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ちょっとした失敗

ちょっとした成功って覚えてますか?
私はあんまり覚えてません。
多分1日1個くらいは、ギリギリ電車に間に合ったりとか朝の食パンがちょうど良くこんがり焼けたとかなにかしらあるはずなのに。
ちょっと嬉しいとかちょっと得したとか。

でもちょっとした失敗って死ぬほど覚えてる。
バイトでお釣りを返し損ねたとか
友達にいらん一言を言ってしまったとか
店員さんのオススメを断りきれなかったとか
電車でめちゃくちゃ音漏れしてたとか
人に借りたものに油性ペンで書き込んじゃったとか。
もう数えきれない。
これを書きながらも色々思い出して自己嫌悪に陥っている。

なんでちょっとした失敗をこんなに鮮明に覚えているかはなぜだろうかと考えたことがある。
この答えは明白だ。
めちゃくちゃ思い出すからだ。
失敗した瞬間にはもちろんそれまでの工程が順を追って脳内再生されるし、その日の寝る前にも思い出して「うわぁぁあ、なんであの時ナンタラカンタラで云々」と考え出したら止まらずなかなか寝付けない。
次の日になれば、忘れていることもある。
しかし現実は甘くない。

唐突にフラッシュバックするときがあるのだ。
その物事に関連したことが全くなくとも、ふと考え事をしていた時に「うわ、あの時あんなことあったよなあ」となる。
そうなるとまたブルーな気持ちに包まれて自己嫌悪タイムだ。

ここに他人の感情が絡むと余計拍車がかかる。
「あぁ私のせいであの人絶対〇〇って思ってるよなぁぁあ!!!でも違うねんそういうことじゃないねん私が言いたかったのは△△ってことで、でもまあ伝わりにくいよなあ伝わらんか!何であんなこと言ってしまったんやろう。でももしかしたらそんなに気にしてないかも!いやでもえぐい空気なったけどなあ!!!」と、自分に推し量ることなど到底できないことと分かっているのに小心者すぎて確認することもできないせいでずっと他人の感情を想像して悶々としている。

私にはこういう経験が数えきれないほどある。
割と次の日には忘れているタイプだが、唐突なフラッシュバックが多発するタイプでもある。
1週間前のことや1ヶ月前、下手したら1年前のことで頭を悩ませていることもある。
もうもしかしたら誰も覚えていないかもしれないけれど私の中で残っている限り解決とはいかないのだ。

人の感情なんて操作できないのだから気にしなければいいのかもしれない。
してしまった失敗は無かったことにはならないのだから仕方ないのかもしれない。
でも何度も何度も脳内再生されて感情がぶり返す。
カサブタになっていたはずの傷が、癒えてカサブタですら無くなりかけている傷が、再び抉られる。

そのせいで失敗や後悔は鮮明に心に頭に残り続ける。
思い出は美化されるというが、全くそんなことはない。
過去の失敗として鮮やかに私の心に存在し続ける。
下手したら昨日の1日の出来事よりも4年前の大失敗エピソードの方が色濃く残っているかもしれない。
思い出が誇張されているのだろうか。そうだったらいいのに。
あそこまで酷い失敗じゃなかったらいいのに。と、たびたび思う。

この特性の利点としては、同じような失敗をしにくくなることのみだと思う。
何度もそのシーンを脳内再生しているのだ。
もちろん成功パターンだって想像している。
まあ想像通りにはいかないが、同じ手には掛かりづらいと思う。

でも、ふとした瞬間にだってちょっとくらい成功したことも思い出したいものだ。
今考えても何も出てこない。
そりゃあそうだ。
たまたま成功したことなどは日常的に思い返したりしない。
でももう失敗にまみれて心が腐敗しちゃいそうだ。

ちょっとした失敗。
それは自分を成長させるのに不可欠なことなのかもしれない。そう信じたい。
そうじゃなきゃ負担がでかすぎる。

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