロリメインのブランドでもTシャツなどのカジュアルアイテムを使うコーディネートが定番だったロリータパンク。
でもその中で、ロマンティックなロリータ服を敢えてパンクに着こなし、雑誌で鮮烈な印象を残していたのが、歌手の 北出菜奈 だった。
BABY, THE STARS SHINE BRIGHTやALICE AND THE PILATES、厳密にはロリータブランドではないがMILKなどの、プリンセスや少女を思わせるような甘いロリータのドレスに、Vivienne Westwood や Chrome Heartsなどのハードなシルバーアクセ、安全ピンや網タイツなどを合わせたパンクでグランジなスタイル。
唯一無二のファッションで2005年から2009年という時期にモデルとしても活躍し、『KERA』での表紙起用回数は歴代最多となっている。

2010年前後になると、KERAモデルと『Zipper』のパチパチズ(読者モデル)や『Popteen』モデルを兼任していたモデルが多かったこともあり、AMOゆら椎名ひかり などが時にカジュアルに、時にデコラティブに、多様なコーディネートを見せた。
そして、「ロリータ」や「パンク」はより広い意味に開かれたファッションになったように思われる。

『KERA』2008年1月号 表紙は北出菜奈。


雑誌カルチャーから、SNSの時代へ

しかし2010年代を過ぎると状況は変わってくる。いつのまにかロリータパンクは街から消えていった。
その理由として、大きくは次の3つの要因があるのではないかと私は推測している。

1) 海外に向けたクールジャパン政策によって、「Kawaii」「原宿ファッション」のイメージが偏っていった。
2) カルチャーメディアとしての機能を果たす役割が、雑誌からSNSへと以降した。
3) ネオ・ヴィジュアル系ブームが下火になった。

まず2011年に『KERA』や『Zipper』のモデルでもあったきゃりーぱみゅぱみゅが彗星の如くメジャーデビューし、一世を風靡した。
2013年には海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)が設立されたのと相まって、きゃりーはカワイイカルチャーを代表しクール・ジャパンを担う存在のように扱われるようになり、原宿ファッションとはきゃりーぱみゅぱみゅ系、というイメージが大衆に浸透したといっても過言ではないと思う。
6%DOKIDOKI のアイテムに代表される、ネオンカラーのTシャツにふわふわのスカート、大きなリボン、ちょっとグロテスクなモチーフのアクセサリーなどを使ったカラフルなスタイルは、ロリータともパンクとも少し逸れる、デコラファッションの系譜のものだ。
これは、もともと欧米発のパンク要素が入っているロリータパンクよりも、海外に向けてわかりやすく「原宿」「Kawaii」をアピールしやすいファッションだったのだろう。
そんなきゃりーぱみゅぱみゅ風のファッションの若者が増え、原宿の景色は変わった。
そしてそれはまた、SNSによる「インフルエンサー時代」の幕開けの象徴でもあったと私は思う。

同じ頃、2010年にInstagramがリリース。
2014年にInstagramの日本語アカウントが開設されると、それ以降、日本の月間アクティブユーザー数は年に400万人の勢いで増え、2017年10月に2000万人に達している。

この流れと反比例するように、ファッション雑誌の発行部数は下がっていく。
『KERA』が発行部数非公開のため、参考までにテイストが近く人気が高かった青文字系雑誌の『Zipper』の発行部数の変遷をみると、2011年までは18万部を超えていたのが、2012年から年2万部ペースで部数が落ち、2014年末には10万部を切って、2016年末には5万部を切っている。

SNSが普及するとともに、雑誌とブランドと読者と相互作用がそれまでのように機能しなくなったのではないかと思う。
雑誌のもつ広告効果や、読者を結びつけるコミュニティとしての役割は薄れていった。
[ ストリートファッションを雑誌が取り上げる]→ [その雑誌に影響を受けた人々がストリートに繰り出す] といったサイクルも、SNS の情報更新速度には追いつけなくなってきたのではないかと思われる。

ついに2017年に『KERA』と『ゴシック&ロリータ バイブル』は休刊となった。
また、ヴィジュアル系の音楽雑誌『Neo genesis』『Zy.』が2011年に、『FOOL'S MATE』も、2012年に休刊・発行停止するなど、今までロリータパンクを支えてきたネオ・ヴィジュアル系ブームも一度、下火になったといわれている。

