ふじた

2022年夏からフィンランド

ふじた

2022年夏からフィンランド

最近の記事

手放しながら過ごす

依然として、仕事探しと修士論文の執筆に明け暮れる毎日が続いている。 仕事と修士論文は自分にとって大切なものだ。そのどちらもが、自分のしてきたこと、学んできたこと、考えてきたこと、そしてこれからしていきたいことを表現するものであって、それらを良いものにしたいという思いで取り組んできた。 きっと、仕事と論文に自分を映すという考え方は悪いものじゃないと思う。やらされてやるものほど虚しくて時間の無駄なものはないし、どうせ同じだけの労力と時間を使うのであれば、それらを自分が大切に思

    • 慌てるな、ぼうや

      このnoteは自分のために書いている。 今自分は、変化の時期にあって、その変化を生きるのはときにはしんどいことのように思えてしまうかもしれない。頑張っているはずなのにうまくいかないことや、自分の思い通りにいかないことに直面するたびに、自分の気持ちと向き合うことになり、それは疲れてしまうことなのかもしれない。 でも、これまでぼくはぼくの思う方向に人生を動かしてきた。多くの偶然や成り行きに助けられながら、自分のものと言える時間を積み重ねてきた。どんな時間を過ごしたいか、どんな

      • 自分のまんなかにあること

        3年前のこの時期、周囲の友人たちが就職活動に取り掛かろうとしていた時に、僕はUniversity of HelsinkiのChanigng Educationという修士プログラムに初めて心を奪われた。 交換留学を通じて、ヘルシンキの美しさを知っていたし、たくさんの友人もできてこの国・街にいつかは帰って来たいと思っていたけれど、自分の学びをここで続けることはまったく想像もしていなかった。 だけれど、CEのプログラム紹介を読んで、気づいた時にはその考えに夢中になっていた。日本

        • 自分の後ろを見ること

          いまだに卒業後の身の振り方を考えている〜。 フィンランドに残れるのであれば仕事はなんでもいいとか、日本で企業に勤めて海外駐在を狙うとかを考えたこともあったけれど、今は少し違う考え方をするようになった。 クリエイティブデモクラシーの本によると、目の前の生活や生きるためのお金という側面に考えが支配されてしまって、自分自身のプロジェクト(人によっては生きがいと呼ぶもの?)を失ってしまう人が多いという。そして、その側面に支配された仕事やパートナーとの生活だけがアイデンティティにな

        手放しながら過ごす

          自分の輪郭の知り方

          自分には自分のことが見えない。 首から下の部分はかろうじて、ストレッチ不足のせいでカチカチに固まった体をなんとか捻じ曲げて見ることはできるのだが、背中や顔は見ることができない。 もちろん、鏡を使って見ることはできるのだけれど、四六時中鏡を持ち歩くわけにもいかない。そうすると、自分は自分のことを他者を通じて知ることになる。 例えば、パートナーが自分の鼻に触れると、それまで意識していなかった鼻の輪郭が、おぼろげに浮かび上がってくる。 それは、物理的な体に限る話ではないのか

          自分の輪郭の知り方

          蟻と鳥(と猫派の筆者)

          最近は停滞感に溢れた時間を過ごしていた。 2年目で授業がなかったり、インターンの選考に落ちたりで、明確なポストマークに欠けた日々が続く中で、どこにも自分が進んでいないように感じていた。 「待つ」という姿勢を大事にしたいというnoteも書いていたのだけれど、それがどこか受動的に物事が起こるのを待つという姿勢に自分をしてしまっていたのかもしれない。 ただここ数日はその停滞感が晴れてきて、行き先は分からないながらもどこかに向かってモゴモゴと、ゆっくりと、おぼつかない足取りで進

          蟻と鳥(と猫派の筆者)

          悩む、待つ、呼吸する

          卒業まであと一年、新卒として日本の会社に入るのであればあと四ヶ月、自分の未来についての選択をするタイムリミットが迫ってきている気がして、なかなか眠りにつけない夜がフィンランドに帰ってきてから続いていた。 せっかく友達とよく出かけるようになって、純粋に楽しい時間を過ごしているはずなのに、気づいた時には未来を考えてしまって、その自分を幸せにする要素すらも眠りを妨げるものに変換されてしまっていた。 そして今週の初め、その友達が家族に会うためにフィンランドを離れていて、その人から

