不合理な地球人

ある日、友人と二人でバーに行った。雑談をしていると、ある男が割って入ってきて、突然我々に合計10万円くれると言いだした。我々は喜んで受け取ることにした。だがここで男は友人には9万円、私には1万円を渡してきた。私はこの金額差は不平等だと男を問いただした。男はただランダムに選んだと答えた。私は納得がいかないと言った。男はそれならどちらにも金をやらないと言った。私は怒って友人と店を後にした。残された男は「不合理な選択だな」と呟いた。

これは創作話であるが、人間の思考の本質を表している。「私」も「友人」も無償でお金を貰えるというのに、「私」は「友人」よりも金額が少ないという理由だけで、この誘いを断った。仮に男が一人で来店した「私」に対し1万円を恵んでくれるという状況ならば、「私」は喜んで貰ったであろう。

お金という観点で見ると、「友人」より額が小さいとはいえ、お金を貰うのが合理的な判断である。「友人」より額が小さいから貰わないという判断は感情にかまけた不合理な判断である。

この例で分かるように、我々人間は合理的判断を下して暮らしていると思いきや、感情という不合理なものによって支配されている。これが人間が人間たる所以である。

タイトルの「不合理な地球人」とは行動経済学の名著で、私は中学生のときに読み感銘を受けた。上記のような例が本の中にも出てくる。いかに人間が合理的な判断を出来ないかが分かる一冊となっている。

上の例のように、生活していると理不尽な目に遭うことが多かれ少なかれある。そういったときに、他人と比べてしまい、感情を爆発させてしまうか、もしくは合理的な判断をし、自らが不幸であるかのように錯覚することを咎めるかが幸せになれるかどうかの別れ目である。他人は他人、自分は自分である。

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