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折れる前に抱いていた夢

今日二つ目。寝る前に。

Twitterで自分クイズみたいなのを作った時に
思い出したことがあります。

noteを毎日書き続けられてる今の自分。
そしてクイズの問題を考えてた時。

中3の一学期まで、
二つある夢のどちらかを叶えたかった。
小6からずっと憧れだった。

だから、文章を書くことが苦にならない。

一つは、旅行会社に入ること。
もう一つが
交通ジャーナリストになること
でした。

文章や語彙力は拙くても、
ずーっと、
長文を書くことが全く気にならなかったんです。
どこかに消えてしまったものの、
過去、小説を書いてたこともあります。

鉄分の多い少年時代を送ってきたぷにさん。
中学生時代は
どちらも故人になられましたが
西村京太郎先生と宮脇俊三さんが大の憧れでした。

朝読書の時間は西村京太郎先生の推理小説ばかり読んでいたし、
さすがに朝読書で鉄道雑誌を読むわけにいかないので
家でひたすら読んでいたけど、
鉄道ジャーナルに寄稿されていた
宮脇俊三さんの文章を読むのが本当に好きで。

世界中を旅しながら、読む人に夢や希望を与える、
時には問題も提示する文章を書いて
それを仕事にする。
小6の卒業記念品にははっきり書いてありました。
小6の担任の先生がFacebookに写真載せてくれてて。

夢は交通ジャーナリスト

って。

それを実現するには高い日本語力と
幅広い知識が必要だ。
だから、ある程度の難関大学に行けないといけない、
都市部でないといけない、と
当時トレンディドラマ(死語)の舞台になったこと、
また当時、吹奏楽有名大学でもあったことから、
とある都会の有名私立大学
ジャーナリスト研究会を立ち上げていたこともあり、
(今もあるみたいです)
そこに行きたい、
中1の時にはそう思ってた。
そのためには当時の志望高校の
上のクラスで合格しないといけない、
それが勉強のモチベーションになっていました。
この頃くらいまでは中学で悪くても
上位2割くらいには入っていた気がします。

それが、中3のコンクールで敗北を味わったことで
自分みたいな音楽で挫折を覚える子を救いたい
に、目標が変わって迷走します。
学力もガクッと落ちました。
目標が変わったことでそこまでの学力いらない、
って思ってしまったので。

幼馴染で自分と同じ趣味を持っている友達は、
中3一学期までの目指していた大学より
さらにランクの高い私大を出て
今国交省で働いていて、
交通インフラの国内最善化の最前線で戦っています。
最終的に大学中退した自分とも
今の交通のよいところや課題を同じ目線で
語ってくれます。
本当に感謝しています。

今、他に自分を発信することは
波があっても、
オレ吹が終わっても毎日noteを続けられている。

こんな歳になったけど、
今からでも、どんな形であっても
文章で人を動かすこと、

これに挑戦することは、
無謀でしょうか…?

noteを続けながら、模索してみたいと思います。

吹奏楽だけでなく、もっと幅広い方面へ。


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