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北極星信仰の聖地と知ったのは8年後【2012.02 能勢妙見山】

引き続き南アルプスを目指して、砂丘の友人との登山第二弾。阪急電車と接続している能勢電鉄に乗って気軽に行ける里山地域。能勢電鉄の上手なPR等もあり、人の絶えない人気の山である。

今回は行動時間を増やすこと、負荷を上げること、そして小さい規模ながら縦走気分を味わえるルートを計画した。青貝山からはじまり、天台山、光明山、妙見山、高代寺山と4つの山頂を通るルートである。4つ目の山頂に向かう頃には二人とも膝が笑ってすっころがりまくっていた。

登山はじめの頃に、どうしてこう縦走にこだわったのかはよくわからない。なぜか妄執的に縦走することに強い憧れを抱いていた。稜線は陸地における垂直方向での最果ての道、そこには陸地の最端にきてしまった緊張感と畏れ、そしてそれらとは相反するスリルと興奮が渦巻いている。

バリ島の伝説、善の象徴バロンと悪の象徴ランダによる善悪の決着のつかない闘いのごとく、均等のとれた相反するものの対立にこそ創造力の源があり、圧倒的な魅力があるのでないか。それは実際に行かないとわからないこと、人間の想像力ではとても足りない自然のリアル。

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2月末の能勢妙見山というのは、標高500mくらいより上には残雪が残るものの、春の兆しが随所に見られるくらいの山。葉の枯れ落ちた広葉樹林の尾根を歩いていると、日差しに包まれて暖かい。山頂に着くと、まだ燻る冬の風が感じられた。

山頂に着くと、本瀧寺を中心とした日蓮宗霊場が広がっていたが、そのなかにひとつ、一際目を引く建物があった。人工的に妙に新しい意匠の建物、星型をしたオカルト的な建物。「社会の闇やな」と、そのときは二人とも気にせずに下山したが、いま改めて調べると能勢妙見山が北極星信仰の聖地だということがわかった、

驚くことに古代中国で生まれた信仰で、それが派生したのが日本でいう北辰信仰だという。北極星が菩薩になった姿こそが妙見菩薩であり、能勢妙見山の本尊だというわけだ。思ってた100倍奥が深かった。物事は見かけによらないという典型例だった。

北極星が菩薩と化す仏教の柔軟性に感心し、また全国の至るところの山に妙見と名のつく山があるのは、北極星と関係性があったからなのかと妙に腑に落ち、いまこうして文章を書いている。8年越しに食らった爆弾の衝撃に面食らいながらも、さすがに30年近く生きていると、こういうかたちで過去が現在に向かって新しい側面を見せ、まったく違う物語をみせてくれることもあるんやなと、この出来事をおもしろがっている。

きっと人間は未来に向かって今を生きると同時に、過去から問いかけに応え、過去を繰り返し再解釈することで、人生を自分のものに編み込んでいくのだろう。

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