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後輩育ててたらいつの間にか自分が終わってた話。


私はとある児童発達支援センターに勤めていました。
私が入社したての頃は私と最も歳が近い上司が31歳で同期はおらず、上司の層が厚く若者の肩身の狭さに拍車がかかったような職場でした。
久しぶりに会う友人たちは1〜2年も経てば「後輩がさ〜」と話しだすのに対し、私は6年勤めたうちの4年間は1番の下っ端時代を過ごしたので、その辺については「一生後輩できないんだけど〜!」とふざけて済ましていたような記憶があります。
年数を重ねるごとに重要な役目や責任が増えていくのに下っぱの雑用はなくならず、いつまでも「自分なんてどうせ下っ端なので…」と卑屈さも乗っかって、色んなものに押し潰されそうになれながら出勤していました。

5年目の春、それは良くも悪くも転機でした。
新卒の女の子が入社すると言うのです。
まだそれだけのことしか知らないのに私は大喜び、だって初めて後輩ができるんですから!
一緒のクラスを担任できるかどうかなんて分からない、だけど正直クラスが一緒じゃなくたって後輩には変わりない、早く会いたいな〜とクラス発表の日を待ち遠しく思っていました。

結果、その後輩と2人でクラスを担任することになったのです。
「ももか先生も5年目だから今年は先輩の下につくのではなく、今まで学んできたことを生かして後輩を育てる立場になってクラスを引っ張っていってください。」
と園長からご用命頂き、クラスを担任することになりました。
仮にそのクラスをいちご組としましょう。
いちご組は全員で7名からスタート、年度途中の入園児を受け入れる予定なので、7名に対し正規職員2人、非常勤職員1人の計3名でクラスを運営していくことになります。
先にお話しすると、いちご組の子どもたちを育てながら後輩を育てるというはじめての経験でしたが、無駄に責任感だけはありましたから試行錯誤しながら、でも決して投げ出すことはなく最後までやり切ったと今でも思っています。
タイトルにある通り、後輩を育てることに関しても気付けば私は精神的にも身体的にも死んでいましたが、それを除けば自分の時間を削り、もうこれ以上やれることはないぜ?と誇れるくらいにはやり抜きました。
誰にも文句は言わせません、文句を言っても許されるのはその後輩を同じ条件で見事育て上げることができた人だけです。
「文句を言いたいぜ!」「我こそは!」
と言う方(がいらっしゃるから分かりませんが)のために、次のノートではその条件をお話ししたいと思います。


ネクスト後輩'sヒント!
園長「ももか先生しかこの子を育てられないと思うのよ〜!」
私「?????????(頭の悪い顔をする私)」





1年を通した出来事ですから、1つの記事に書き切れる訳もなく。
自分の気持ちを整理するつもりで記事を書いているので、貴方にもお付き合いいただけると幸いです。
よければ、貴方の後輩エピソード(?)もコメントでお気軽にお聞かせくださいね!

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