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峠―最後の侍

『峠-最後の侍』2022年

私は今65歳ですが、7年前に脳梗塞をしたからもあるでしょうけれど、自分のことを「化石化した牧師だ」としばしば言います。テレビのコマーシャルを見ても、何を宣伝しているのか、さっぱり分からないものが増えてきました。

この映画は幕末の戊申戦争が舞台です。その舞台の上で、それまで中心的役割を演じて来た
武士に焦点が当てられて行きます。大きく分ければ討幕派(薩摩藩・長州藩を中心としたグ
ループ)と徳川幕府の譜代大名を中心とした佐幕派の戦いです。

今の言葉で言えば、守旧派と改革派と言っても良いかも知れません。これまで通りやりたい人々と、これまで通りではなく新しいやり方をしなければ通用しないと考える人々の違いがそこにはあると思います。

時代は変化します。その変化に対応できなければ、人間は次第に「化石化」していくでしょう。それは本来「役立たず」の意味ではないはずです。でも、時代の変化に対応できなければ、人は新しい時代に居場所がなくなります。

守旧派は年齢とは同じではないのかもしれません。守旧派いつも「最近の若い奴は」と言います。そして、私から見れば十分に若い世代が4~5歳下の人々にジェネレーションギャップを感じて、「最近の若い奴は」と言っています。

考えてみれば、パソコン、インターネット、携帯電話、スマホ、メール、動画配信、リモートワーク、仮想通貨などなど、次から次へと30年前には想像も付かなかったようなものが出てき、新しいものが出てくるのですから、「老兵は去るのみ」と言わざる得ません。

昔は何か困ったことがあれば、高齢の者に訊いたと言われています。経験が意味や、価値があったのです。しかし、今や過去の経験は役に立たなくなったようです。

しかし一方で、時代は変わっても「人間」は少しも変わっていないと思います。現代のロシア軍によるウクライナ侵攻を見てもそう思います。戦争はずっと前からありました。領土はその都度書き換えられていきます。だから、世界地図は毎年新しいものが出ます。

戦争では兵士に限らず多くの人間が死にます。必ず略奪が起こりますし、虐殺が起こります。そして、性的犯罪が起こります。昔からです。少しも変わりません。

ある人は「戦争は人間の心の中にある差別意識から始まる」と言っていましたが、そう思います。差別意識とは、「自分はあの人よりも優れている」という思いです。そしてそれは、「あの人は自分よりも劣っている。だから殺しても良い」という思いに繋がります。

それは「人権意識」とも関連します。他の人と自分は同じ人間なのだ。自分にして欲しくないことは他の人にもしない。そういう人権意識は何時の時代にも大事だと思います。

旧約聖書にヨブ記という書物があります。その14章15節にこうありまず。
「御手の業であるわたしを尋ね求めてください。」
この言葉は、今から2200年くらい前に中東の一角で書かれた言葉です。

著者は、自分は神自らが造られた存在だと確信しているのです。そして、その神から「尋ね求められた」時、被造物としての人間になるのだと思っています。そして、彼にとって、全ての人間は等しく神の被造物であり、神に尋ね求められる存在なのです。

そこに時代を越えた人権意識があるのだと思います。


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