映画『君が世界のはじまり』感想

この文章はネタバレを含みます。敬称略

 原作者ふくだももこ自身による監督作品。脚本は向井康介。

 いわゆる青春モノだが、人が羨むようなキラキラさも、大人が安心するような爽やかさもない。ショッピングモールしか遊ぶところがないような退屈な街で鬱屈して生きる高校生たちの心情を剥き出しにしたリアル思春期映画だ。

 主人公はえん。本名は縁(ゆかり)だが、幼馴染の琴子からそう呼ばれている(「ん」で終わるのと琴子が「ことこ」と回文になるのは幼馴染同士の秘密めいたものがあるのかもしれない)。優しい両親と暮らしていて成績優秀。松本穂香のおっとりした大阪弁に和まされる。

 一方の琴子は問題児で直情的で直線的、瞬時にキレたり泣いたり走ったり「アホやけどオモロイ子」。たぶん男にも女にもモテる。中田青渚が熱量の高い芝居をしていた。ママの江口のりこは『愛がなんだ』のすみれさんのようなオトコマエ。

 この対照的な二人と、心が不安定な父親(森下能幸)と暮らす業平(小室ぺい)とが三角関係のようになり、えんと琴子の間にわだかまりができる。そこに業平と同じサッカー部の岡田(甲斐翔真)が絡んでくる。これが1つの軸。

 もう一つの軸は純(片山友希)と伊尾(金子大地)のカップル。えんたちとは別の原作のキャラクターだろうか。純は父親と折り合いが悪く、いつも爆発5秒前みたいなオーラを湛えている。その純がショッピングモールの屋上駐車場で声を掛けたのが伊尾。父親の再婚で継母の住む大阪に越してきたが、その継母とは体を求め合う関係にある。伊尾にとってそれは継母に「クソみたいな場所から逃れられない」自己を投影した、一種の自己愛、自己憐憫に基づいた歪んだ愛情なのだろう。

 琴子を除く5人が偶然雨宿りで一緒になり、閉店後のショッピングモールに潜入することになる。叫んだり備品を投げ込んだり先日同じ学校の生徒が父親を殺害した事件について語り合ったりと「青春」するのだが、そこが夜の海とか学校のプールとかではなくショッピングモールというところが、いかにも閉塞感から逃れられない彼らの状況を現している。だからこそあの場面でブルーハーツが生きるのだ。

 ショッピングモールを出たあとの純と伊尾によるキスシーンは朝日の逆光が効果的。朝帰りの純が父親(古舘寛治)と冷めたお好み焼きをモソモソ食べながら会話を交わす場面はワンショットで撮られていてここも見せ場だ。

 そして最後のえんと琴子の追いかけっこ。水溜りで転んで泥塗れになり言い合いになるも徐々にわだかまりが溶けていき、えんが「コトココトコ」と嬉しそうに呼びかけるところにウルっときた。水溜りに映った青空が心憎い。

 個人的には、親世代を抑圧者としてではなく、同じく悩める人間として描いているところが良かった。

 なお上映前にはオンライン舞台挨拶があり、京阪神の関西弁の違いで盛り上がっていた。いい映画をどうも。

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