          悩む、待つ、呼吸する

          変容する自分と柔らかさ

          フィンランドでの一年を終えようとして分かってきたのは、僕には他の人ほどの確立された固定的な「自分」がそれほど存在していないこと。これは、僕が育ってきた環境のせいなのかもしれないし、そもそもの性格の問題なのかもしれない。(たぶんどっちも) 海外に出ている人の言葉としてよく聞くのは、「日本人は自分を殺して、集団に合わせることに慣れすぎている!」というもので、これについては確かにそうなのかもしれないと思ったりもする。 ただこれはそんなに悪いことじゃないと僕は思う。そもそも、自分

          変容する自分と柔らかさ

          ひととのつながりの中で

          第2ピリオドの終わりが近づくにつれて、最終課題の締め切りや、発表の準備に追われて、なんだか疲れたなあと思うことが多くなってきている。 そんな時に気づいたのが、そんな疲れてどうしようもなく感じる時に自分の注目が、自分の心にばかりありすぎていて、逆にその苦しい状態からの逃げ道がなくなってしまっているということ。 「心や自分を大切にしよう」というフレーズをよく聞くけれど、自分にとってはそれが視野を狭めることにつながってしまって、他のところを見る余裕がなくなってしまうのかもしれな

          ひととのつながりの中で

          「あたりまえ」を取り崩す

          セメスターで考えると、修士プログラムは秋・春セメスターが各2回ずつで構成されているから、もうすぐその4分の1が終わることになる。 次第にフィンランドの暗さやこのプログラムに慣れてきて、友達も多くなった今、フィンランドに来る前には自分のComfortable Zoneの外側にあったものが、もはやそうではなくなっていることに気づいた。 そうするとだんだん物事が当たり前になってくる。 授業などで他の学生と教育のことについて話す時でも、なんとなく「あーもう知っているな」という気

          「あたりまえ」を取り崩す

          “Plurality” は未来へのキーワード?

          ヘルシンキ大学での第一ピリオドが終わろうとしているのだけれど、そのハイライトは”Plurality”(多元的とか、多元論とか?日本語訳はあまり自信がない)という考え方との出会いだと思う。 この”Plurality”がでてくる文脈は、未来を考えるもの。 どのような未来を描くか、目指すかということを考えるときのキーワード。 従来の”Duality”(二元論?)の考え方のもと、白か黒かというような観点で物事が判断され、その間に存在するはずのことには必要な関心が払われずにきた。

          “Plurality” は未来へのキーワード?

          学校という現場

          学校での働き方はさておき、僕が学校という現場にこだわりたい理由は主に二つある。 その一つ目は、この前のnoteに書いた、ただ単純に子どもたちと場所と時間を共有して、そこにしか生まれない学びに喜びを僕自身が見出しているということ。 そして、二つ目にくるのが、教育の変化は実際に現場で子どもたちや先生たちと一緒に取り組むことでしか生まれないと思っているということ。(それも長期的なスパンで) これは何かの研究に基づいているわけではなくて、学校で過ごした肌感からきているのだけれど

          学校という現場

          「教育を外から変えていく」の「外」ってなんの外?

          「教育を外から変えたい」 こんなフレーズは、教育に関心があって、今の学校で教師としては働く姿がイメージできない人にとって、馴染み深いと思う。 僕もその一人で、このフレーズを周りの人に対して使ってきた。 それに少し前まで働かせてもらっていた小学校で今は退職されてボランティアとして支えてくださっている先生の、「外から教育を変えてほしい」という言葉は、自分の教育との将来的な関わり方を考えるときに、常に浮かんでくる。 でも、少しいつも何か違う、しっくりこない感じがあった。

          「教育を外から変えていく」の「外」ってなんの外?

          ビジョンについて

          先日ふとテレビをつけると、山中教授の特集がNHKで放送されていた。(NHKのホームページから見ることができます) そこで山中教授が、アメリカ時代に学んだことの一つとして挙げられていたのが"VW"だった。 この "VW" とは、もちろん「フォルクスワーゲン」の頭文字ではなく(おそらくつながりはないわけではないと思う。)、それぞれ "V" は "Vision"、そして "W" は" Work hard" の頭文字だという。 山中教授は、それについて「日本人は後者の頑張って努力

          ビジョンについて

          ヘルシンキにて

          この夏から始まる修士プログラムに向けて、2週間前から引っ越してきたヘルシンキのだいぶ東のほうにある自分の部屋で、まだまだ長い日に照らされながらこれを書いている。 この2週間はベッドなし・部屋の電気なしからはじまってバタバタだったけど、友達の助けを借りながらようやく生活をする準備が済んできた。 何もない無機質だった部屋は、だんだんと自分の心を休めることができる場所になってきていて、とってもいい感じだ。 ヘルシンキの街は、三年前にいた時に進んでいた工事が多くのところで終わっ

          ヘルシンキにて