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『ベイビーブローカー』2022年

 生まれてくれてありがとう

監督は『万引き家族』の是枝裕和氏で舞台も俳優も韓国人ということもあり、話題になった映画です。ストーリーは子どもを育てられない母親(シングルマザー)が、人目につかない形で、所謂「赤ちゃんポスト」に赤ん坊を入れることに始まります。

その赤ん坊を子どもが出来ない夫婦に売るために、二人の男が盗むのです。彼らの内の主犯格の男はクリーニングを生業としつつ、赤ん坊を売って利潤を得ていた人物です。彼にしてみれば、親が育てられない子を、子どもが欲しくても出来ない夫婦に売ることは、その子にとっても幸せになるためだという言い訳?理由?があります。

もう一人の男は、赤ん坊の時に親に捨てられ、養護施設で育った男です。彼の母親も「必ず迎えに来るからね」と置き手紙を置いていったそうです。しかし、迎えには来ない。そういう置き手紙を置いていった母親は何人もいるようですが、迎えに来た母親はいないと言うのです。彼は現在「ポスト」がある病院で働いており、養護施設ではヒーロです。

しかし、「赤ちゃんポスト」に赤ちゃんを入れた母親は、後悔して迎えに来るのです。後で分かることですが、彼女は風俗で働いており、結局、性的快楽のために女を利用する男を殺してしまい、逃げているのです。ということは、赤ん坊は「殺人者の子」となってしまうということです。

そこに、子を売るという「犯罪」を現行犯で捕まえるために、ずっと車で追い回しながら監視している女性刑事とその助手(女性)が加わります。これも後に分かることですが、刑事は子どもが出来ず不妊治療をしている女性なのです。彼女は監視しながら「捨てるなら産むなよ」とつぶやくのですが、そこにはそういう悲しみがあったのです。

結局、二人の男と赤ん坊の母親が一緒になってブローカーの仕事をするために出かけることになります。そして、ある時から共犯の男が育った養護施設の7~8歳の男の子が加わることになります。

主犯格の男は嘗てかなりのヤンチャをして刑務所にいたことがあるみたいです。彼はもう一度やり直したいのですが、もう妻にも子にも見捨てられているのです。嘗ての妻子は今は別の所に暮らし、妻は近々再婚することが、映画の後半で明らかになります。

共犯の男は、赤ん坊の時に親に捨てられたのですから、親の顔も知らず養護施設で育ちました。どこか根無し草という感じがします。しかし、その施設の中では普通の仕事をしている彼は優等生なのです。

赤ちゃんをポストに入れた母親は、ヤクザな男を殺してしまった殺人者です。風俗で働いてもいたのですし、ひょっとしたら彼女の家も崩壊し、彼女自身が親から捨てられているのかもしれません。

彼らと一緒にいることになった子どもも、実の親は知らない子です。

彼らは皆、悲しい事情があり、ギスギスもしているのですが、支えあってもいるのです。ある時、彼女が宿のベッドの上で、上を向いたまま、一人ひとりにこう言うのです。

「~~さん、生まれてくれてありがとう。」

そこにいる人間は、それぞれ家庭が崩壊しています。父母兄弟姉妹など持ちようがないのです。自分に原因がある場合もあり、自分は何もしていないのに、そういう環境に生まれてしまったという場合もあります。世の中は不条理に満ち満ちています。

そして、この世には自分の「居場所がない」と感じる人は、多いと思います。

 効率

でも、生きる意味がないとか、生きる価値がない人間はいない。人は皆、生きる価値がある。しかし、それは「生まれてくれてありがとう」と人から言われ続けることによって知らされることではないでしょうか。

しかし、この世では得てして、「お前なんて価値がない。あっちに行け。顔も見たくない。」そういう言葉が多いのです。言葉で言わなくとも、「自分は無価値だ」と思わせることは沢山あります。

多分、「価値」は、この世の効率から見てのものだと思います。効率よい人間は「価値ある人間」とされ、効率の悪い人間は無価値な人間、役立たずな人間とされるのでしょう。しかし、「この世」が創造者として私たちを造ったのでしょうか。

「ハチの集団で2割は遊んでいて、何もしない」と2割を取ってしまったら、それまで働いていたハチが遊び始め、結局、2割は遊んで何もしなくなった、とはよく言われることです。

 多様性と一致

最近、「多様性と一致」とよく言われます。多様性はともするとバラバラを意味します。扇は要が無ければ、バラバラになってしまいます。しかし、要があればその多様性は扇の豊かさ、強さを表します。

私たちを結びつけるものは何でしょうか。「血」でしょうか。「血」が家族を結び付けるのでしょうか。民族性、国籍、肌の色…が私たちを結びつけるのでしょうか。多様性がありつつ一つにするものは何でしょうか。

多様性が認められなければ、私たちは否定されてしまいます。しかし、バラバラでは困ります。互いのことを「生まれてくれてありがとう」と言えるのは、どういう所に立った時なのでしょうか。

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