科学?やる気があればいらないわけではないけれど
スズキタケルです。
「人生とはエデンに帰るまでの余暇である。せっかく来たんだから何かしたい。君は旅先でそう考える」
習慣による惰性化した精神が私たちの幸福をひた隠す
『成功する秘訣は習慣化だ。科学的に正しい習慣術!』みたいな流行もう過ぎましたかね?私もその波に若干乗っていたのである程度は読んだのですが、「やる気があればいい」そう思います。
「やる気がない人はダメだ」
このままだと「最近の若者は……」と言ってしまいそうな雰囲気ですが、別にどの世代を通しても『やる気がない人は成長しない』
「機械はわかんないから」と言うシニア
「やりたいこともない」と言う学生
パトナーの不満ばかりの主婦・主夫
『成長』というなんだか高尚なものでなくても、発展性がないことが深く考えずともわかると思います。
そして「やる気がない人」これは他者からみてただの『面倒な存在』です。現状への不満は持つものの何の解決の手助けにもならないただの民衆。まぁ余談の悪口ですが….
「やる気があれば解決する」わけではないですが、「やる気がなくては大抵解決しない」これは真です。
やる気があることによって得られる効果は絶大。
例えば今回お話しするようなこと。
人生の無駄な時間はただそこで消費するに終わる
「行動の方向性はどう決まるのか」
快不快という生来持ち合わせる判断基準と学習されて身についた判断基準があります。前者を身体的快不快、後者を精神的快不快と分けます。
大人になるにつれて精神的快不快による判断が強くなります。家庭を持つ、失敗を積み重ねることなどによってヒトは人間となります。それは教養がついた状態と言えるでしょう。
ですがその“教養“は全ての行動に価値観を“強要“できない。Oh!もう満足なんで終わってもいいかな…..
結局本能が理性を時々上回るように常に精神的快不快による判断をもとに行動はできない。
「本当でしょうか?」
「本当です」
「本当ですか?」
「いや、どうだろう」
そんな前提があっても私たちのやるべきことは変わりません。常に教養のある行動をとらなくてはならない。
理由は冒頭に書きました。
やる気とは常備しておくべきものだけど、忘れてしまうこともある。そんな時に“科学的な事実“が使えるのではないでしょうか。
人間としての特性に甘んじるためではなく、やっちゃった時の緩衝材として使用してみれば、良好な精神を保つつ(例えば罪悪感を軽減するなどによって)やる気を維持することができるのだと思います。
六根清浄の小話
本日はちょっとためになりそうな、いや、雑談のネタにでもなりそうな内容
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