そして、ロリータパンクの多くのブランドはなくなってしまった。
BLACK PEACE NOW は2013年に全店舗を閉店したのち倒産。
h.NAOTO は2016年に直営店全店舗を閉店(ブランド自体は存続)。
PUTUMAYO は2017年にブランド休止。
ALGONQUINS(アルゴンキン) は2019年に経営ブランドが倒産。

もっと他にも様々な背景はあるかもしれず、これらの考察は現時点での私の推測にすぎない。
ではロリータパンクは、もう過去のものになってしまったのだろうか?

令和時代、これからのロリータパンク

2019年頃から令和となった現在に至るまで、ガールズファッションとしては「地雷」「量産」系が一大トレンドとなってきている。
街で見かけない日はない地雷系ファッションにもいろいろな服があるが、その中でも赤×黒の配色、厚底シューズ、ボーダー柄、チェックミニスカートに網タイツといった一種のスタイルは、ここまでみてきたロリータパンクの特徴とも共通項が多い。
では、地雷系はロリータパンクの進化形といえるのだろうか。

地雷系ファッションにも様々なテイストがある。

この地雷系ファッション・カルチャーについては、クラブ・キャバクラ・風俗業など夜の歓楽街文化と切り離せないことから、2000年代後半にもこのフィールドでよく見られた「姫ギャル・姫ロリ」ファッションの系譜という、ロリパンとは少し違った流れにあるファッションだと私は認識している。

「姫ギャル (姫ロリ) 」ファッションのイメージイラスト


ただ、地雷系の派生スタイル・「サブカル地雷」「天使界隈」は、かなりロリパンの精神に近い気がする。

「サブカル地雷」は、ジャージやロングTシャツなどユニセックスなシルエットのカジュアル服に、ヘッドドレスやシルバーアクセサリーやレース、フリルなどのアクセントを加えたファッション。
ヘッドフォンをアクセサリーのようにつけたり、部屋でゲーミングパソコンと一緒に写真を撮ったりと、電子機器をサブカルの象徴として取り入れているのが特徴だと思われる。
「天使界隈」はさらにその中でも、白や水色など透明感のある色を基調とし、羽根モチーフのアクセサリーをつけるなど、「天使」を連想させるファッション。
対極のものを融合させ、何かしらのカルチャーへの傾倒があるという点で、これらのファッションはロリータパンクの精神を引き継いでいるといえそう。
もはやこうなると、活動フィールドが歌舞伎町か原宿かなんて考えるのもナンセンスなのかもしれない。
ロリパンの聖地のひとつだったマルイワンはずっと新宿にあったわけで、原宿ファッションのイメージが強いロリパンも、新宿やその他全国各地で活動していたのだろう。今の地雷系が全国各地に広がっているように。


コロナ禍も続き、人々のファッションとの向き合い方も急激に変化していくなかで、2022年に PUTUMAYO が復活するという嬉しいニュースが飛び込んできた。
また、ロリータパンクのアイコンであったMoon Kana(香奈)、土屋アンナ、北出菜奈らが今もなお自分のスタイルを貫き活動を続けていることも、さまざまな世代にとって希望となる。
性別やジャンルのステレオタイプを軽々と超えてしまうロリータパンクというファッションは、実は今の時代のムードに合っていると私は考えているのだ。
年齢やジェンダーやさまざまな属性や、既存のルールからさえも解放されて、自由を纏うことができるロリータパンクファッション。
それは、多様性をうたいながらわかりやすいカテゴライズを求められる現在の鬱屈を鮮やかに打ち破ってくれるのではないか。
私はそう期待している。  

( 大石蘭 )


《 関連記事 》

・ロリータファッションの歴史と概要について

・「青文字系雑誌」について

・ヴィヴィアンやデコラについて

《 参考文献 》

※本文中で紹介した雑誌以外

・『ストリートモードブック ネオ★ゴシック・ロリータ』ストリートモード研究会(グラフィック社)2007年



文章・イラスト : 大石 蘭

構成協力 : SUITE IMAGE

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