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映画 怪物
サスペンスが苦手なので、予告にビビりまくり遅れて視聴しました
思っていた怖さとはちがってやや安心
だけれど、シトシト心が苦しくなるような映画でした
この映画で終始問いかけられている「怪物とは何か」について、ちょっと考えてみた
怪物と聞くと、メアリーシェリーのフランケンシュタインを思い出す
この作品はいわゆるゾンビなフランケンシュタインが、怪物だと周囲から差別をうけるのだけれど、怪物は人間の心の中にいるんだ、って教えてくれる話
この映画で問われてる怪物とは、他者を傷つける瞬間じゃないかな
それは暴力、体罰、虐待、放火とか目に見えるものから、自分を守るためについたウソ、一般的な正しさを押し付ける瞬間とかも含まれてて
人はいつのまにか、自分でも気が付かないうちに誰かの怪物になってしまうことがあるのだなぁと。
とくにこの映画の中では、自分の見ている世界が全てだという思いこみから生まれる怪物にスポットが当てられてた気がするねぇ
あなたにもきっとある、怪物になってしまう瞬間が。
どういう言葉を感じました
印象に残っているシーン達
①ヨリくんのナマケモノのくだりのシーン
あんな風に考えてたのかって、苦しくなったんだけど、
あんな苦しみが私が知らないだけで世界にはたくさんあるのかもしれないことを考えない私も、また誰かの怪物なのかしら。
分からないことを知る、知らないということを知るってなんて難しいんだろう
②幸せは誰かでないと手に入らないものじゃない
誰でも手に入れられるものを幸せと言う
というニュアンスのセリフ
きっとこの映画の中ですごく大切な言葉なんだろうとは思うのだけれど、この言葉の裏側がよく読み取れませんでした……
どうしてこの言葉をかけたのかなぁ
③その後のトロンボーンとホルン
ここ、すごく好きだったなぁ
最初、あの音色を聞いた時は不気味だとおもったけど、2人の言葉にできない思いが込められていたのね
そしてその音はちゃんと誰かに届いてて、すごく素敵だった
何らかの作品が言葉を超える瞬間ってものすごく素敵
ふう、引きずる映画だったなぁ笑笑
8時間ぐらい引きずっちゃった
こういう映画は次の日休みの日にみるもんだね笑
終わりに……
ラストシーンは私が作り手だったら、同じ現代を生きていくっていう結末にする!
他者の怪物性に苦しめられる瞬間が生きているときっと沢山ある
自分が怪物になってしまう瞬間もきっとある
それでも生きていくんだ
生きている限り希望はきっとある
2人が、自分たちは普通じゃないっていう自己否定を、自己に対する怪物から解放され、ある意味生まれ変わって、同じ現代で物語が続いて行ったらよいなぁという願望
追記
怪物だーれだ
って、なんだか怖い言葉に聞こえたけど
2人の合言葉だったのかもしれないね
2人にとって怪物って何だったんだろう
どうして怪物だーれだって遊びを考えて、それを合言葉にしたんだろう
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