老いつつあるヨーロッパが主人公の映画『リスボンに誘われて』
思いのほかいろいろと思うところがあった1本だ。
監督を務めるのはデンマーク出身のビレ・アウグスト。『ペレ』と『愛の風景』で、カンヌ国際映画祭で2度のパルム・ドールを受賞している。
原作はパスカル・メルシエ著『リスボンへの夜行列車』。こちらも和訳が出ているがまだ読めていない。
リスボン、リスボン
ポルトガルにも、リスボンという街にも、一度も行ったことがない。
でも不思議と惹かれる。映画の舞台がリスボンだと分かるやとにかく見たくなる。たぶんヴィム・ヴェンダースの『リスボン物語』を見たのがヴァーチャル・リスボン体験の最初だと思う。
石畳と黄色い路面電車が記憶に焼きついた。また、マドレデウスというバンドが出演していて、ヴォーカルの女性の透き通った歌声にも惹きつけられたものだった。
それから詩人のフェルナンド・ペソア、小説家のアントニオ・タブッキ、ジョゼ・サラマーゴ、吉田喜重に、ポルトガル語の耳にやさしい子音。
あわよくば住みたい。
ブルーノ・ガンツ!
本作を見たもう1つの理由は俳優のブルーノ・ガンツだ。『リスボン物語』を撮ったヴィム・ヴェンダースの『ベルリン 天使の詩』や、テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』に出演している。あの朴訥とした風采から滲み出る、地にしっかりと根を張った存在感が魅力的だ。
『リスボンに誘われて』のストーリーの中核には三角関係がある。
時代はポルトガルの独裁政権下。
彼はジョルジェという、薬剤師をしながらレジスタンス活動をしている青年の「老後」を演じている。若かりし頃、エステファニア(メラニー・ロラン演)という名の恋人を、親友の医師アマデウ(ジャック・ヒューストン演)に奪われてしまった過去をもつ。
初老の高校教師が、橋から飛び降りようとしている女性を発見
さて、この三角関係をめぐる物語は、時代をくだり、スイスはベルンの高校に勤める教師ライムント(ジェレミー・アイアンズ)が、出勤中にたまたま、橋から投身自殺しようとしていた女性を救ったことで、ふたたび動き始める。
彼女はすぐに姿を消してしまうのだが、赤いコートと、1冊の本を残していった。
それは、先に紹介したジョルジェの友人であり、若くして亡くなった医師&レジスタンスの闘士アマデウが書いたエッセイだった。
さらに、その本のページには、リスボン行きの列車のチケットが挟まっていた。
ライムントはそれを見つけるなり、ふらりとその列車に乗ってしまうのだった。
彼は空間を横断するだけでなく、積み重なった時間をも縦断することになる。
サラザールによる独裁政権下の、若かりし彼ら彼女らの過去をライムントが解明し、まだ生き残っている者同士をつなぎ、誤解を解きほぐしていく役割を果たす。
スイス出身という免罪符
この、ヨーロッパの独裁政権を扱うに際して、その記憶と誤解を仲裁する立場として、ライムントがスイス出身であるという設定が、20世紀初頭から半ばにかけてのヨーロッパの歴史に関して免罪符を与えられているようで興味深い。
逆に、本作を見ながら、ナチス・ドイツはもちろん、ムッソリーニのイタリア、フランコのスペイン、そしてポルトガルのサラザールといい(のちにソ連に占領された東欧諸国を入れてもいいが)、それらの歴史的記憶がほんとうに深い傷として刻まれているということがひしひしと伝わってくる。
しかしヨーロッパは老いる
しかし同時に、過去を解明するライムントは初老の男だ。
彼が救おうとした女性は、じつは過去の、まだ元気があった頃のヨーロッパだった、と私は解釈している。
ネタバレになるので書かないけれど、彼女の素性が複雑なかたちで明らかになる時、そのことはいっそう明確になる。
そしてライムントは、老いつつあるヨーロッパの象徴なのではないか。
ライムントはある程度過去の誤解を晴らした。手柄である。だが、彼がポルトガルで出会う人の多くは、ブルーノ・ガンツをはじめ、初老〜老齢の人たちだ。
「さて、私たちはこれからどうしていく?」
という問題提起の声が聞こえてくるようだった。この声は切実だ。
(一方で、本作を見ながら、アジアでひとりファシストの列に連なった日本が、敗戦をいいことに過去をほとんど清算することなく、現在、ヨーロッパと較べても悲惨なかたちで老いていくさまを見るにつけ、日本で本作を見る自分にとっては、二重に苦々しい問題提起を突きつけられたような気がしてならないのだった)
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