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「堀留」−収穫なしで悔しい回−『江戸名所図会』

1ヶ月近くnoteを更新せずに、卒論試問に向けて追い込まれていました。
終わったのは10日あたりでしたが、そこから遊ぶ予定が詰まっており今日やっと落ち着きました。

その間に美術展にいくつか行ったし、たくさん本を読んだし、映画も見たし、旅行もしたし、美味しいご飯もたくさん食べて大学4年の春休みを満喫しております。


とはいえ、勉強はしないといけないので今日からまた更新です。
そんな新たに気合を入れ直した今日も『江戸名所図会』。


国立国会図書館蔵

今回は『堀留』。
堀留ってちゃんと見たことなかった気がします。

堀留とはこの界隈のこと。
日本橋の北東のあたりということですね。
『江戸名所図会』には堀留に関する本文がないので当時どのような場所だったのかは分かりません。

なので辞書を参照。

大伝馬町一丁目の南にあり、西は伊勢町河岸、南は伊勢町堀の堀留と小舟町一丁目。堀留通の東西に続く片側町で、町人地。八町河岸の一。寛永江戸図では「六十間かし」、明暦三年(一六五七)の新添江戸之図では「六十間丁」、延宝江戸方角安見図に「ほりどめ」の名がみえるところから、町の起立は明暦の大火以後であろうか。安永三年小間附町鑑によれば京間六一間、公役金を納めた。名主は大伝馬町一丁目と同じ。坪数四一九坪(「寛保沽券図」中央区京橋図書館蔵)。「江戸惣鹿子名所大全」は乾物屋が多いと記す。

日本歴史地名大系

場所は先ほどのGoogle地図で見た通りの場所です。
最後に書かれている乾物屋が多いと「江戸惣鹿子名所大全」にある情報は、『江戸名所図会』の挿絵から読み取れるでしょうか。

流石に何を売っているのかまではあの挿絵の細かさからは判断できません。

確かに日本橋川で運ばれてきた魚や振り売りが運んでくる魚介類を日持ちがいいように乾燥させて販売していたのでしょう。

江戸時代は魚などを冷蔵保存する設備が十分ではないので、干したり燻製させたりして保存することが多かったそう。
だからこそこうして乾物として販売することは理にかなっているということですね。

堀留についての資料があまり揃っていないのでここからどうしても進まないのが難点です。


堀留の景色らしい特徴はなく、題名に堀留と書かれていなければ日本橋エリアのどっかしらというだけに終わりそう。

もっと場所と絵を連動できるような記事がかける資料を見つけるのみです。。。。


ちょいと悔しさが残る今日はここまで!
#日本絵画 #江戸名所図会 #江戸時代 #堀留 #国立国会図書館 #日本橋 #美術 #芸術

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